Misfortune / 君の笑顔があれば


午後の教室は、酷く騒がしかった。

身を押し付けていた窓際の硬い壁から背を離し、凝りをほぐすように首を動かしながら喧騒を見やると、様々な衣装を身にまとう生徒達 でごったがえしている。
セットの準備にも余念がない。日常使用している机や椅子は隅に追いやられ、だだっ広い室内は、演劇の仮舞台へと 早変わりしていく。その様子を他人事のように見つめる。

今日は送別の会で披露するための劇の練習が、午後の授業をすべて使って行われるという。
年齢とともにアリスを消失する者は、この中等部だけでも年間数人発生し、その度に盛大に見送られる。その消失者自身の意を気遣い、 寂々とした雰囲気を打ち消す目的がそこにあり、今回の演劇については、満場一致で決まった結果であった。
無論、自分は例外であり、 つまり、この場所にいなくても良いのだ。
好きに過ごしていいと担任からも言われている。
だが。

『なつめ、なつめ、ウチもな、劇に出られることになったんや』
『・・・それが?』
『それがって、なんや無感動やな。競争率が激しくてなかなか役なんか回ってきいひん言うのに』

数日前の役決めの後、嬉しそうに顔を綻ばせ、報告をした蜜柑の姿が浮かぶ。
無関心そうな様子を隠そうともせずにいれば、忽ち拗ねたような 面持ちに変化したが、せいぜい足を引張らないように頑張れと、励ましているかどうか怪しい言葉をかけると、またいつものアホ面に戻った。 正直、何がそんなに嬉しいのか理解出来なかった。こういうことに全く興味がない自分にとっては、どうでもいい話なのだ。
ただ、・・・ 彼女の喜ぶ姿を見ているのは、悪い気はしない。

『ま、とにかくや。ウチ頑張るから、ちゃんと応援してな』

そんなことを満面の笑みで言われたからには、彼女の懸命な姿を見てやらねばなるまい。
いや、そんなことはただの口実だろうか。本当は自分自身がそうしたくて、しているのだろう。
素直じゃない性格は嫌というほど熟知しており、そんな自分に 心中で苦笑いする。どうしようもない。

――― そう言えばあいつ、何の役をするんだ?

ふと、考える。あまりに関心が低い為に聞くのを失念していた。そもそも話自体、まだどんなものか
判らない。何かの有名御伽噺をベースにした ものだと言われているが、はっきりしたことはわかっていない。脚本を手がけたのが今井であるということが、また恐ろしい。趣向が偏っている奴が 作る話なんて、どんなものか想像がつく。
蜜柑の役柄は、その辺の通行人や村人、動物の類か。なかなか回ってこないとボヤいているところを見ると、ギリギリで役に滑り込んだのだろう。 端役が目に浮かぶ。

教室のセットは、細かい部分まで準備が終わり、それらしい雰囲気に変わっていた。役についた生徒も、徐々にスタンバイしている。
しかし、・・・まだ蜜柑の姿はない。支度に手間取っているのか、来る気配を感じない。何をやっているのか。

硬い壁に再び背中を押しつけ、窓の外に視線を移した。だが刹那、教室のドアが勢いよく開かれる。反射的に目を戻した。
そして此方に向かってくる、ある姿に思わず息を呑んだ。


「遅くなって、ごめんな・・・!」

純白の美しいウエディングドレスに身を包んだ、蜜柑が駆け込んでくる。そしてこちらを見ると、
嬉しそうに微笑んだ。向かってくる。
「ちょっと、蜜柑」
蜜柑のすぐ後に入ってきた今井が、彼女を呼び止めた。
「どこに行く気?相手が違うじゃない」
「ああ、そやった!」
蜜柑は、何やら納得すると急に向きを変えた。ふわりとドレスが揺れる。その様を目で追う間もなく
今度は、恐ろしいものが目前に現れる。
まずい。
瞬時に身体が動く。いや、これは本能か。
「なつめく〜ん」
色物のドレスを着た正田が両腕を広げ、彼女独特の甲高い声をあげながら向かってくる。
「なつめく〜んっ、うぐ」
抱きつかれそうになる寸前、身をかわす。すると障害物がなくなった正田の身体が、べちゃりと窓に
あたる。顔にいたっては、頬が圧され、真横から見てもかなり悲惨だ。
「もぉ、なつめくんったら、テレ屋さあんなんだからりゃ」
「・・・・・・・・・」
・・・勘弁しろ。
呆れたようにため息をつくと、また入り口付近が騒がしくなる。同時にどよめきが起きた。
入ってきたのは、金髪の・・・女、いや、あれは、
・・・・流架?

「きゃー流架君、綺麗」
「すっげー、女より女みてえじゃん」
「もう、めっちゃ、素敵!」

方々から様々な声が溢れ出る。確かに、・・長い金髪のウィッグをつけ、蜜柑と同系のドレスを着用している姿は、どうみても女にしか見えない。本人はこれまでにないほど青覚めていた。
顔には、なんでこうなるんだと書いてある。
「流架君、やっぱり適役だったわね」
言いながら正田が腕を絡める。眉を潜めた。普段から黄色い声をあげているが、ここまで積極的なやつではない。その後に何が起きるか、わかっているからだ。
「何のつもりだ」
不穏さを隠すことなく、低く問いかけた。それでも正田は、いつもより余裕顔で言う。
「もう、恋人にそんな顔しないの。ちゃんと役に入ってくれなきゃ、練習にならないじゃない」
・・・は?
役?何の話だ。だが次の瞬間、悪い予感が胸に広がる。利き腕で正田の腕を外した。ああん、という鼻に かかったような甘え声を出していたが、そんなことは当然お構いなしだ。そしてある人物を見やる。 目が合った。一部始終を見ていたのか、彼女は紫紺の瞳を揺らしながら、台本で口元を隠し、 明らかにせせら笑っている。

「・・今井、てめえ」
「勘違いしないでよ。あたる先が違うわ」
「どういうことだ」
「あたしは提出作品の期限が迫っていたから、今回の台本から降りたのよ。で、引き継いだのが」
今井の顔が動く。止まった先にいたのは、
「あ、・・・棗君、ごめんね」 飛田だった。彼は自身の不穏さを感じ取り、申し訳なさそうな顔をした。
「鳴海先生と台本を作り直していたら、どうしても配役が足りなくて。急遽、こんな形に」
鳴海と台本作り・・、くらりと眩暈がした。あいつが作る話なんて、今井以上にろくでもない。
不機嫌さを露わにした。正田の、恋人役?冗談じゃない。沸々と込み上げる、苛々感。・・・・待て。
と言うことは、
「―――――、」
ギリっと奥歯が鳴った。蜜柑の隣に立ち、いやらしい顔つきで手をひらひらさせながら、
こちらを見ている男。

「なんで、てめえが、」
近付き、地を這うような声を出し、睨みつける。
「人手が足んないって言ってたっしょ?だから俺も駆り出されたってわけ」
「だからと言って、なんでてめえなんだ」
「じゃあ殿先生以外に、他に誰が棗君の彼女の恋人役なんか引き受けると思うの?」
傍まで来ていた今井が、冷ややかな流し目を向ける。
「誰も怖がって引き受け手がいなかったのよ。いくら演技とはいえ、何をされるかわからないじゃない。 だからとって、リアルな恋人同士でこの劇をやるのもどうかって話になって、今回は異色の組み合わせにしたってわけ」
「異色・・?」
「そうよ、因みに流架君の相手役は、」 瞳がついっと動く。
「あはは、僕がやっちゃっていいのかな」
言葉を失った。心読みが、頭を掻きながら悪意のない笑いで言う。

・・・これは、明らかにミスキャストだ。突飛過ぎる。鳴海の仕業だ。
思わず額を、指で支える。

「・・なつめ、」 蜜柑が、遠慮がちに呼ぶ。「恋人役って言っても、棗はほとんどセリフがないんや。
ウチも盛り上がるように頑張るから、協力してな」 やんわりと微笑んだ。
「・・・・・・・」

わかってない。鳴海の台本というからには、恋人役同士で必ず何かがある。そしてその姿。
スクエアネックから垣間見える胸元、くびれたウエストの下に広がるレース調の甘い雰囲気のドレス。 どんなシーンから始まるか知らないが、自分以外の男の傍でそんな姿を晒して演技するのか。

気に入らない、
―――― こんなことは。


「さあ、早く練習に入らないと、時間がなくなるわよ」

今井がこちらをチラリと見ながら、声をかけた。ひとりの我侭など聞いていられないといった顔をしている。皆が、そわそわと動き出した。蜜柑も例外ではなく、気遣う表情をしながらも、準備に入っていく。殿内が後ろをついていった。

・・・気に入らない。本当に。

だが、確かにこの場で私情的な文句を言い、練習を中断させるわけにもいかない。
いくら堪え性がない性格でも、状況理解は出来る。

「棗君、」
隣を見やる。飛田だ。
「今日はとりあえず、棗君の出番はないから、安心して」
飛田が申し訳なさそうに、言う。
「・・・・・・・・・・・・」
目で頷き、しぶしぶ窓際へと戻る。やつに罪はない。恐らく。
ふと視線を感じた。黒板前の仮舞台。見れば、今井が皆に演技の確認をしている傍らで、正田が
少女漫画顔負けの煌めいた笑みを送っていた。 すぐに目を逸らした。
再び、憂鬱感が浮上してくる。
だが、そう感じているのも束の間、飛田の掛け声と共に演技が始まった。
正田をはじめとする数人の生徒が、花びらを撒き散らし始める。
すると、ルカと心読みが腕を組みながら、舞台袖から現れた。結婚式シーンか。
相変わらず青覚めている親友と、つかみどころの無い笑いを浮かべているクラスメイトの異質の組み合わせ。
つくづく鳴海も酔狂だ。
続いて現れたのは、
「・・・・・・・・、」
蜜柑と殿内だった。祝いの言葉に包まれ、寄り添うように腕を組み、ふたりとも笑顔を振りまいている。
こみ上げる苛立ち。
そして目に入ってきたのは・・・、

「な、棗君っ」
「わああ、誰か止めて、」
「棗くんっ、落ち着いて」

周りの声など、耳に入らない。気がつけば、掌には炎。
殿内が蜜柑の腰を抱き、顔を近付けていた。いやらしい手つき、かなりの至近距離。
-――― ふざけんじゃねえ、
無意識に体が動いた。どす黒い気を放ちながら舞台へ近付く。
「な、棗、ちゃうって、これは」
蜜柑が慌てている。
皆が身を引き道をつくった。
だがその時、どこからともなく何かが飛んできているのが視野に入った。
空気をかすめるような音。
瞬時に右手で捉えた。
あたりがどよめく。
飛ばされてきただろう方角にきつい視線を送ると、今井が冷ややかな顔で見ていた。腕には、
怪しげな機具を装着し、こちらに向けている。今にも二発目を発砲しそうな勢いだ。
「大人気ないわよ。棗君」
「・・・・・・・」
「あなただけじゃなく、みんなが何かかしら我慢しているのよ」
目線が動く。それを追えば、ルカに辿りついた。
「棗、・・・俺も頑張るからさっ」 泣きそうになっている。
「・・・・・・・・」
「なつめ、これは演技だから。な、そんな本気にならんと」
蜜柑も、ルカの隣に来て必死に訴える。 殿内にいたっては、やはり怒ったかという顔でしらじらしい笑みを浮かべていた。
「・・・・・・・・」
――― どいつもこいつも、
眉根に力が入る。利き腕を握り、無理やり気を押し込めた。背中を向け、出入り口へと向かう。
間際、唖然と状況を見ていた生徒の台本を、奪うように持ち去った。



全く・・知らないということは、これほどまでに恐ろしいものか。
そのまま寮へ直帰し、腹立たしさを抱えながら台本に目を通した。
絶句した。呆れる。こんなセンスのかけらもない、阿呆な話をよく思いついたものだ。

内容的にはいたって単純だ。ある町に住む3人娘。共に相思相愛で相手と結ばれるも、
土地に伝わる伝説を試そうという話が持ち上がる。それは森に眠るある秘薬を探すというものだ。
その秘薬をみつけ、口にしたものは永遠の幸せを手に入れられるという。 道中、様々な困難が待ち受けているが、彼女達はそれを乗り越え、ついに秘薬を見つけるのだ。

そして夫たちは日帰り旅行に出かけると言い残されたきり、揃いも揃って目的地を知らされていなかった。 だが、ある町人に森へ向かうところを目撃したと告げられる。それを聞き、ピンと来た彼等は、秘薬に潜む、もう一つの危険な伝説を伝えるべく、森へ向かうのだ。

夫婦がなんだかんだと絡みあうシーンは、最初と最後だった。蜜柑の先ほどのシーンも、しっかり入っている。最後は、・・ますますよろしくない。やはり鳴海が作る話だ。完全に楽しんでいる。
抱き合うのはもちろんのこと、キスもどきまで入っていた。蜜柑と殿内のことを想像すると非常に
腹立たしいが、自分が正田と・・それを考えると、悪夢を見そうだ。具合が悪い。
・・いっそのこと、
やはり、蜜柑と正田を替えればいい。
なんの支障がある。

リアルで、結構じゃねえか。

「棗、」
声と共に、ドアが開く。蜜柑だ。既に着替え、制服姿だ。
「やっぱり帰ってたんやね」
「・・・まだ、練習中だろ」
不機嫌に言えば、蜜柑は首を左右に振りながら、近付いてくる。
「今日のウチの出番は終わり。せやから、」
「機嫌とりか」
「棗・・」
蜜柑は困ったような笑みを浮かべ、目の前に立つ。別に彼女が悪いわけでも、困らせたいわけでもない。けれど、こんなところだけは、大人になりきれない。
「あの内容を知っていて、引き受けたんだろ」
「まあ、・・うん。せやけど、やっぱり演技やし。何より送り出す子たちが一番の主役で、楽しんで
もらいたいから、・・・せやから、・・ごめん」
蜜柑の瞳が、許しを乞うように切実に揺らいでいる。
「・・・・・・・・」
これじゃ、・・まるで、ただの駄々っ子みたいじゃねえか。
「代償は大きいぞ」
「・・え?」
蜜柑の腕を引く。

ふわりとした風圧と共に華奢な体が、ベッドに沈んだ。



しかし気が進まないということは、それなりに何かをはらんでいるものだ。

それから数日間の練習の後、予行演習が行われた。
配役にいたっては、手心が加えられた。相手役の交代。殿内と交換することになった。
理由は言わずもがな、正田がハンカチを噛みまくったのは、口に出すまででもない。

冒頭からスムーズに演技が進んだ。
そして迎えた最後の秘薬のシーン。止めに向かった夫たちが到着するまえに、妻たちがそれを
口にしてしまうというところ。
今日にいたってはそれらしくする為に、秘薬用の小瓶が用意されていた。そこで悲劇が起きた。

「佐倉?」
「ちょっと、佐倉さんっ」

最初に秘薬を含んだ蜜柑が、突如うずくまる。
様子が変だ。

「――― 蜜柑、」

近寄ろうとした刹那、

彼女の様子が、明らかに変わっていった。


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