「会社の経営者・従業員などが、将来一定の価格で一定の期間内に自社株を買う権利とは?」
『ストックオプション』

「2005年に世界遺産登録されたガウディの代表作の一つで、スペインのバルセロナにある教会とは?」
『サグラダ‐ファミリア』

「先進諸国の排出する二酸化炭素・メタン・亜酸化窒素など6種類の温室効果ガスの削減をめざす国際的取り決めとは?」
『京都議定書・・』


「ああ、もうアンタ一体何なん?」
隣に座る蜜柑がソファに突っ伏している。それを横目で見ながらテレビのリモコンを手に取り、音量を下げた。
「ホンマに小学生?クイズ番組総なめや」
起き上がった。こちらを見るや、苦い笑いをしている。
「こんなのニュース聴いてりゃ、頭に入る」 無関心そうに言った。
「信じられへん・・・」
「おまえがバカなだけだろ」
「なんやて?もういっぺん言うてみい!」 目を剥いた。
「バーカ」
「ぐっ、むっちゃ悔しいっ」
「そんなんで大学入れんのかよ」
立ち上がった。蜜柑の前を通り、リビングのドアへと向かう。
だが背中側に向けられるはずの言葉が返ってこない。振り向いた。
「・・・・・、」
ソファの上で膝を抱え、その上に顎をのせている。薄茶色の髪が腿に かかり、その隙間から垣間見える横顔は何かを思いつめているようだ。
「なに急に時化たツラしてんだよ」
「ウチ、・・・」 ポツリと言う。「先輩と同じ大学・・入れるんやろか」
「・・・・・・」
「櫻野先輩すごく頭がええんよ。せやから受けるところも、半端じゃなくて」
「・・・・・・」
―――― 櫻野
あいつ、
「あ、ごめん、」 慌てている。「こんなことアンタに言うたかて、しゃーないよね」
腰を上げる。母親が立つキッチンへと向かった。

冗談じゃねえよ。・・全く。

内心で舌打ちをした。昼間に逢った、あの男の顔が浮かぶ。
女のような顔立ちに悪意のない笑みを滲ませ蜜柑に声をかけた姿。
自分とは何もかもが正反対に思えた。 あれからふたりは他の生徒数人と合流し、自分達とは反対方向、つまり街の方へと歩いていった。あの男に話しかけられる度に嬉しそうに顔を綻ばせる蜜柑を直視していられなかった。
思い出すだけでも血が騒ぐ。荒れ狂いそうなほどの激情。これからは、それを抑えるためだけに心血を注がなくてはならない。

――― あんな男、
もどかしい。
自分はあまりにも子供で何一つ手出しが出来ない。
どんなに足掻いても今は何も出来ない。
この腕の中できつく抱きしめ、奴を忘れさせるほどのものを伝えられた なら。

煩わしくてたまらない。
自分の立ち居地も年の差もすべてが。

「棗、」

振り向いた。蜜柑がダイニングテーブルに夕食を並べながら こちらを見ている。
「バレンタイン、チョコでええ?」
ほんのりと笑いながら問いかけてくる。
「別に、・・何もいらない」
「何もって、」
本心だった。今欲しいのは、・・物じゃない。
すると蜜柑がパタパタとこちらに近寄ってきた。 傍に来るや、自身の腕に自ら腕を絡め、耳元に顔を寄せた。
「チョコじゃなくてもええんよ・・」
わずかな吐息が耳をくすぐった。
瞳を動かし彼女をみれば、ちゃめっけたっぷりに微笑んでいる。
「アンタ、たっくさんもらいそうやし」
「・・・・・・・・・」
その顔を複雑な気分で見つめる。本気でやるのはただひとり。
自分に対して贈られるのは、家族という名のもとで生まれる義理的なもの。
そんなもの、誰が。
「欲しいものを、」
「ん?何でも言うてみて」
――― 何でも、・・
「欲しいものを言ったところで、おまえには無理だ」
「なんで?そんなに高いものなん?」 少し驚いている。
「・・ああ。破格だ」・・・どうしようもなく。
「その高いのじゃなきゃダメ?ちなみに何なん、それ」
「教えられない」
「・・・・、意地悪。教えてくれたってええやないの」 拗ねている。
「気にするな。何もいらない」
「そうもいかんのや・・・、」
落胆したような声。
「ウチの気がすまないんや」
「何だソレ。わけわかんねえし」
「せやかて、アンタはウチの、」

―――― ウチの、

「・・・・・・・・・」
絡めていた蜜柑の腕をすばやく外し、目の前のドアノブに手をかける。
「なつめ・・、」
彼女の声を無視し廊下へ出た。大きな音をたてドアを閉める。

馬鹿女、と胸の内で呟いた。
そんなもん聞かせるな。

―――― 大切な弟やもん

今、一番聞きたくない言葉。
弟という、もっとも嫌悪する立場。
一生付きまとい、逃れることが出来ない忌々しいもの。

内側で暴れだしそうな感情を抑えながら小さくかぶりをふった。

首を後ろへ向け、扉に目をやる。
木枠の間から見える磨りガラスの向こう側にはまだ蜜柑が立っている。
大きく深呼吸をした。
行き場のない苛立ちを吐き出すように。



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