静かに繰り返される呼吸と、穏やかな鼓動が好きだ。
いつものように、しなやかな腕が体にまわされると胸に耳を押し当て、瞼を閉じた。
・・・あたたかい。
触れ合っている部分から感じる彼の体温は、泣きたくなるほどに身も心も安らぐ。
同じリズムで息を繰り返しながら、徐々に体の力を抜いていく。
このままずっと、こうしていたいと。
何度思ったことだろう。
「なつめ、・・・」
囁くように名を呼んで、
胸の内で、大好きという言葉を響かせる。
彼の唇がやわらかく髪にふれた。
優しい・・。
腕(かいな)に抱かれ、夢をみる。
何もかも・・・許せる。
この時は、確かにそう思うのだ。
不満のひとつひとつなど、些細なことだと。
けれど、そう簡単に感情を処理できるのなら、誰も苦労はしない。
甘い空間がそれを一時相殺できたとしても、また同じことが繰り返されれば、元の木阿弥だ。
口が悪いのも、手が早いのも、キツネみたいな顔も我慢できる。
ただ一つ、納得がいかないこと。
彼は、絶対的に言葉が足りない。
正確には自分のことをあまり話したがらない。
誰よりも近い位置にいる恋人にさえも。
ノートの上を筆圧も高くシャープペンを動かすと、またボキリと芯が折れた。
カチカチと芯先を出し、続きを書きだせば、それはまた無残にも短命な末路を辿る。
再び同じ動作を繰り返そうとすると、抗うように何も出なくなった。
ふうと吐息をつく。
筆入れの中にある芯のストックを見れば、まるで逃亡したかのように一本も残っていない。
ぎりっと奥歯を噛んで、カラのケースをぎゅっと握った。
「佐倉、これ使って、」
首を動かせば、ひとつ間をおいて座る流架が、芯ケースを差し出している。
「流架ぴょん・・・」
彼は、上品な笑みを浮かべていた。しかしどこか心配顔だ。
「ごめん、・・・ありがとうな」
「大丈夫?」
その問いかけに、蜜柑の表情が歪む。苦い笑いが滲み出る。
「大丈夫やと言いたいんやけど、正直、腹立たしくて仕方ないねん」
「・・・病院には、行かないの?」
「黙って入院したんや。行く気なんてあらへん」
「佐倉・・・、」
流架が気遣うように見つめている。その雰囲気に蜜柑が慌てた。
「ごめん、なんや流架ぴょんに八つ当たりしているみたいやな」
流架はかぶりを振った。
「そんなのはいいんだけど、佐倉はそれでいいの?」
「・・・・・・ええんや」
蜜柑は力なく返事をした。
棗が誰にも告げずに黙って入院したのは、昨日のことだ。
彼がこうなるのは決まってその病が重症化した時だ。
ぎりぎりまで我慢し、
倒れる寸前にひっそりと病院へ駆け込む。
あのポーカーフェイスの下で、苦痛に耐えては何ごともないように過ごしているのだ。
毎度のことながら、蜜柑はそれに納得がいかなかった。棗の心配をかけまいとする気持ちは理解できる。
恐らく彼ゆえの優しさなのだ。けれど、恋人である自分にさえ隠そうとするその心情に、寂しさと腹立たしさを感じていた。
そしてそれにいつも気がつかずに、後手にまわる自分にもだ。
甘えて欲しいと、何でも話して欲しいと、切望することは、棗の思いやりを無下にすることだろうか。
我侭な思いなのだろうか。しかし何と言われようが、これだけは譲れなかった。
彼はもう一人ではないのだ。黙っていることが、相手のためになることばかりじゃない。
話してくれなければ、生まれない感情もある。それを彼はわかっていない。
「やっぱり納得いかへん!」
蜜柑がドンと、机を叩いた。
流架が驚いて、一瞬身を引く。
クラス全員が、いっせい後ろを振り向いた。
そのさまを見て蜜柑が、はっとする。
目線を下に向けながら、今が自習時間でよかったと密かに思った。
「結局、こうなるんや」
ブツクサと文句を言いながら、蜜柑は病院の廊下を足早に歩いた。放課後、彼女の足は自然と此処へと向かっていた。どんなに納得がいかなくても、意地を張っても、棗を心配する気持ちに変わりはない。
この廊下を歩いていると、いつも緊張で胸が苦しくなる。事前に大体の病状を聞いていても、
棗がどんな具合か確かめるまでは、心臓が忙しなく動き、ひどい時は指先までもが冷たくなるのだ。
―――― ひとの気も知らんと、
蜜柑は、ほぞを噛む。
もっと早く気がついていれば、もっと早く処置をしていれば、と思わずにはいられなかった。
日向 棗のプレートが出ている病室の前で立ち止まる。
深く息を吸いこみ、ドアを開けた。
「・・・・・・・・・、」
「・・・みかん?」
棗はこちら側に背を向け、ベッドに腰をかけていた。振り返るように蜜柑を見ている。
顔色は悪くない。
「おっかねぇ顔してんな」
棗が、からかうように言った。
その言い草に磨り減っていた神経が一本切れた。音も高らかにドアを乱雑に閉める。
ズカズカと近寄り、彼の目の前に立つ。
「具合は?」
顔を顰めたまま、訊く。
「見てのとおりだ。特に問題はねーよ」
棗がさらりと言った。
蜜柑が、棗の首筋に手の甲をあてた。
・・・熱い。
「どこが問題ないんよ」
「たいしたことない」
「なんで?なんでアンタはいつもそうやって、何も本当のこと言うてくれへんの?」
蜜柑の抗議に、棗がきまり悪そうに顔をそむける。
「黙って、ひとりで抱え込んで、今回だって、」
「そんなにデカイ声で言わなくても、聞こえる。ぎゃーぎゃー騒ぐな」
「ぎゃーぎゃー言わせてんのは、アンタやないの」
蜜柑が今にも火を噴出さんばかりの勢いで、病人相手に詰め寄る。
今日こそ、きちんと言わなければと必死だった。
「わかったから、落ち着けっての」
「わかった?アンタは、何にもわかってへん。ウチって、そんなに頼りない女?」
「・・・・・・・・・・・」
棗が、盛大なため息をつく。
「なんじゃ、そのため息は、」
握りこぶしを作る。
「ついこの間、ひとの腕ん中で締まりのねえ顔していた奴と同じとは思えねーな」
「なんやてっ、て・・」
腕を引かれた。
「ちょ、」
そのまま正面から受け止められ、体にしっかりと腕がまわされる。棗のなだらかな肩に顔を押し付けられ、頭に手が添えられた。
「な、つめ、はなし、て」
くぐもった声で抵抗する。しかし棗は微動だにしない。
「---――-― 、」
―――― くやしい、最後にはいつもこうやって、
「蜜柑」
落ち着いた声が、名を呼ぶ。
返事なんて、する、
「悪かった」
「・・・・・・・・・、」
・・・もん、か・・。
「だから、そんなに怒るな」
「・・・・・・・・・・」
棗の少し高めの体温が、じわりと蜜柑の体に伝わってくる。
頭に添えられた手がはずれ、体にまわされた。
棗の胸が緩やかに上下している。
そのリズムに蜜柑も自然と息をあわせた。
一日中怒気を帯びていた感情が、徐々に穏やかになっていく。
「・・・・・、言うて・・」
声が震えた。俯いたまま棗の肩に手かけ、ゆっくりと体を離す。
「言うて、ちゃんと、ウチにだけは・・・何でも・・・アンタの苦しいことも辛いことも全部、」
「・・・・・・・・・・・・・」
「じゃなきゃ、もう、・・知らんから」
棗の首に縋りつく。唇をぐっと噛み締め、涙をこらえた。
「・・・・・・・・・・・・」
彼は何度か小刻みに頷いた。蜜柑の体を力強く抱きしめる。
「わかった。・・・これからは何でも話す。だから、泣くんじゃねえぞ」
「だれが、・・だれが、泣くかいな」
その言い方に、棗がふっと笑った。
縋りついていた棗の首から腕を外した。
胸に耳を押し当てる。
静かに繰り返される呼吸と、穏やかな鼓動が好きだ。
やっぱり、この腕の中でなら、・・何でも許せる。
・・・・なつめ
愛おしさを込めて胸の内で名を呼べば、
彼はいつものように、柔らかく髪に口付けた。
fin
「ケンカップル」書いていて、めっちゃ楽しかったです・・!しかし(笑)まだまだ修行が足りないので、
精進いたします(苦笑)頑張るからねーvv
四季ちゃん、お誕生日おめでとうございますっ!これからも応援してるからねvv