ウィンドウの外は、夕方にさしかかり、様々な人々が忙しなく往来していた。全面ガラス貼りのこのカフェは、通りの向こう側までよく見渡すことが出来る。

そうか、・・・ここか、

なるほど、と思った。この場所ならよく見える。
彼女を追いかけ、引き止めた、あの光景を。

特に目的があり、この店に入ったわけではなかった。持て余し気味の感情を霧散させるために、何気に入ったに過ぎない。
放課後、蜜柑がメールで、一緒に帰れなくなったと知らせてきた。ならば、溜まっていた用を済ませようと、ここまで出てきたのだ。途中、クラスのオンナに声をかけられ、危うく同行させられそうになったが、うまく振り切ることが出来た。何故なら、その中には今井がいたからだ。彼女は、不機嫌そうにこちらを見ていた。その顔を見て、あの出来事の後に待ち伏せされた日のことがリンクした。


「あの子にあんなに肩入れして、蜜柑のことはどうするつもり?」

彼女は駅の出入り口横の壁によりかかり、腕を組みながら偉そうにそう言った。
「最近の棗くん、随分と彼女にご執心じゃない」
その物言いに、思わず鼻で笑う。馬鹿馬鹿しくて話にならない。
「どうせ、馬鹿らしいと思ってるんでしょうけど」 腕を解き、壁から背を離す。睨むように、こちらを見ている。「・・・万が一、蜜柑に誤解を与えるようなことになったら、許さないから」 そう冷淡に言うと、駅に背を向けたまま、街の方へと歩き出した。

いつものことだと、彼女は、蜜柑のことになると目の色を変えるのだ。
許さないとは、どう許さないつもりなのか。

結局、誤解を与えてしまったことが、今井の耳に入ったかどうかは定かではない。 しかし仮に耳に入ったとして、是非とも彼女に言ってやりたい。蜜柑を泣かせてしまうことが許しがたいのなら、その心配はいらないと。 不幸にするどころか、有り余る想いをぶつけ、壊してしまいそうなくらいなのだ。 手にいれてしまえば、ラクになれると思っていた。自分の手の届くところに置いてしまえば、何の心配もいらないと。
だが、そばにいればいるほど、募っていくこの想いはなんなのか。学校が違うという事実でさえ、苛立だしく感じる時がある。いつも目の届くところに置いておかなければ、気が済まなくなりそうなのだ。今まで抱えてきた想いが喫水線を越え、溢れかえってしまったかのように。
自分でも理解し難かった。ここまでになるとは、誰も想像がつかない。

対して蜜柑は、いつもと変わりないように見えた。拍子抜けするほど、実にあっけらかんとした雰囲気なのだ。今日のように予定が入れば、恋人を優先させることなく、普通に連絡を寄越す。そこに遠慮も、気遣いもない。それについて一度問い質してみれば、返ってきた答えはこうだ。
「棗とはいつでも逢えるやろ。家も近所だし」
屈託なく笑いながら言うのだからどうしようもない。 彼女は自分とは正反対なのだと思った。安定した関係が築かれたことに、安穏としている。

忌々しかった。何もかもが。
自分の扱いにくいこの感情も、それとは相反する蜜柑の反応も。


窓の外は変わらない往来が続いていた。反対側の歩道沿いの建物上から垣間見える空は、藍の色が混ざりつつある。

寄って、・・・みるか

立ち上がり、オーダーを握りしめた。




「ごめんな。一緒に帰れなくて」
蜜柑は廊下の先頭を歩き、振り返りながら言う。
「別に」 何でもないように答える。「早かったじゃねえか」
「うん、ちょっと友達の相談に乗ってただけやから、すぐに終わったんよ」 自室のドアを開ける。
「付き合ってる彼と色々あったみたいで」
「へえ・・」 思わずちょっと笑った。
「なんや?なんで笑うん?」 部屋に体を入れながら、不思議そうに問う。
なんでって、随分と余裕じゃねえかおまえは、誰かの相談に乗るなんて、・・・と言いそうになったが、口を噤んだ。
だが、どこかおもしろくない気もして、代わりに彼女の腕を引いた。
「なん、」
反動で体を抱き寄せる。そのまま、両腕を回した。
背中を軽く押し、ドアを閉める。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・なつめ?」
「・・・・・・・・・・」
「どないしたん?急に、」
戸惑う声を他所に、体を少し離すと、そのまま唇を重ねた。
蜜柑の体が強張る。まだ、慣れていないのだ。
だが、それを無視し、愛撫するように唇に何度かふれると、やがて吐息がもれた。
僅かに開いた隙間から舌をさしいれ、絡めとれば、胸元に置かれていた手が腕へと移動する。
「・・・・・ん、」
舌先を器用に動かし、たどたどしく応える彼女に何度も深い刺激を与えてやると、掴んでいた腕に力が入った。
艶かしい息が、漏れ出す。
・ ・・・苦しいのか、それとも。
どちらなのか判断がつかなかったが、柔らかく軽い口付けを残して、ゆっくりと離れた。
「・・・・こんなところで、いきなりビックリするやろ」 小さく息を吐きながら、拗ねた顔で、恥ずかしそうに言う。
「こんなところって、じゃあ、どこでするんだよ」 意地悪く返した。
「せやかて、下には母さんもいるわけやし・・・」
「心配しなくても」 ベッドをチラリと見る。「これ以上は、ここでやらねえし」
すると、蜜柑の表情がひきつる。
「なっ、なにを言うてるの、ウチらはまだ、」
「高校生、だろ。それが?」
「そ、それがって」 明らかに焦っている。
「嫌なのか・・・?」
そう低く問えば、彼女は何も言わずに俯き、掴んでいた腕を放した。
「話題変えたい」 泣きそうな声で言う。

・・・・追い詰めてどうする。
そう心のどこかで聞こえた気がした。

「何か、話したいことでもあんのか?」
普段どおりの声音で訊くと、彼女は、ぱっと顔を上げた。
現金なものだ。
「あのな、蛍から聞いたんやけど、アンタんとこの創立50周年記念行事、一般の人の招待枠があるんやて?それ、ウチ、行ってみたい。蛍に頼んでもよかったんやけど、アンタに聞いてからと思うて、」
「今井、・・・・」 微かに眉間に皴が寄る。
「・・・・・・ダメ?」
・ ・・ったく、余計なことを。
「・・・わかった。お前の名前で出しとく」
「ホンマに?あ、でも当日はアンタと一緒におられへんの?」
「いや、大丈夫だ」
「よかった。棗がダメやったら、蛍か、ルカぴょんにお願いするつもりだったんよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「むっちゃ、楽しみやなー」 弾むように、ベッドに腰掛ける。

内心で嘆息する。
創立50周年記念イベントは思いのほか盛大に催され、一般客も枠内であれば招待可能だ。
だが、蜜柑を呼ぶつもりはなかった。彼女の知り合いが多く通うこの学校に来れば、見たくはないものを見るはめになる。それに対して平常心を保っていられるか、自信がなかったのだ。通う学校が違うということに対して苛立ちを感じる一方で、 こんな時は離れていることを歓迎する部分もあり、実に矛盾した複雑な想いが交錯していた。したがって今回は、そ知らぬふりをしてこの祭りをやり過ごそうと目論んでいたが、それは到底甘い考えであるのだ。

「なあ、どんな感じのイベントなん?文化祭みたいなもん?」 楽しそうに問いかけてくる。
その顔を見ながら、彼女のとなりに座る。
「そうだな。そんなもんだ」
「どんなんやろなー、ホンマ楽しみや」
「・・・・・・・・・・・・」

その横顔を見ながら思うのだ。
こいつも高校に上がったのだ、あんなことはもう出来ないだろうと。


しかし、その考えも甘いということを、当日思い知らされる羽目となる。




「ルカぴょん、最高や!」
蜜柑が隣で大はしゃぎしながら、手を叩いている。記念メインイベントの一つ、ホールでの演奏会でルカがソロでピアノを披露し、拍手喝采の嵐が起きている。金髪美少年の華麗な生演奏に、皆酔いしれていた。
「いつ聴いてもルカぴょんのピアノはええわあ、」 うっとりしている。
「・・・・・・・・・・・」
眉間に一本皴が出来そうになるが、こんなのは序の口だ。
「棗、佐倉、」
ルカが近寄ってくる。
「ルカぴょんっ」 立ち上がり、彼女も近寄る。「ひさしぶりやな」 言いながら、臆面もなくルカの腕に絡みつく。
彼は、ちょっと驚いたように蜜柑を見た。だがその顔はまんざらでもない。
胸がざわついた。
が、・・・これも計算のうちだ。
「久しぶりだね、元気だった?」 ルカが訊く。
「うん、元気や。ルカぴょん、最高に素敵やったよ」 笑顔で言う。
「そう?」 照れている。「ありがとう。・・・他のところは見たの?今井のところには行った?」
蜜柑の顔とこちらを交互に見ながら言う。
「今からや。な、棗、」
「・・・・・ああ」
「ルカくーんっ」
ステージの方で、彼を呼ぶ声がする。
「ごめん、佐倉、また今度ゆっくり」
「うん、頑張ってな」 最後にもう一度、ぎゅっと腕に絡みついた。
親友はこちらをチラリと見て微笑み、踵を返した。その後ろ姿を蜜柑が目で追っている。
「行くぞ」 立ち上がり、声をかけた。
「なあ、蛍のところに行くんやろ?」 背中越しに問われる。
「そのつもりだ」 投げやりに答えた。
「なんや?棗、疲れたん?不機嫌やなあ」
「・・・別に。気のせいだ」 誰のせいでこうなったと思ってる。
「そうなん?ならええんやけど、」 不思議そうな声だ。
――――ったく、あんなにくっついて腕なんか組みやがって、

恐れていたことが着々と進んでいく。こんなことで、後がもつだろうか。やはりあいつにだけは逢わせたくない。今井にも会いたくはないが、そこに行けば確実にその難からは免れる。あとは適当に危なげないところを見学させ、連れて帰ればいいのだ。


しかし。事態はそう簡単にすべてをやり過ごしてはくれないものだ。

技術部に着き、部屋の中を覗き見る。生徒が製作した作品が所狭しを並んでいた。
「・・・すごい。コレ、全部生徒がつくったんやろ。」 圧倒されている。「ええと、蛍は、・・・」
今井は、窓際の隅でどこかの企業関係者と話しをしていた。彼女は中学の時から特異なものを製作しては出品し、数々の賞を総なめにしている。今回もどこから情報を聞きつけたものか、すかさず作品を見学しに来ては、早々に交渉を進めている様子だ。

「なんや、忙しそうやなあ」 がっかりした声で言う。
「待ってりゃいいじゃねえか」
教室に入り、さして興味もない展示物に目を向ける。動き回ると危険だ。ここにいれば安心だ。
「そやね」 
彼女も明るくそう言うと、同じく作品を見始めた。
だが。

「おお、蜜柑じゃねえか」

背中が凍りついた。まさか。

「翼先輩っ」 隣で、嬌声があがった。
―――― なんで、
「元気か、久しぶりだな」
「翼先輩〜!」 彼の方へ体を向けている。そして、「逢いたかったんよ」と言い、やや勢いをつけ、

・・・・・抱きついた。

やっぱりやりやがった。眩暈がする。

もっとも逢わせたくなかったヤツ、翼に会うと、蜜柑は時々こうして抱きつくのだ。
中学の時に、よく見かけた光景だ。何度見ても腹が立つ。
しかもなんで、ここにいるんだ。わざわざ来そうにもない場所を選んだというのに。

思わず額を手で覆う。怒りで、奥歯がぎしりとなった。

「おまえは、中坊じゃねえんだから、こんなこともう止めとけ」 こちらを見て、苦笑いをしている。
中学のガキだって、こんなことしねえよ。こいつが例外なだけだ。
「だって、ホンマに久しぶりやんか」 まだ離れない。「なんで、ここにおるん?」
「あ、ああ、蛍ねーさんの手伝い」 翼が、本気で焦りだしている。「人手が、・・足んないらしくてな」
こちらの尋常じゃない不穏さを感じ取っている。蜜柑の腕を解こうとしているが、彼女がなかなか力を抜かない。
その時、後ろで薄く笑う声が聞こえた。振り向くと、今井が意地悪そうにほくそ笑んでいた。顔には、いい気味と書いてある。更に、あの時誤解させた罰よ、という声まで聞こえてきそうだ。

―――― どいつもこいつも、

「蜜柑、」 言いながら近づく。そして、今だ翼にしがみついている腕を強く掴んだ。
「いたっ、なつめ、」 彼女の声を無視し、引っ張るように引き剥がす。「どない、したん」 そのまま教室の外へと連れ出した。
「なつめ、」
強引に手を引き、廊下を歩いていく。途中、あちらこちらで、女子生徒の驚く声や、彼女なの?といった類の雑音が聞こえ、ひどく神経を逆撫でした。程なくして、中庭が姿を現す。表へ出て、中央を突っ切ると、ひと気のない場所へと目指す。もう後ろから声は聞こえない。
目的地に着くと、蜜柑を壁際に押し付けた。ビクリと、体を揺らしている。彼女の顔のそばに、勢いよく手をついた。怒りがおさまらない。
「な、なつめ?」 怯えたような、驚いた表情で見上げている。
「・・・・・・・・・・」
「なんで、そんなに怒ってるん?」
「こんなことなら、釘をさしとくべきだった」 低く言う。
「・・・・?」
「無自覚にもほどがある。おまえはこれからも他の男にあんなことすんのか?」
「・・・え、」 忙しなく瞬きを繰り返している。「それは、・・・」 バツ悪そうに目を逸らした。
「いちいち、そんなこと言わねえとわかんねえのかよ」
「・・・・ごめん。つい、昔のクセで、もちろん、深い意味なんか、あらへんよ、」
「あたりまえだ」 強く言い放った。
「・・・・・・、せやけど、」
「なんだよ」
「なんで、・・・・・・こんなに、強引なん?」 消え入りそうな声だ。
「・・・・・・・・・」
「確かにルカぴょんや翼先輩にしたことは、ウチが100%悪い。クセだなんて言い訳になんかならへん。せやけど、・・・・こんなところまで力づくで連れてきて、言わなあかんことなの?」 先ほど掴んでいた腕をさする。「この間のキスかて、・・・いきなりやったし」 泣きそうになっている。
「・・・・・・・・・」

何かが、自分を急き立てていた。・・・・それは自覚している。
愛おしさのあまり、思い通りにならない蜜柑に対して、理性を失くしてしまうのだ。
結果的にそれは彼女を傷つけてしまうというのに。

なら、どうすればいい。答えなど、・・・簡単なのだ。
わかっているのだ。充分すぎるほどに。

・・・・・今、伝えなくてはならないだろう。

この想いを。

「蜜柑・・・・」 穏やかに名を呼んだ。頬に手を添える。
「・・・・・・・・、」 潤んだ瞳で、見つめ返す。
「悪かった。痛かったか?」
彼女はわずかに頷いた。そのまま、輪郭をなぞるように、指先をゆるやかに動かす。
「おまえを、・・・・・半端じゃないくらい大事に思ってる」
「・・・・棗」
「だからこそ、歯止めが利かなくなる時もある。・・・そして、」
「・・・・・・・」
「こうしておまえに触れることが出来るのは、オレただひとりでありたいと・・・・・、」
「なつめ・・・」
蜜柑は泣きそうになるのをこらえていた。
そして頬に置かれていた手をとると、包み込むように握り締める。
「・・・・ごめん、ごめんな。ウチが無神経やった」
「・・・・・・・・・」
包み込まれた手をそのまま引き、やわらかく抱きしめる。
それに応じるように、彼女も身を委ねてきた。
「ウチも、・・・・アンタのただひとりで、」
「・・・・・・・・・」

蜜柑。

おまえは、幼いころも今も、そしてこの先もオレのただひとりだ。
だから、

伝えとく。
誰にも聞かせないように。そっとおまえだけに。



・・・・・愛していると。




fin


長々と読んで下さり、ありがとうございました。リクエスト下さった内容が、棗蜜柑の 甘甘でしたので頑張ってみたのですが、気がつけば棗の嫉妬シーンが多く、蛍ちゃんが黒くて、 その上翼先輩には申し訳なく;、お話も長くなってしまいました(申し訳ありません;;) ですが、桜さまに温かいご感想を頂きました。身に染みて、嬉しく思っております(泣) ありがとうございました。この作品は、桜 詩音さまのみ、お持ち帰り頂けます。

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