かりそめの恋/stage 2


季節は、秋から冬へと移行しようとしている。

見事なグラデーションを誇っていた街路樹の葉も、今は殆どが地面を彩る絨毯へと化していた。
僅かな風が吹きぬけるたびに、ベンチに座る蜜柑の足元の葉が、乾いた音を出す。

 ――― 棗、大丈夫やろか。

ぼんやりとその葉の寂しげな音を聞きながら、蜜柑は思う。
今、どんなことしてるんかな。外の仕事って、何なんやろ? また危険なことしてるんやろか・・・。
ちゃんと、食事はしてるんかな。眠る時間は・・。
考え出したらキリがない。
そしてそれと比例するように、言い知れない切なさが胸の中を侵食していく。

ウチは棗のこと、何もしらんのやな―――。

聞いたところで、教えてはくれない。いつも、心配するなとはぐらかされてしまう。
だとすれば、周りにも口止めしていることは必須で。ルカに聞いても、同様に教えてはくれないだろう。自分には言えないくらい、酷い任務をこなしているとしたら。
知らないという事実が、時として蜜柑をたまらなく不安にさせる。
逢えなくなれば、なるほど。
結局自分は、棗に何もしてやれない。傍にもいてやれない。電話で声を聞かせても、リラックスさせるところか逆に不機嫌にさせてしまう。

蜜柑は、やりきれない想いを抱えたままベンチにもたれかかり空を見上げる。
陽が落ちかけている空は、青の残像を僅かに残しながら薄紫色へと変化していた。
そっと、手を伸ばす。

―――― 高すぎるわ。・・・まるで棗みたいやな。

涙がこぼれ落ちる。

あかんなあ――。

歪む空を見つめていた。ただ、ぼんやりと。
すぐ傍で、枯葉を踏みしめる音が近づいていることに気が付きもせずに。

「・・・佐倉さん?」

近くで声がし、蜜柑は、はっとする。
「す、すみません」
相手の顔を見ないまま、頬を軽くこすり、直ぐに立ち上がる。
「・・・いえ」
「あの、・・久遠先輩ですか?」蜜柑は、顔を俯き加減にしたまま訊ねた。
「そうです。・・・大丈夫、ですか?」
久遠が心配そうに訊く。その雰囲気を察した蜜柑が慌てる。
「すみません!全然大丈夫です。あっ、これ」思い出したかのように、手に持っていた携帯を渡そうと顔をあげた。
が、途端に蜜柑の目が大きく見開かれた。

「な、」
棗・・・?

目に入った高等部生の姿は、あまりにも見知った顔をしていた。

「・・・驚かせてすみません」久遠が申し訳なさそうに言う。

目前にある信じがたい光景に、蜜柑は愕然とした。

なんでや。
うちは何を見とるん?誰・・・?

「棗くんと似てますか?」久遠が、困惑ぎみな笑みを浮かべる。
「・・・はい」蜜柑は、半ば惰性的に返事をした。
「でも、よく見ると違うんですよ」
例えばここ、と彼は瞳を指差す。色は深い緑。そして優しげに和んでいる目元は、厳しさを宿しておらずどこまでも穏やかな感じだ。
だが、それ以外のところ、つまり顔立ちや髪型は棗そのものだった。
「あの、・・すみません。ウチ、一瞬混乱して・・」
蜜柑は彼を直視していられず、やや視線をずらした。
「いえ、誰でも最初は驚くんです。特に、あなたはびっくりしたでしょう」
「・・・・・」
久遠は、今だ衝撃から立ち直れずにいる少女を見て、柔らかく微笑んだ。
「寮まで、お送りします。もうすぐ陽が暮れてしまいますから」
すると、先へと続く道筋に手を差し伸べ、蜜柑を誘導するようにゆっくりと歩き出した。

 心臓が破裂しそうや・・。

蜜柑は、最初に彼を見たときから、心臓が一気に高鳴っていた。それが今も止まらない。
こんなことってあるのだろうかと信じられない気持ちと同時に、何故今まで、棗に瓜二つの先輩が存在していることが一度も耳に入らなかったのかが不思議だった。
ここまで似ていたら、かなり有名になるだろう。
しかも、蜜柑のことを知っているような雰囲気だ。
ちらりと隣を見る。
久遠の横顔は、正面にも増して棗そのものだ。整った鼻筋に、無駄のない顎のライン。サラリとした黒髪に、耳には棗とはちがうピアスをいくつかしていた。
すると彼が、クスリと笑う。
「そんなに見つめないで下さい。穴があいちゃいます」
「すっ、すみません」蜜柑は慌てて、前を向く。
「冗談です。謝まらないでください」
「はい・・・」
薄暗がりの中でもわかってしまうのではないかと思うほど、蜜柑の顔が赤くなる。
「噂どおりだね」久遠が、少女の顔を少し覗きこんだ。「棗くんの彼女は、かわいい人だ」
「えっ・・・いや、そんな」
蜜柑は彼の言葉をどう受け止めていいかわからず、それを紛らわせるために先ほどから思っていた疑問を勢いに任せて口にした。
「あ、あの、棗はともかくとして、ウチのことも・・知ってたんですか・・?」
「少しだけ、だけどね」
それって、どんなことですか、と蜜柑が訊こうとした矢先、久遠が足をとめた。
前方に視線を据えている。
「先輩・・?」
「本当は、寮まで送って差し上げたかったのですが、どうやらあなたの大切な人がこちらに向かっているようです。残念ですが、・・・ここでお別れです」
そう突如言い始めた彼は、少し寂しげな顔をしていた。
「大切な人って、」
「・・・すみませんが、電話を受け取ってもよろしいですか?」
「え、・・・・わわっ、ごめんなさい!」
蜜柑は、いまだ握り締めている電話に漸く気が付き、渡そうと慌てて手を出した。
だがその手を、久遠が軽く引き寄せる。
蜜柑の体が近づき、肩先が胸のあたりにコツンとあたった。
「先輩?!」
驚いた声をあげる蜜柑を他所に、彼は耳元に少しだけ顔を寄せた。

「ずっと、君に逢いたかった」

―――― ずっと

久遠は、微笑みながら、そっと手を放した。
蜜柑は、その姿に陶然となる。
「・・・本当にありがとう」
彼は、手のひらから携帯を受け取った。


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