Prince of water〜あの頃。/ ep.1


淡いクリーム色の傘。裾がふんわり広がったフリル付きの水色のレインコート。薄ピンク色の長靴。
緩く結ばれたツインテールがしんなりと肩にかかっている。
蜜柑はポーチで空を見上げると、何もかもが憂鬱やと呟き、うんざりとした顔で足を踏み出した。それを母親が慌てて呼び止める。
「蜜柑、カバン、肝心なもの忘れてどうするの」
蜜柑は緩慢な動作で後ろを振り向いた。嫌そうにカバンを受け取る。
母親が苦笑いをした。
「毎週毎週、そんな顔して行かないの。別に意地悪されるわけじゃないんでしょ?」
蜜柑は口を尖らせた。
「・・・いっつもウチのことバカにしたような目で見るんやもん。口も悪いし。なあ、なんでアイツと同じ塾にしたん?」
「また同じこと訊く」
「だって・・」
蜜柑は、ため息をついた。確か理由は、評判がいいから、だっけ。
「とにかくいってらっしゃい」 背中を押される。
蜜柑はあきらめたように再び空を見上げた。
「最悪・・・」


外は、朝から小雨が降り続いていた。
しとしとと細かい粒でじっとりと濡れてしまう、そんな気鬱させるような雨。
蜜柑は水溜りの中をバシャバシャと音を立てて歩いた。まるで八つ当たりをしているかのように、いや、これは八つ当たりだ。多少乱暴に歩いても濡れないところが長靴のいい所だ。
この雨と塾とで、完全に気が滅入っている。
今からまた面倒なことが起こるのかと思うと、往生際悪く回れ右をしてサボりたい気分だ。
これほどの思いを抱えているは同じ塾に通う、ある人物のせいだ。
正確には、同じ学校に通う隣のクラスの某男子生徒。蜜柑に対していつも小馬鹿にしたような態度をとり、そのうえ時々ちょっかいを出してくる。気にしなければいいじゃないかと思うかもしれないが、学校内でも目立つ存在の彼が仕掛けてくる諸々の憂鬱の種は、皆の注目を集め、何かと気恥ずかしい。この間などは、廊下ですれ違いざまに突如腕を掴まれ、スカートからパンツが透けてみえるぞ、と、顔から火が出そうなことを平然と言われた。事実、やや透けて見えてはいたが、改めて言われるといたたまれないほど恥ずかしかった。因みにここまでされるのは、恐らく蜜柑ただ一人だ。嫌われるにも程がある。
いつ頃からこうなったか、辿れば幼稚園の頃から既にその芽は出ていた。1年〜4年までが同じクラスだったせいもあり、それが年を経るごとに、エスカレートしていった。
5年に進級した今年、やっとクラスが離れホッとしたのも束の間、今度は最近通い始めた塾に、あいつ、
日向棗がいた。
―――― なんで、あんなヤツのためにこんな想い、

「蜜柑ちゃーん」

つと立ち止まった。後ろを振り返る。同じクラスで学年委員長の飛田が手を振りながら走ってくる。蜜柑は、一瞬にして学校での約束を思い出した。彼も同じ塾なのだ。
「委員長、わああ、ごめっ、一緒に行くって言うてたのに」
委員長は首を左右にふりながら、ニコニコと笑った。
「今、家の方へ行ったら、お母さんが出かけたばっかりって言ってたから。まだ間に合うかもしれないと思って、よかった」
「ごめ、なんや、もう忘れっぽくって、ホンマにごめん」
蜜柑は傘の柄を挟むように、手を合わせた。棗のことで頭がいっぱいだったとは言えない。
「いいよいいよ、そんな、気にしないで。すぐに追いついたし。あ、それより、蜜柑ちゃん、明日の校内ドッチボール大会なんだけど、」 並んで歩き出す。「一回戦は2組とあたっちゃって」
「えーーー!」
蜜柑が思わず、大声を出す。委員長は、苦笑いをした。
「2組って、ウチの学年5クラスもあるのになんでよりによって、2組と・・・」
2組の実力は5学年の中でも1、2位を争う強さだ。そして棗のクラスでもある。今まで何度か授業で対戦したことがあるが、接戦の末、一度も勝ったためしがない。
「くじ運悪くて、ごめんね」 委員長が申し訳なさそうな顔をする。
「や、そんな、ウチこそ大袈裟に大声なんか出してごめんな。もう、絶対に頑張ろうな」
「うん、今回は優勝したチームにご褒美が出るみたいだから、クラスのみんなもいつも以上に張り切るかもね」
「ご褒美?」 蜜柑の声のトーンが上がる。
「先生方が協力して、勝ったクラスに何かくれるみたいだよ」
「へえ、」
これは俄然張り切るしかない。
蜜柑はドッチボールが得意中の得意だ。褒美がかかっているとなれば、気の入りようも違ってくる。それにもしかしたら、棗をぎゃふんと言わせられるかもしれない。彼の鼻を明かすチャンスだ。
蜜柑は再び立ち止まった。片手を振り上げる。
「よおし!明日は、絶対に勝っ」
「邪魔だ。どけ、ブス」
「、・・・・」
体が固まった。振り上げた手をそのままに、ぎこちなく背後を振り向く。
「――あんたっ、」

そこには。
今、もっとも逢いたくない人物が不機嫌そうに立っていた。



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