Prince of water〜あの頃。/ ep.2


「棗くん、」
委員長が反射的に道をあける。
棗は、大袈裟に息を吐いた。
「道のど真ん中で大声出してんじゃねーよ」
「べ、別に、大声なんて」
「さっさとそこどけろ」
「な、アンタって、なんでいつもそう、」
「ゴチャゴチャうっせーんだよ、ブス」
「なんやて―――!」
蜜柑が今にも食ってかかりそうな勢いで、きーっと目を吊り上げ、睨んだ。本当にこの男はいつもいつも一体何様なんだ。
「ふたりとも落ち着いて、」 委員長が慌てた。
「落ち着いてねーのは、このオンナだけだ」
「ええ加減に」
「と、とにかく」 委員長が間に入った。「あああ、そうだ、棗くん、明日のドッチボール大会よろしくね」
冷や汗をかきながら話題を変えようと頑張っている。
棗は一瞬どうでもいいような顔つきをしたが、委員長の努力を汲み取ったのか、ああ、と小さく返事をした。
「アンタのクラスになんか、絶対負けへんから」
蜜柑は不本意な顔つきで道をあけながら、呟くように言った。棗は鼻で笑うと、せいぜいそのブス面にボールがあたらねえように頑張れと言い放ち、蜜柑の横を通り過ぎた。

「あーーー、むっちゃ腹立つ」
蜜柑は棗の背中にむかって舌を出した。委員長はまたもや苦笑いをしている。
「だからあんな奴と同じ塾は嫌やったんや。早速気分悪いわ」
「棗くん、」 委員長は歩き出しながら言った。「確かに口は悪いけど、クラスをまとめるのが上手みたいで、頼りになるしかっこいいしで、かなり人気があるって話だよ」
「あいつが?信じられへん」 蜜柑は口を尖らせながた。「ウチにはあんな態度とるくせに」
「それは、」
「ん?」
蜜柑は委員長の顔を覗き込んだ。すると彼は、何かを言いかけるようなそぶりをしたが、すぐに小さくかぶりをふった。
「なんでもないよ」
「なに?言うてー」
「ごめん、本当になんでもないんだ。気にしないで。あ、それより少し急がないと、もうすぐで塾始まっちゃうよ」
委員長は時計を見ながら、急ぎ足で進んだ。
「う、うん」
蜜柑は肉眼で確認出きるほどの距離にある塾の看板に目をやると、委員長の背中を追いかけるように後をついていく。
委員長、何がいいたかったんやろ?
蜜柑は内心で首をかしげた。だがそれは長くは続かなかった。沸々と湧き上がる棗への怒りですぐにもみ消された。
腹立たしさが半端ない。塾内でもクラスが違うのが唯一の救いだ。いつまでこんなことが続くのか。
蜜柑はため息をつきながら、傘の隙間から空を見上げた。
雨はまだやみそうにない。






「嫌味なくらい晴れたわね」
親友が小手をかざし、眩しそうに目を細めている。
「ホンマや、何もこんなに晴れなくても、」
「普段の行いがいいんじゃない?」
蛍は意味ありげにニヤリと笑った。蜜柑は、すかさず誰の?とツッコミを入れる。

雲ひとつない青空が広がっていた。
昨日の雨が嘘のように、カラリと晴れ渡り、太陽がじりじりと照りつけている。
そして校内ドッチボール大会が行われようとしている校庭は、遮るものが一切なく、気温の上昇とともに地面の照り返しがひどくなった。汗が噴出すほどの熱が放射されている。
「それよりもアンタ、」
「へ?」
「顔色悪いわよ」
蛍は冷めた口調で言った。一応これでも心配はしてくれている。
「平気や」
蜜柑は、額から次々ながれる汗をタオルで拭いた。蛍の言うとおり、実は体調がとても悪い。昨日の雨のせいか、今朝起きたときから体がだるい。
「あんまり張り切るからよ」
「別に、張り切ってなんか」
「・・・・・・・・」
蛍は、じっと蜜柑を見つめた。しようがない子、とでも言いたげな顔つきだ。
「・・・ちょっと、水飲んでくるな」
蜜柑はその顔に力なく笑いかけると、校舎へと続く階段を上った。ここで水分を補給しておかなければ、冗談抜きで倒れてしまいそうだった。

ふらふらと水飲場へ向かい喉を潤していると、ふと気配を感じた。目線を動かすと、ひとつ間をおいて棗が同じく水を飲んでいた。思わず、ぎゃっと声がでる。
「色気のねえ声」
棗は水を止めながら、昨日と同じ顔で呆れたように言った。
「あんた、どこから、」
棗は面倒くさそうに、体育館の方へ目をやった。そして地面に置いてあるボールを拾いあげた。
「なんやもう、朝からアンタと鉢合わせだなんて、縁起悪っ」
「それはこっちのセリフだ」
「失礼な、いっつも疫病神みたいに変なタイミングで現れるのはアンタやろ」
蜜柑は蛇口から溢れる水に構わず、抗議した。すると棗は鼻で笑った。
「馬鹿か。何勘違いしてんだよ。おまえがオレの行こうとするところにいるんだろうが」
「は?」 蜜柑は目を吊り上げた。「アンタ、何言うてんの?」
「そんなことにも気が付かなかったか」
「ちょっ、ホンマに、何訳わからんこと」
棗はふたたび鼻で笑った。蜜柑の横を通りすぎていく。
一方的な言い草。いつものごとく沸々と湧き上がる怒りを抑えられず、すうっと息を吸い込んだ。
「コラ、待たんかい、誰がアンタの行こうとしてるところなんかに、」
大声で叫んだ。だがそのとき、視界が歪んだ。一瞬目の前が真っ暗になる。
――― なに、
だがボールの弾む音が聞こえ、ぱっと目の前が開けた。
「蜜柑」
何度か瞬きをし焦点を合わせると、棗と目が合った。
「・・・え、ウチ、」
何が起きたかわからずに視線を彷徨わせると、棗の両腕が、蜜柑の体を抱き寄せるように支えている。
「わあ、」 棗の手を振り払い、ぱっと後方へ飛び退いた。「な、なに、」
「・・・・・・・・」
棗は黙っていた。だが蜜柑の態度に、やや不本意な雰囲気が漂っている。
気まずさを感じた。驚きのあまり手を振り払ってしまったが、おそらく彼は倒れそうになった自分を支えてくれていた。
「あの、・・・」
棗は、ふたたび地面に転がったボールを拾い上げた。そのまま背を向け立ち去っていく。

(・・・蜜柑)

蜜柑――――。名前で、
名前で、初めて呼ばれた。いつもブスとか、水玉とか、そんな変な名前で呼ぶくせに。

両手で二の腕を抱えた。棗の腕の感触が残っていた。気がつけばいつもより心音が大きく感じる。
これは体調が悪いせいだろうか。
蜜柑は紛らわすように、未だ水が溢れ続けている蛇口に向かい、もう一度水を含んだ。
喉が熱い。体も先ほどより火照っていた。症状が、悪化している・・・?

そんな蜜柑の悪い予感は当然のごとく的中した。
試合開始後まもなく、棗にボールをあてられ、そのままふらりと倒れた。




To be continued.




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