現実と願望のあいだ

「あ、・・ごめん」

蜜柑は零れ落ちた涙を指で拭いながら言った。その顔のまま、またほんのり笑うと居間へと進んでいく。
「ちょっと、シャワー浴びてくるな」
蜜柑はソファの上にカバンを置くと、浴室へと入って行った。

もどかしくてたまらないのは。
こんなときでも、何があった、大丈夫か、と言葉にすることが出来ないことで。
あのときの様子から、ただならぬ事態であることは明白だというのに、慰めの言葉も、頼りなく震える体を抱きしめてやることも、何も出来ずにただ彼女が悲しむ姿を見ているしかないこの現実が、ひどく残酷に思えてならない。
そばにいるだけではどうにもならない、このやりきれない歯痒さが、この傷んだ感情を蝕んでいく。どうすれば、・・・いや、どうしたい?

蜜柑はシャワーを浴び終えると、おやすみ、と一声かけ、すぐに布団に潜り込んだ。いつもは何かしらじゃれてくるが、今日に至ってはやはりそういう気分じゃないのだろう。
傍に近寄った。そしてベッドにあがり、蜜柑の顔のすぐ近くに座る。反応はない。枕に顔を半分埋め、目を閉じている。
どうにかしてやりたい感情だけが溢れ、つい手を出し、そっと頬にふれた。
「アンタは、・・やっぱり不思議なネコや・・」
蜜柑は呟くように言った。そしてゆっくりと瞼を開き、オレをじっと見つめた。
「普段なら絶対こんなことしないのに、何かあったんやないか、・・思うてるんやろ?」
布団から手をだし、頭を撫でる。すると蜜柑の瞳から涙が零れた。
「クロ、ウチは、・・・アンタを絶対に手放したりしいひんからな」

手放す、――― ・・・そうか、そういうことかよ。
身を低くし、顔を近付けた。
蜜柑の頬の涙を、やさしく舐める。
「クロ・・・・」
か細い声が、すぐ近くで響き。

彼女はオレの背を撫でながら、今夜のことを話し始めた。


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