Misfortune / 君の笑顔があれば


「佐倉、」
うずくまっていた蜜柑は、姿勢をそのままにゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫?」
ルカの問いかけに応えるように、彼の方へ焦点を合わせる。
「・・・ルカぴょん?」 虚ろな声。
「どうかした?具合悪い?」
ルカが心配そうに屈みこんだ。すると蜜柑の表情に変化が起きる。安心したように顔を綻ばせ、
それは忽ち笑顔へと変わっていく。
「ルカぴょん、」
「大丈夫そうだね、よか、」
ルカの言葉が途切れたのと、辺りが一瞬ざわめいたのが同時だった。
「―――― 、」

我が目を疑った。
蜜柑がルカに抱きついている。
屈みこんだままの状態で、左右の腕をルカの首に絡めていた。

「佐倉さんっ、ちょっと、どうしたのよ」
正田が動転している。
「さ、佐倉?」
ルカもひどく焦っている。こちらへ困惑した視線を送るも、一点に留まることができないほど、
ひどく慌てている。両手にいたっては、どう置いていいかわからずに所在無げに空を彷徨っていた。
「ルカぴょん、どうしたん?なに慌ててるんや?」
蜜柑がルカの肩に頬を摺り寄せながら言う。彼女にいたっては、たいして取り乱していない。
いや、全くと言っていいほど。
「棗、」
どうしたら、という暗黙の問いかけに体が動く。目の前で起きている事態にやや硬直状態に
陥っていたが、自身の名を呼ばれたことにより、漸く解き放たれる。
「蜜柑」
傍へ行き、彼女の腕を掴む。だが。
「何するんや、触わらんといて」
キっと睨んでくる。そして、
「性悪男、邪魔せんといて。イヤミキツネ」
「―――――、」
―――― 性悪男?イヤミキツネ・・?
すぐには言葉が出なかった。教室中がどよめく。
「おまえ、」
「おまえなんて気安く呼ぶのもやめてくれへん。ウチはアンタの顔を見るのも、声を聞くのもごめんや」
蜜柑は、更にルカに密着するように抱きついた。
―――― 何が、
自分にしては珍しく上手く頭が働かない。軽いショック状態。
こいつは何を言っている?異常事態。原因は、
「おい、・・今井」
冷ややかな声を出した。
「小瓶の中身は何かって?」
言いながら、近寄ってくる。瞳を動かせば、辟易した様子で、冷めた目をしていた。
「瓶の中身は、空のはずだ」
「そうね。でも、そうじゃなかったみたいね」
「どういうことだ」
「それを聞くなら、」
目線が、傍にいる小笠原の方へ動いた。彼女はかなり青ざめた顔をしている。今にも倒れそうだ。
「小笠原さん、これ、」
今井が転がっていた小瓶を拾いあげる。
「いつもの、技術系の部屋の、未使用空瓶が置いてある棚から持ってきたんだけど・・」
小笠原が言った。
「と、言うことは、」
今井は蜜柑に近付き、彼女の腕を引き上げる。離れなさい、と一言いうと、蜜柑は一瞬淋しそうな表情をしたが、従順に手をほどいた。ルカがホッとしている。
「技術系の誰かが、間違って使用中の瓶を置いたか。普通はそんなことありえないんだけど、」
「前置きはいい。この薬には、何が含まれている」
すると小笠原が今にも消え入りそうな声で言う。
「多分、愛憎薬と惚れ薬が、・・」
「愛憎薬と惚れ薬・・?」
小笠原が頷く。
「惚れ薬は、一番最初に目に入った人を好きになってしまう薬で、愛憎薬は、飲んだ人が一番に
想っている人を嫌ってしまう薬で、」
「・・・・・・・・」
思わず天を仰いだ。
「その薬を作ることに、何の意味がある」 軽いめまいを感じる。
「色々な試薬を作ることは、日常茶飯事なのよ。そこから変異を起こして、新薬が出来る可能性もある。何でもかんでも作ってみるのが、技術系なの」
今井が助け舟を出した。
「どうしよう、」
小笠原は、ガクガクと震えんばかりに自身と蜜柑を交互に見つめた。
顔を顰めた。彼女が悪いわけではないことはわかっている。これは事故だ。しかし、
「なん、どうしたん、野乃子ちゃんも蛍も。薬がどうのこうの言うて。ウチは何でもあらへんで」
蜜柑が不思議そうな顔をしながら、ルカの腕に絡みついた。そして自身と目が合えば、
キツイ視線とともに、顔を逸らす。
「・・・・・、」 
迫るような焦燥感。もともと耐性に乏しい神経が、ミシミシと音を立てている。

いったい、これはいつまで、

「薬は、いつ切れる」
再び冷ややかに訊く。
「あの、・・調合された薬がどのくらいで切れるのか、調べないとわからないけれど、それぞれに
考えれば、一日で切れるはずで、・・でも、もしかしたらもう少し長い可能性も」
「いずれにせよ、待つしかないわね」 今井が淡々を言う。「蜜柑自身の健康には問題ないわけで、
不都合なのはこの劇をこれ以上続けるのが困難になったということと、棗君自身の意にそぐわない状態になったというだけ。ルカ君は、昔好きだった彼女とよろしく出来るわけだし、とにかく薬が切れるのを待つしかないわよ」
サラリと言った。うっすらと笑っているようにも見える。そのどこか、この状況を楽しんでいるような
態度に、神経が切れかかる。
「・・てめえ」
「あら、言いがかりならよしてよね。ジタバタしてもしようがないって言っているだけよ。それとも、蜜柑がこのまま戻らないんじゃないかって、不安に思っているのかしら?随分と、気が小さいこと」
「と、とにかく、」
今までことの成り行きを静観していた飛田が、慌てたように割って入る。
「今日は、これでおしまいにして。明日、蜜柑ちゃんが戻ったら、またやり直すということにしよう。
棗君、蜜柑ちゃんは必ず戻ると思うから、今日は、」
精一杯、宥めすかしている。
「・・・・・・、」
周りを見れば、皆が納得の表情で頷いている。そして二人を見れば、ルカは申し訳なさそうに顔を歪め、蜜柑にいたっては今だ状況を理解出来ないような雰囲気だ。そのアンバランスさが酷く目に余った。

―――― 馬鹿馬鹿しい、

最初から最後まで、人を振り回しやがって。
やはりこの劇は鬼門だ。特に自分にとっては。

『ウチはアンタの顔を見るのも、声を聞くのもごめんや』

ズキリと突き刺さった言葉、腹立たしくて仕方がない。あんなセリフを聞かされるとは、いったい誰が想像しただろう。薬が言わせているとはいえ、かなりの衝撃を受けた。それは恐らく、自分が感じている以上のダメージだ。

ひとりひとりが、片付けに入る。
ここから一日が、どれだけ長い時間となるのか。

到底、想像もつかなかった。





カチカチと針が動く音が、やけに気になった。
暗闇の中、瞼を開け、音源の時計を見る。まだ11時だ。何度同じ動作を繰り返しただろう。
数え切れない。
別に眠いわけではなかった。だがこれ以上起きていても、何をする気力もなかった。

あれから夕刻に、食堂で蜜柑と顔を合わせた。
彼女の雰囲気は、やはり変わらぬままで、目が合うと嫌そうに顔を顰めていた。
そして自身を避けるように、遠く離れた座席へと移動したのだ。
その有様を見て、一気に食欲が失せた。そのまま踵を返し、部屋へ戻った。
ルカをはじめ、クラスの奴等が様子を見に来たが、ドア越しに片言の会話を交わしただけで
部屋から出ることはなかった。

――― 明日になれば、

あの笑顔が、声が、聞けるのだろうか・・
子犬のようにはしゃぎ、鬱陶しいほど明るいあの姿が戻るのだろうか。

『棗、大好きや!』

線の細い髪をふわふわと揺らし、何の躊躇もなく胸に飛び込んでくる体を 抱きしめることが
・・・出来るのだろうか。

蜜柑。

気が付けば、体が動いていた。


音を立てないようにベッドに近付く。
目の前には、すうすうと寝息をたて、幸せそうに眠る恋人の顔。
情けない笑いしか、出てこない。
人の苦労も知らずに。

今なら、眠っている今なら、拒否されることはない。
だから。

頬に触れた。滑らすように、髪を撫でる。
「・・・蜜柑、」
低く、闇に溶けてしまうほどの声で呼べば、彼女は、ほんのりと微笑んだ。
・・・どんな夢を見ている?
すると蜜柑の口が動いた。何かを言っている。だが、その動きはあまりにも弱く。
言葉を判断するまでには、いかなかった。

――― 棗。

蜜柑。
俺はここにいる。

肌がけから出ている手を、中へ入れてやった。
そして、・・

わずかに開いた唇に、そっと口付けをした。


結局、昨夜は夢現を彷徨っていた。
どんな夢を見ていたかなど憶えてはいない。ただ、今までにない体験に気持ちが安らぐことはなかった。
閉じたれた瞼から明るさを感じた。重々しく開ければ、室内はいつもの朝と変わらない光で満たされていた。

だるい身を捩り、寝返りをすべく体を傾ける。
刹那、目に入ってきた光景に動きが止まった。

「・・・・・・・・、」

ベッドに腕を投げ出し、その片腕に顔を載せ、眠る蜜柑の姿。
まだ、・・寝着のままだ。
――― なぜ、・・いつの間に、
立場上、気配には人一倍神経を尖らせているはずが、・・気が付かなかった。
どうやら精神的に追い込まれた状況では、自分は隙だらけらしい。
――― 起こすべきか、
薬はまだ切れていないはずだ。だとすると、ルカと間違えているのか。いや、間違えているといった
表現はおかしい。この薬が巻き起こした状況自体が間違いであるのだから。
目が覚めた時の蜜柑の反応など、見たくはない。冷たい視線を向け、罵倒する姿など。
だが勝手に目を覚まし、現況を把握するや否や、大騒ぎされるのもたまらない。
なら。
「おい、・・蜜柑、起きろ」
投げ出された腕を掴み、軽く揺らす。
「・・・ん、・・」
すると蜜柑は、頭を浮かせる。
「誰の部屋に来ているのか、わかっているのか?」
その言葉に蜜柑が顔を上げ、こちらを見た。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
蜜柑の目が見開かれた。途端に、相好が崩れ始める。
「―――― 、」
しかし次には、彼女の体が勢いよく、自身めがけて飛び込んできた。
「-―― 棗・・!」
その体を受け止める。
「・・っ、」
「よかった、」
ぎゅっとしがみ付いてくる。
「おまえ・・・・、戻ったのか?」
蜜柑がそのままの体勢で、頷く。
「昨日の夜、蛍がちゃんと理由(わけ)を説明してくれて、解毒剤を飲ませてくれたんや、せやから」
「解毒剤・・・、」
体を離した。
「おまえ、その説明飲み込んで、よく解毒剤なんか。昨日は、とてもそんな状態じゃなかったはずだ」
「うん、・・」 蜜柑が、きまり悪そうに俯く。「実は最初は、結構抵抗したんや。せやけど、蛍がな、
あることを言うて、」
「あること?」
「ウチが想うてるのは、・・ルカぴょんやないって。解毒剤を飲んで、確かめればいいって」
「・・・・・・・」
吐息が零れた。
余計な、仮を・・、
「棗、・・・」
「・・・・?」
「ウチのこと、嫌いに・・なってへん?なんや昨日は、すごいこと言うてしもうて、・・せやから、
目が覚めてから、むっちゃ気になって、・・つい来てしもうたんや」
不安げな双眸。所在なげな雰囲気。
「・・・・・・・」
・・・たく。
おまえじゃねえか、俺のことを嫌っていたのは。
どれだけの想いをしたと思っている。
「嫌いだ」
「え、」
その体を、強く抱きしめる。
「ルカを好きなおまえなんて。あんなことは、二度とごめんだ」
「なつ、・・」
そのまま体を、ベッドに寝かせる。
「そんなおまえなんて嫌いなんだよ」
「・・棗、・・ごめんな。許してな・・」
わずかに微笑んでやる。
すると蜜柑もまた、いつもの笑顔を見せた。
昨日のことなど、嘘のように。
「なあ、・・」
「・・?」
「昨日の夜、ウチの部屋に来てくれた?」
「・・いや」
「なんや、・・夢やったんかな」
少し残念そうだ。
「なんだ・・?」
「アンタが来てくれたような感じがしてな、その・・めっちゃ優しくて、・・」

次の言葉を言わせずに、キスをした。
あの時と同じように。
愛おしく、甘く。

夢のつづきは、今から。



数日後。無事に送迎の会は行われた。
異色の組み合わせやバカな話のせいで、有り得ないほど盛り上がり、夫婦が何かと絡み合うシーンは、特に笑いを誘った。

「あはは、何か僕たちオカシイー」
気の抜けた笑いをしながら、ルカを抱きしめていた心読み。相変わらず青ざめていたルカは、最後にはネジ切れのような妙な笑みを浮かべていた。 彼はある意味、一番の被害者かもしれない。
こんな親友を見るのは、恐らく最初で最後だろう。

そして殿内と正田にいたっては、
「ちょっと、どこ触ってんのよ、エロ教師!」
「いいじゃん、夫婦なんだから」
「ぎゃーセクハラ男!」
と訳のわからないアドリブまで入り、会場を沸かせていた。
こいつらの組み合わせは、案外当たりだったのかもしれない。

「もう、こんなに楽しく盛り上がって、僕の作った話って素晴らしいね」
―――― 殴ってやろうか
渦中の台本作成者鳴海は、殆ど練習を見ていなかったせいもあり、かなり感動し、大満足した
様子だった。奴の能天気ぶりに思わず力を使いそうになったが、今はタイミング的にそぐわないので、あとで仕返しをすることで気持ちを押し込めた。

当初から波乱含みで始まったこの会。一時は開催も危ぶまれたが、最後は大成功という形で
幕を閉じた。


そして、その後の打ち上げ。


去り行く生徒との別れを惜しんでいる蜜柑を眺めていると、今井が近寄ってきた。
両手には食い物を持ち、相変わらずの格好だ。外見だけであれば、かなりの線だというのに。
この女は、つくづくわからない。

「あの薬、下手したら、元に戻らない可能性があったのよ」
「・・・・・・・・」
チキンをほお張りながら、モゴモゴと続ける。
「調べたの。過去に似たようなことがなかったか」
「・・それで?」
「あったわ、今回と同じパターンが二件ほど。結果は、一人は解毒で戻ったけど、一人は手を尽くしても戻らなかったらしいわ」
「原因は?」
「わからない。ただ、飲んだ本人が有しているアリスにより、突然変異を起こした可能性は否定できないと記録されていたわ。だから蜜柑も五分五分だった」
「無効化が媚薬に効かねえなんて、馬鹿げた話だ」
「前にも似たようなことがあったじゃない。あの時は確か翼先輩に、」
「それ以上は言わなくていい」
切り捨てるように言った。すると今井が鼻で笑う。
「ミギワのステーキでいいわよ」
「・・・は?」
今井は再びチキンをほお張りながら、しれっと言う。
ミギワのステーキとは、セントラルタウンにある格式高いレストランのメインメニューだ。
「解毒の早さが功を奏したのは間違いないわ。感謝しなさい。仮は、それでチャラにしてあげる」
「・・・・・・・・」

抜け目のない奴。
こいつは、こういう女だ。
恩はしっかりと売る。

「楽しみにしているわよ」

立ち去る彼女の背中は勝ち誇ったような雰囲気を丸出しにしていた。

さっきの話が、真か否かは、判断は出来ない。
しかし、
・・・不本意だが、助けられたのは間違いない。

「棗、」

蜜柑が、こちらに向かってくる。


尾を振りながら、


最高の笑顔で。




fin



*あとがき*

昨年の5万打企画、読者さん参加型小説をまとめてみました(笑)改めて読み返すと、棗がとことん災難に陥っていて、 ああ、ごめんなさいという感じですが、皆さんと一緒に展開を作ることが出来たことが何より嬉しく、幸せでした。
ご参加下さった皆様へ、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました・・!

また、下↓のナビから例の「性別転換話」へ飛べますvv
初めての方へ・・このページのお話とは全く別の展開で作られている話が載っております(笑)
よろしければ、どぞw


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