リビングの窓をあけると、雲ひとつない青空が広がっていた。
爽やかな風がふわりと蜜柑の髪を弄び、通り抜けていく。

「んー、いいお天気や」

大きく伸びをして、よし、と気合をいれる。エプロンを身につけ、キッチンへと軽快に足を運んだ。



昼下がりのデート

                             オーブンレンジの終了を知らせる音が鳴り響いた。 蜜柑は持っていた2人分のカップをテーブルへ置き、レンジの扉を開けた。ふわっとした熱とともに、甘い匂いが漂う。 「うん、上出来やな」 分厚いミトンを両手にはめ、高温の庫内からパウンドケーキを取り出す。程よい焼き加減と膨らみに、蜜柑の顔が思わずほころぶ。 「・・・食べてくれるとええな」 今日は、この家に特別なひとを招待している。彼氏という名のその特別なひとのために蜜柑は、朝からせっせと菓子作りに励んでいた。と、言えばだいぶ聞こえはいいのだが、実は招待の名目は、勉強を教えてもらうというものだ。何故そうなったのかと言えば、ひとえに蜜柑の勇気のなさにある。 付き合って半年。同じ学校へ通いながらも、学年も所属する部も違うせいで満足な時間を過ごせずにいた。放課後はたまにしか一緒に帰ることが出来ないし、休日となれば互いの予定が合わずのんびりとデートも出来ない。少ない時間の中でも幸せを感じることが出来たが、恋愛真っ只中にある今、蜜柑にとってそれは充分とは言えなかった。 ようやく実った恋。多くは望まない。大学受験を控えている彼に、無理は言えない。 けれど、一日だけでいいから。時間にとらわれることなく、じっくりと彼と過ごしたかった。出来れば外ではない方がいい。色々なところへ行くのも魅力だったが、慌しく時間が過ぎてしまう気がするから、家でゆっくりと過ごせたら。 さてそんなことをひとり悶々と考えてはいたが、彼に気軽に「ウチに来て!」と誘うのはとても気が引けた。忙しいことは承知しているし、それに誘えば無理をしてでも時間を作りそうな気がした。何とか軽々しくはない、口実はないものか。 そこで考え考え出た言葉が、 『なあ、勉強教えて言うたら、・・教えてくれる?』 という、遠まわしな言葉。 それを訊かれた彼は不思議そうな顔で、別にいつでも、と、さも何でもなさそうに答えた。その返答に少しの勇気を奮い起こし、『・・・じゃあ近々なんて、・・ん、けど、忙しいよな、ホンマごめん、無理せんといて、あはは』と何とも滑舌の悪い微妙な訊きかたをするとまた彼は、『次の日曜日はどうだ?丁度誘おうと思っていた』と、サラリと答えた。それに即座に反応を示したのは言うまでもなく。思わず『よっしゃ』と色気なく叫んだ蜜柑に彼は、そんなに勉強が嬉しいのかと吹き出した。そして、『たまにしか合わない予定が合ったんだ。どこかへ行かなくていいのか?』と、蜜柑にしか見せないような柔らかな顔で問うてきた。 その表情に、胸がときめき。 もう自分がどんな顔をしていたかなんてわからないけれど、いや恐らく、ふわんと、とろけそうな顔をしていたと思うが、しきりに『ええの、ええの』とロボットのように答えていたのだった。 こんなに順調に話が進むなら、あまり考え込まず、すんなりと誘えばよかったのかもしれない。しかし蜜柑は、これはこれでかなり満足していた。名目は何であれ念願の「おうちデート」が叶う。勉強なんてササ、と終わらせればいい。そう、ササっと。そして残りの時間を楽しめばいいのだ。 ・・・と、思っていたはずなのだが。 「ここまでの説明、わかったか?」 「う、ん」 「本当にわかったのか?」 「うん、」 「・・・じゃあ、こことここの問題、解いてみろよ」 蜜柑は、シャープペンをカチカチと出し、ノートに計算式を書いていく。だが手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。ついでに頬や首も熱い。 ―――― だって。 こんなに至近距離にいられたら、まともな神経を保つなんて無理だ。 広いダイニングテーブルに二人で並び座っている。両親は外出中で夕方まで不在だから、どの部屋で勉強してもよかった。すると自然に、じゃあここで、ということになり、すんなりと席についた。 棗は頬杖をつきながら、衣服が触れ合うほどの距離にいる。あまりに接近しすぎて気が散った。どうしてこうなることを予想出来なかったのだろう。なんて浅はかな。 棗は今日も、雰囲気が違った。制服姿を見慣れているせいで、たまに見る私服姿にいつも驚かされる。胸元のボタンをいくつか外し着崩した真っ白なシャツにブラックジーンズ。あまりにも格好良すぎて直視出来ない。 ―――― お茶が、遠い・・・ テーブルの端へ寄せたケーキとお茶のセットをちらりと見る。 全くもって軽く考えていた。これでは、ササっと終わらない。今はこの状況を変える気持ちの余裕すらないのだ。霧散していく集中力を掻き集めるので精一杯だ。 「・・・まて、そこはさっきも言っただろ、」 「え?」 「だから、」 棗の吐息が髪をくすぐった。説明のたびに息がふれ、胸の鼓動が落ち着きを失くす。棗の綺麗な指先が計算の過程を追うさまにも目が離せない。 「蜜柑、」 「・・・ん?」 「ちゃんと話聞いてんのか?」 「う、ん、もちろんや」 「じゃあ、これどう解くのか説明してみろよ」 棗が指で、先ほど説明していた式をトントン、と軽く叩く。 「・・・・・、」 まずい。そう来るとは。ええと、と思わず顔をしかめた。たった今、棗が説明してくれたのに。 「これは、・・・」 ああ、ダメだ、どうしよう。断片的になら覚えているが、論理的な説明は無理だ。 「蜜柑・・・」 棗が呆れた顔をしながら、ちょっと目を細めた。 「ごめん・・」 しゅんとしながら謝った。何をやっているのか。棗は不思議に思っているだろう、勉強を教えてくれと申し出ておきながら、それに集中できない自分のことを。 棗は表情を変えずに、蜜柑の横顔をじっと見ていた。それがまた蜜柑を追い詰めていく。見つめられているせいで、ますます心臓は忙しない。 ―――― この雰囲気、何とかせな、 じりじりと迫るような焦燥感。緊張も相まって何が何やら。 そのとき。 「蜜柑」 突如呼ばれ、背筋がピンと伸びた。瞳を動かすと、同時に棗の利き手が視野に入った。髪を梳くと火照った首筋に指先が触れた。ピクリ、と体が反応する。 「どうしたい?」 「・・・え?」 「集中出来ねえんだろ?」 「いや、その・・、」 「それに、何でそんなにコチコチになってる?」 「・・・・・、」 ああ、もう。 「少し、・・・離れてくれへん?」 「は?」 蜜柑は焦れたように、立ち上がった。やや距離をおこうと動いた刹那、棗が蜜柑の手首を掴んだ。 「どうした?」 蜜柑は、きまり悪そうに微笑んだ。 「あまりにも近すぎて、・・集中出来へん」 棗が、ふっと笑った。 「笑うことないやろ」 「けどおまえ、今更だろうが」 「だって・・、こんな風に教えてもらったの初めてやし。我侭言うて申し訳ないんやけど、とにかく近すぎて頭に入るもんも入っていかへんのや。それにだいたい今日は勉強が目的や、」 なくて・・・という言葉が小さくなっていく。 「・・・・へえ」 手首をぎゅっと握られた。 「あ、や、その、」 あかん、言い過ぎた。 棗が妖しげに微笑んだ。その微笑に蜜柑の背筋がふたたびピンとしかけた時、手首を引かれた。傾いでいく身体を、棗が抱きとめる。 「棗、」 「いいから」 棗に両の脇を掴まれぐっと引き上げられた。されるがままにするも、この格好―― 棗の腿の上にまたがり、小さな子供が親に縋っている様子と似ていて、あまりにも恥ずかしすぎる。スカートじゃなくてよかったと、余裕がない頭で思う。 「なつめ、」 棗の両肩にやんわりと手のひらを置き、戸惑っていると、蜜柑の背中にしなやかに腕がまわり、体をぎゅっと抱きしめられた。 「・・・近すぎるか?」 棗は楽しそうに訊いた。 「意地悪、・・・・」 蜜柑が呟くように言うと、棗は楽しげな雰囲気をそのままに、腕の力をといた。 「勉強が目的じゃねえなら?」 何なんだ?と澄んだ赤が訊く。 「・・・・・、家の中で、デート・・・」 「家の中で?」 棗の肩が小刻みに揺れた。口元が笑いをこらえている。 「ええもん・・どうせ、バカにしとるんやろ」 拗ねたように言った。 「どう過ごしたい?」 棗は穏やかに訊いた。 「お茶を・・・飲んだりして、のんびりゆっくりと出来ればええかなって、・・・棗、ケーキは嫌い?」 蜜柑はテーブルの端にあるパウンドケーキをチラリと見た。 「いや、嫌いじゃない」 「よかった・・・」 蜜柑は緊張が解けたかのように、嬉しそうに微笑んだ。刹那、棗の唇がその微笑んだ口元に軽くふれる。 蜜柑が驚き目を見開くと、 「それから?」 「え?」 「お茶の次は?」 「次は、」 言葉の先は、優しいキスの中へ消えていく。 冷たく柔らかな感触は、いつにもまして甘くて。委ねるように体の力が抜けていく。 (お茶だけで、終わるわけがないか・・) 蜜柑は溶けそうな思考の中で、かすかに苦笑いした。 外は雲ひとつない青空が広がっている。 爽やかな風がなびく、そんな昼下がりの日曜日。 デートはまだ、始まったばかり。 fin


咲良ちゃんへお誕生日プレゼントとして贈らせていただきましたvおうちでデートという非常に萌えなリクをいただき、久野お得意の?(笑)パラレル、年上棗設定で、最後の最後まで幸せ気分で書かせていただきました・・!そして、甘いのが読みたい〜!という、もうひとつのリクにもつい調子づき(笑)このような展開に(本当に調子にのってしまった・・苦笑)ですがですが!蜜柑が可愛くて堪らない棗とふたりの甘さが伝われば本望でございます(えへへvv)
改めまして、咲良ちゃん、お誕生日おめでとうございました・・!遅くなりましたが、心からハピバ!ですvvv

[ 09年 09月 20日 kaoru ]

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