どのくらいそうしていただろう。
背中にはまだ小さな振動が伝わっていた。肩甲骨そばの寝着を摘むように握っている。
雪の反射で白く光るカーテンをぼんやりと見ながら、どうするべきかと考える。最初はこの蜜柑の行動にひどく動揺したが、徐々に落ち着きを取り戻した。自分でも意外だと思っている。どうしてなのかと訊かれれば、それは、・・・蜜柑が自分を必要としているということを感じることが出来たからだろうか。ここに来た理由はそれしかない。 いずれにせよ、この状況。どんなに蜜柑が憔悴しきっていても。
もう自分を抑えることなど、・・・不可能だ。

「・・・ごめん」
消え入りそうな、くぐもった声が聞こえた。
「ごめん、・・こんなことして、・・・・ホンマにごめん」
「・・・・・・・」
寝着がぎゅっと握られた。
「・・・怒っとる?」
「・・・・・・・・」
小さく息を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出しながら、体を蜜柑の方へ向ける。
「・・・・・、」
涙で濡れた瞳。淋しげな目をしていた。頬にかかった一筋の髪と白い面立ち。たよりなかった。今にも壊れてしまいそうなほど。
・・・限界だな
心の中で呟き、指先で頬の髪にふれた。蜜柑がわずかに目を伏せる。そのまま手を後ろへ動かし、うなじに指を滑らせ引き寄せた。
喉元に彼女の前髪があたり、吐息がかかった。
抵抗は、ない。引き寄せた手をそのまま背中に移動させ、体を抱いた。

「蜜柑・・・」
名を呼ぶと、蜜柑の腕が遠慮がちに自身の背に回された。
「ごめん、・・ごめんな」
「もういい。泣かなくていい」
「・・・うん」
安心したのか、蜜柑の体の震えが徐々におさまっていく。その体は思っていた以上に細身で、強く抱きしめたなら折れてしまいそうだと感じた。
脆くて、儚い(はかない)。
「棗・・・・、」
「・・・・・?」
「ウチ、・・・・先輩にフラれてしもうた。今日な、彼女と歩いてるところ、・・・・偶然、・・ウチ何にも知らんと、」 声を詰まらせる。
「無理に話さなくてもいい」
「うん、・・・。せやけどウチ、アンタに慰めて欲しくて、こんなこと・・ホンマ許されへん・・」
「・・本当に、」
「・・・・え?」
「本当にそれだけで来たのか?」
少し身体を離した。それに伴い蜜柑が顔をあげた。虚を衝かれたような双眸(そうぼう)。
「ただ、慰めて欲しいというだけで来たのか?」
「棗・・・」
その顔を見ながら、肘を付き、やや体を起こす。
「オレは、・・」
こめかみに触れながら、髪に指をさしこむ。
「もう、後戻りは出来ない。この関係がどんなに許されなくても・・・」
「なつめ・・・」
蜜柑の瞳が切なく揺らぐ。だがその中に含まれる少しの恋情を見逃さなかった。
そう彼女は。どんなに自分のしていることに戸惑っていても。許されないことを知っていて、ここにいる。自分の腕の中に。
額に、そっと口付ける。
その唇を、小さく開いた蜜柑の口唇に押しあてた。
自身の背に回されていた蜜柑の指に力が入る。
舌先で彼女の下唇にふれると、一瞬吐息がもれた。もう一度強く押しあて、ゆっくりと唇を離す。
「・・・・・・・」
潤んだ鳶色のひとみ。陶然とした表情。その中に含まれる困惑の色。
「蜜柑・・・」
「・・・・・・・」
そのまま視線を絡ませる。
―――― もう、戻れない
蜜柑の空いている方の手が緩やかに動いた。指先で自身の頬にふれる。 ほんのりと笑みを滲ませた。
「少しだけ、・・もう少しだけ待っててくれへん?ちゃんと、・・・気持ちの整理つけるから、」
「どのくらいだ?」
直球で訊いた。その言い方に蜜柑の笑みが苦笑に変わる。
「せっかちやな。そんなところは、子供なんやから・・」
子供という言葉に眉根が寄った。
「悪かったな、子供で。だけどそんなに、」
待てねえんだよ、と言いながら頬にキスをする。
「棗・・・・」
宥めるような、優しい声。
その声に胸が、甘く疼く。

・・・蜜柑、
オレにおまえの全部を預けろよ、

その傷んだ心も、この先の未来も、何もかも全部。
そう囁いて。

静かな雪の夜に、ほのかに白い部屋の中で。
彼女の身体を柔らかく抱きしめた。



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