エンドレスラブ

空が茜色に染まっている。
見上げればその空は、半年前とは違い、随分と高くなっていた。季節は着実に表情を変えてはいたが、街は相も変らず大勢の人間が行き交い、忙しない。
そして。
この路地も。――― 何も変ってはいない。体を横たえていた灰色のアスファルト。あのときは余裕などなかったが、道を挟むように多くの飲食店が並んでいた。夜の開店へと準備をすすめているのか、人気はまばらだ。

握り締めていた手のひらをそっと開けた。
ころ、と鳴る、首輪についていた鈴。

あの後、自ら当局へ赴き、依願免職を申し出た。訪れることは、ほぼないに等しい未来のために、身辺を綺麗にしたかった。
そして最早ヒトの姿に戻れることは出来ず任務不能であること、加えてこれまでの実績を考慮するよう請願した。
当局は情報だけを持っている厄介な猫などさっさと始末してしまいたかったのだろうが、先行き短い猫を哀れに思ったのか、記憶の一部削除を条件にしぶしぶ免職を受け入れた。

そこからがまた死ぬ思いだったが。
半年という年月をかけて、極秘に再生した。
オレは今、元にもどり、人としてここに立っている。

だが、もう。蜜柑に逢いにいくことはない。
どこかで逢うことが出来たとしても、オレだと気が付くことは不可能だ。
猫が人になど、非現実的すぎて馬鹿げている。

それで、いい。

蜜柑が幸せであれば、それでいいのだ。

鈴を握り締め、路地を出た。夕闇がせまる歩道を歩き出した。
通りの向こう側に目をやると、蜜柑とあの男との情景が一瞬フラッシュバックした。すぐに遮断し目線を戻した。
すると戻した先で人に紛れ、目に飛び込んできた見慣れた顔。はしばみ色の瞳をぱっちりと開き、あの頃よりも伸びた髪が、サラサラと揺れている。

―――・・・ 蜜柑、

徐々に近付いて来た。手の中の鈴を握り締める。
肩が、軽く擦れ合った。
すれ違いざま視線を向けると、彼女と一瞬目が合った。
(蜜柑、)
その瞳は、すぐに逸らされた。

これでいい。
ごく僅かに笑みが浮かんだ。

「あの――――、」

立ち止まった。
「すみません・・・、」
少しずつ振り返る。
蜜柑が小走りで駆け寄って来た。
彼女はオレの前に立つと、口を開き、何かを言いかけた。だがそれはすぐに思い留まるように閉じられた。
じっと見つめる懐かしい双眸。
その双眸を目を細め見つめ返すと、彼女は瞼を閉じ、軽く俯いた。そしてすぐに意を決したように顔を上げ、唇をゆっくりと動かした。

「・・・・クロ?」

未来が、・・・変った。
茜色の空を見上げた。こんなことが、
「あの、ごめんなさい、ウチ、」
不安げに揺れる瞳。すぐに笑って見せた。
「ああ。・・・イチゴ好きで、よくひげを汚していただろ?」
蜜柑の瞳が大きく見開かれた。
「泣き虫蜜柑。よく、見つけたな」
蜜柑の瞳にみるみる涙が溢れ出した。
「ク、ロ」
震える体を抱き寄せた。
「名は棗だ」
「なつ、め・・?」
「・・・ああ」

胸のうちで、何度も名を呼んだ。

焦がれていた彼女のすべてを包み込んで。





fin

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