かりそめの恋/stage 1


「せやかて、そんなつっけんどな言い方せんでもっ、・・・」

陽が傾き、夕暮れがあたりを支配し始めた放課後の帰り道、棗と携帯で話をしていた蜜柑が急に黙り込んだ。隣にいた蛍が、不思議そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「切られた・・・」蜜柑が電話を耳から外し、力なく言う。
「この頃、随分と不機嫌のようね」
「疲れてるんかな、言い方もキツイし、何かイラついてる感じなんよ」
「相変わらず、身勝手な男ね」蛍は冷たく言い放つ。
「棗、この頃むっちゃ忙しそうなんや」
殆ど会われへんし、そう言う蜜柑の横顔は淋しそうだ。
蛍が軽くため息をつく。
「要するに、あんたに甘えてるのよ」
「甘えてる?」
「キツイ言い方するのも、不機嫌そうにするのも、笑い顔を見せるのも、全部あんたの前だけだってこと。それはあんたにしか見せない、本当の棗君なのよ。だから心配することなんてないの。全く、そんなふうにしか甘えられないなんて、不器用な男」
どこか棗のフォローをしているような感じにも受け取れる蛍の発言に、蜜柑が少し笑う。
「なによ」
「なんでもあらへん」
蛍は、自分を不安にさせないように気遣ってくれている、蜜柑はその親友の優しさが好きだった。

棗とはもう約二週間近く会っていない。校内で、ちらりと姿を見かけることはあっても、顔を合わせて話すことはなかった。内、外問わず仕事が入っており、夜も寮に帰ってきているかどうかすらわからない。先ほどのように、たまにかかってくる電話も手短に用件だけを言い、様子を聞こうものなら不機嫌極まりない雰囲気で言い返される。
こんな時に冷たくされるのは、正直辛いもの以外何者でもない。ひどく切ない。

―――― 逢いたくて仕方がないのに。

だが、彼の状況を考えると、どんな状態であれ落ち込んでなどいられない。自分がそんな調子では、周りも心配するからだ。
「ウチは、大丈夫や、」蜜柑が、笑みを浮かべる。
「ブサイクな笑い方ね」
「なんやて?」
「今更あたしの前で、そんな顔見せたってダメよ」蛍は、呆れた様子だ。
「・・・・・」
「あんまり気を遣うんじゃないわよ。気を抜く場所も必要だって言ってるの」
「蛍・・」
蜜柑は、彼女の思いやりが身に染みて嬉しかった。口は悪いが、やはり頼れる親友なのだ。
「ありがとうな、」蛍、と言いかけた時、再び携帯の着信音が鳴った。
「あら、案外早かったじゃない」
「あれ、・・・ちがうわ。この音、ウチの電話じゃあらへん・・あ、」
蜜柑が声を上げたのと蛍が数メートル先に落ちている携帯電話を見つけたのが、ほぼ同時だった。蜜柑が電話の元へ小走りに駆け寄り、急いで拾い上げる。
「・・・出るの?」蛍が訊く。
そう言われて、蜜柑は寸秒躊躇したが、落とし主かもしれへんから、と言うと直ぐに着信ボタンを押した。
「・・・はい」
ほんの少し間があったが、すぐに「あの、すみません」という男性の声がした。
『その電話の持ち主なんですが、どの辺に落ちていましたか?』
「ええと、中等部の校舎を出てすぐの道です」
蜜柑は、申し訳なさそうに、だが穏やかな声音を発する持ち主に対して応えた。
『拾っていただいて、ありがとうございます。すぐ取りに伺いますので』
「わかりました。ええと、お名前は?」
『久遠俊介と申します。高等部の二年です。失礼ですが、』
「佐倉蜜柑です。中等部生です、」
『えっ、・・・・』
電話の向こう側が、一瞬沈黙になる。何かに驚いているような雰囲気だ。
「あの、」
『・・・っ、すみません』 男性が我に返る。『では、お手数かけますが、よろしくおねがいします』
「はい、待っていますので」 少し首を傾げながら電話を切った。
「取りに来るの?」
「うん。だから、ここにいなあかんから。蛍、先帰ってて」
「で、誰だったの?」
「久遠、俊介?っていう、高等部の先輩や」
「久遠・・俊介?」
蛍は、その名を聞いて何やら考え込んでいる。
「・・?どないしたん?」
「どこかで聞いたことがある名前だと思って、」
今度は、怪訝な雰囲気が漂っている。
その様子を見て、蜜柑が、やや慌てる。
「心配せんでも大丈夫や。電話渡したら、すぐに帰るし、」
「・・・そう、わかったわ」
蛍はそう言いながらも、やはり腑に落ちないといった表情をしていた。
だがそれを振り払うかのように、ひとり寮へと続く道を歩きだした。


だいぶ先を進んだところで後ろを振り向く。
蜜柑の姿は、もう見えない。
蛍は、歩きながら先ほどの高等部生の名を何度も反芻していた。
確かにどこかで聞いたことがあるのに、何かがひっかかり、今ひとつ思い出せない。
・・・・・それにしても。
偶然の出来事とはいえ、他の男に逢うなんて―――
そんなところを棗に見られたら、どうなることか。ささいなことで今まで何度も揉めているというのに。自分が代わればよかったのか、と蛍は少し後悔する。
嫉妬深い棗の性格は、恋人ではなくとも充分熟知している。蜜柑への半端じゃない愛情を目の当たりにしたのは数え切れないほどだ。
だが今、彼は恐らくこちらには来ないだろう。いや正確には来られないのだ。
新しいセクションが立ち上がり、その任務に追われているという話を先日ルカから聞いたばかりだ。したがって、本部にいるとしても校舎に近づく可能性はないに等しい。
―――― まったく、何でこんなに心配しているんだか。過保護すぎ。
少女はかるく頭を振りながら、自嘲気味の笑みを浮かべた。
だが次の瞬間、唐突にあることを思い出す。

久遠、俊介――――。

忽ち表情が険しくなる。
――――マズイわね。まだ間に合うかしら。
蛍は直ぐに踵を返す。
だがその意は、目に飛び込んできた不運によって、いとも簡単に崩された。

「・・・蜜柑は、一緒じゃないのか?」
 


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