目的の品が姿を現した時、蜜柑の口から感嘆のため息がこぼれた。多様な色が棚を覆いつくしている。
見事なグラデーション。目が奪われた。 さすが専門店。話に聞いてはいたが、これほどまでとは想像外だ。

―――どの色がええんやろか、やっぱり濃い目の方が、・・

目線より少し下にある濃紺の毛糸を手に取る。意中の彼の顔が浮かんだ。マフラーを着用した時のイメージと重ね合わせる。少し地味な気もするが、彼の好みをきちんと把握していない以上、あまり冒険も出来なかった。 私的にはパステルカラーのような春を感じさせる色の方が似合うと思うが、ここはやはり定番色を選ぶのがいいだろう。
顔が綻んだ。これを渡したら、彼はどんな顔をして受け取ってくれるのだろうか。一応、バレンタインのチョコレートの代わりで、告白をするのと同じなのだ。けれど押し付けがましい態度はとりたくない。出来れば自然に意識することなく渡せるのが理想だ。

腕にかけた小ぶりの買い物カゴに必要な分の毛糸を入れた。
そしてふと視野に飛び込んできた色に瞳が動く。

・・・赤。

混ざり気のない真紅。
思い浮かんだのは、

・・・棗。

また胸の奥がかすかに痛んだ。
あの時の表情、様子が脳裏を掠めていく。

―――― アンタは大切な弟やから、

この言葉を発した直後の棗は、明らかに空気が変わった。何かを耐えるような切ない面持ちに変わり、まるで自分を拒絶するように部屋を出て行った。あれから数日経つというのに、時折あの顔を思い出しては心が疼き、ざわつく。
何が、――――考えられるのはひとつしかない。弟という、ただ一文字。
彼が何故そんな態度になってしまったのか、わかるはずもない。
・・・わからない?
本当にわからないのだろうか。
気が付かないふりをしているのでは?

棗と初めて顔を合わせた日のことを、今でも時々思い出す。小学生とは思えないほどの大人びた雰囲気。周りの空気が変わるほどの存在感。綺麗な顔立ち。こんな12歳がいるのかと驚き、年上の自分の方が顔を赤らめ、落ち着きがなかった。ひとつ屋根の下で暮らすことを考えると、やや非現実的な感じすらしていた。

だが慣れというものは、先入観や緊張をそれなりにほぐしてくれるものだ。棗との暮らしは窮屈なものではなかった。大人びた雰囲気は変わることはなかったし、口も態度もどちらかと言えば悪かったが、根は優しく何かと気にかけてくれていた。弟妹に恵まれなかった自分にとって、彼と過ごす空間はとても居心地がよかった。

それが、
・・・いつからだっただろう。
あの眼差しを向けてくるようになったのは。
ごくたまに見せる、熱を帯びた視線。
それはほんの一瞬のことだというのに、にぶいことを自覚している身でさえ、はっとしてしまう程だった。

それでもそのことが、棗との関係をぎくしゃくさせるまでにはいかなかった。気のせいだと思うほどの少ない頻度だったし、こちらが仕掛けてふざけ合うことも多い中、からかっているに違いないと思っていたからだ。
けれど、この間のあの様子、あれは・・、

今までだって、本当は、

あの視線を感じとった頃から、わかっていたのかもしれない。
本当は気が付いているのに、気が付かないふりをしていただけのかもしれない。
意識してしまうことを恐れ、蓋をして、逃げていただけなのかもしれない。

・・棗、

『欲しいものを言ったところで、おまえには無理だ』

それは、

「なかなかいい色ね」

ふと我に返る。首を動かすと、親友がこちらを見ている。
「蛍、・・・あ、ごめん、待たせて」
「誰に編んであげるの?」
目線が動く。蜜柑が軽く握り締めていた紅い毛糸を見ている。
「え、・・その、・・弟に」 少し視軸をずらした。
「ああ、」 親友の口元に、ふっと笑みが浮かぶ。「あの小生意気そうでやたら顔がいい弟君に」
「・・、うん、何やバレンタインにチョコいらんとか言うし。ついでだから、棗にも編んでやろう思うてな」
「・・・そう。いいんじゃない」 吐息をつく。「だけど、アンタ、」
「・・・?」 首を傾げた。
「・・何でもないわ」
蛍は先ほどの笑みを崩すことなく、かぶりを振った。

彼女が何を言おうとしていたのか、訊きかえすことはなかった。
いや、正確には、訊きかえすほどの気持ちが起きなかったと言った方がいいかもしれない。
だからこの時の自分が、かなり思いつめた顔をしていたなんて知る由もなかった。

カゴの中に、紅い毛糸を入れる。

――― こんな色、・・してくれるんやろか。

棗の顔が、浮かんだ。
また胸の奥でにぶい痛みが走った。


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