心が軋む音-mikan side-

心が軋んでいく音が聞こえた。

穏やかに微笑んでいた彼の表情(かお)が、すっと変った。
一瞬のうちに無表情になり、ウチをじっと見つめる。
これは彼のクセで、何か気に入らないことや不安なことを話すときに必ずと言っていいほどする顔だ。何度目の前にしても心臓が大きく鼓動し、あまりいい印象を与えない。
彼は、手に持っていたナイフとフォークを皿の縁(へり)に置き、顔の前で左右の手の指を組んだ。そしてひとつ息を吐き、重々しく口を開いた。
「今、何て言った?」
「・・・だから、」彼同様ナイフとフォークを置いた。「もし一緒に住むんやったら、クロが飼えるようなところに」
「冗談だろ」顔つきが険しくなった。「なんであのネコまで一緒なんだよ」
「なんでって、アンタこそなんでそんなこと、」
すると彼は、ふっと鼻で笑った。
「オレは、あの猫が嫌いだ。おまえ、オレが猫嫌いだってこと知ってたか?」
ウチは小さくかぶりをふった。
「知らんよ、アンタそんなこと一言だって、」
「おまえのために我慢してたんだよ。そんなことも気付かないなんてな。現にこの間おまえの家に行ったとき、オレは一度でもあの猫に触ろうとしたか?」
「それは、」
「それに」彼の表情がふたたび険しくなった。「あの猫は不吉だ」
「なに、・・言うてんの?」動揺のあまり、声が震える。「なんでそんな風に、言うの?」
彼は目の前で組んでいた指を離し、こちらに顔を近付け、低い声で言った。
「この間、すれ違いざまに知らない男に言われたんだ」

――― あの黒猫は、危険だ。

「・・・誰・・?」動揺がおさまらない。スカートの上で手をぎゅっと強く握り締めた。
「さあ。すぐに後ろを振り向いたが見失った。けど、あれはおまえが飼っている猫だとすぐにわかった。正直ゾッとしたよ。確かにあの猫は、そのへんの猫とは毛色が違う。まるで、」
「やめて」
「蜜柑、あの猫はおまえが考えているような大人しい猫じゃない。さっさと保健所なりなんなりに相談して引き取ってもらえ」
「やめてって言うてるでしょ」
勢いよく立ち上がった。テーブルの上のナイフ類が、ガチャリと音を立てた。周辺にいる客たちが、こちらを振り返った。
「ウチは、・・絶対にクロを手放したりしいひんから、絶対に、」

涙が溢れた。
それはすぐに頬のうえをとめどなく流れ落ちた。



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