今だけは側にいるから


ずっとこのまま、友達のままでいることはできないのだろうか。
その答えはいたって単純だ。

できない。

ただ、それだけなのだ。



「佐倉、お昼一緒に食べにいかない?」
「え?」
教科書の整頓をしながら声のする方へ顔を向けると、ルカがにこやかに立っている。
「うん、ええけど、」
言いながら三列後ろの席に座る蛍の方を振り返れば、彼女もこちらを見ていた。意味ありげな視線を送り、顔にはあんたたちだけで行きなさいと書いてある。
蜜柑はそれを理解すると、再びルカの方へ顔を向けた。
「ほな、行こっか」
席から立ち上がり、彼の後ろを付いていく。皆の視線をチラホラ感じてはいるが、これにはもう慣れてしまっていた。 何故なら。
最近のルカは、以前の彼とは少し違う。
正確に言うなら中等部へ上がってからの彼は、穏やかさは変わらないものの、積極性という面ではかなりの変化を見せている。それは主に、蜜柑に対して向けられることが多かった。こうして昼食を共にすることは、もう珍しいことではない。この間の休日は買い物に誘われ、セントラルタウンへ出かけたりもした。要するにふたりきりで過ごす時間が増えたのだ。

初等部の頃から、それとなくルカの想いに気がついていた蜜柑だったが、これほどまでに自分の気持ちを素直に表す彼自身の行動に最初は戸惑っていた。しかしその反面、嬉しさやときめきがそれを上回っていることも事実だった。優しさと積極性が前面に出た彼は、控えめだった頃とは、違った魅力に溢れていた。

そこにどんな心境の変化が訪れたかは、明確ではない。
ただ彼と一緒にいると、必ずと言っていいほど心に浮かんでしまうのは。
――― 棗。

教室を出る間際、何気に彼の席に視線を向けた。
今日はまだ、学校に来ていない。

「なあ、ルカぴょん、棗どうしたん?」 廊下を歩きながら訊く。
「うん、ちょっと用事があるみたい。午後には出てこられるって言ってたよ」
「そうなんや」
「・・・気になる?」
ルカが独り言を呟くように問いかける。その横顔は少しの笑みを浮かべてはいるが、いたって真面目だ。近ごろの彼は、棗の話題を持ち出すと、こういった複雑な表情をすることが多くなった。
「ああ、ええとな」 少し慌てたように口を開く。「朝から見かけんなー思うて、ほら、あいつ、よく体調悪くするし。その、ルカぴょんも心配やろ?」
「うん、そうだね」 前を向いたまま、答えている。
「用事ならええねん」 笑いながら言った。
彼は漸く蜜柑の方へ顔を向け、先ほどと変わらない笑みで頷いた。
その顔を見ながら思うのだ。
ふたりの間にも何かがあったのだろうかと。
だが普段の彼らは、初等部の頃と変わりない雰囲気に見える。ぎこちなさは全く見られない。そうなると考えられるのは、蜜柑自身が絡んでいる場合に限られる。
蜜柑は決して聡い方ではないが、それが関係しているのではないかということぐらいは感づいている。

「5時間目の体育当番って、佐倉だっけ?」
「あ、うん、ウチや」
「じゃあ、早く食べ終わんなきゃね。誰と?」
「ええと、」 少し考えたが、すぐに、はっとなった。
「どうしたの?」
「ううん、あの、・・・棗なんやけど、」
遠慮がちに口にする。さっきの今で、彼の名前を出すことに躊躇してしまったのだ。
ルカはそんな様子の蜜柑に、気遣うそぶりを見せた。
「棗、もしかしたら遅れるかもしれないから、手伝おうか?」
「ううん、大丈夫や。たいした用意じゃあらへんし。倉庫からボールを出して置くだけやから」
「そう、・・・・わかった」 どこか残念そうな表情だ。
「ありがとうな。いつも気にかけてくれて」
「大変な時はいつでも言って」
「うん」

頼んだ方がよかったのだろうか、と少し思ってしまう。ここで変に遠慮をするから、ぎこちなくなるのだと。その好意に甘えてしまえば、流れはすんなりといくのではないか。
ルカはどんな場合でも無条件に優しい。この先もし、彼と付き合うようになっても、変わらない思いやりと幸せを感じることができるだろう。そう、棗と違って。
・・・棗。
いつだって人を小馬鹿にして、まともに会話なんてできやしない。紳士的とは程遠い。
付き合ったらどうなるだろう、だなんて考えるのが愚かなほど、昔と態度は変わらない。
だが彼のことを思うとき、胸に小さな痛みのようなものを感じる。それがどんな感情から引き起こされているものなのか解からないが、ルカの好意に甘えられない要因と関係しているような気がしないでもない。
考えても、・・・仕方がないとは思う。今の時点で、答えなど出せるわけがないのだから。




「うっ、結構重い」
倉庫から、ボールが山積みになった用具を移動させる。思いのほか重労働で、二の腕の筋肉が強張る。
――― あいつ、結局来ないんかなあ、
キャスターを引きながらぼんやりと考えていた時、少しの段差を踏んで不安定になったボールが一個転がりだした。それは結構な勢いで転がっていく。
「ああ、もう。どこいくねん」
悪態をつきながら追いかけた。だがその時つま先が地面に引っ掛かった。前のめりになりながら、わあ、という声があがり、そのままスライディングするように転んだ。
「・・・・痛っ、」
目の前では埃が舞っている。
「あいたたっ」
全く情けない。嫌になる。
地面に手のひらを付いた。だがその時、片腕がぐいっと引き上げられた。見上げれば、棗がボールを持ちながら屈み込むように見ている。
「・・・どんくせえ」 呆れたように言った。
その物言いに、ムッとする。
「アンタが来いひんから、ひとりで頑張っとったんやろ」 引き上げられた腕ごと、体を起こす。「来るんだか、来ないんだか全然わからんし」 恨み節を言った。
「それはそれは、申し訳ないことで」 掌の上で、ボールを上下させて遊んでいる。
「なんや着替えとらんけど、まさかサボる気なん?」 体についた砂をほろいながら、今だ制服の棗に小姑っぽく言った。
「足、少し血が出てる」
「え?」
膝に目を移せば、擦りむいたところからわずかに血が滲み出ていた。だが、たいした傷ではない。
「こんなん平気や」
「あとたぶん、」
「?」 不思議な顔をしながら、一歩足を踏み出す。だが途端に激痛が走った。
「い、たっ」
棗が再び腕を掴む。
「言うまえに行こうとするからだ。あの転び方だと捻挫していてもおかしくねえだろ」
「なんでこうなるねん」
「おまえが、そそっかしいからじゃねえか」
「ぐっ、アンタがいなかったせいや」 握りこぶしを作る。
「とりあえず、」 棗がボールを地面に軽く転がす。そして空いた手を蜜柑の背中に回し、膝裏を抱えあげた。
「えっ、なっ、」 突如体が浮き、驚きの声があがる。「なつめ、何やって、」
「医務室に行くんじゃねえか」 何でもないことのように言った。
「せやかて、わ、」 バランスを崩しそうになり、慌てて彼の首に腕をまわす。心臓がバクバクと激しく動き出した。
「な、あの、肩だけ貸してくれたらええねん」 足をジタバタと揺らす。
「うるせえな」 眉を寄せ、見下ろしている。「だまってろ」
構わずスタスタと歩き出した。
「せやかて恥ずかしい。こんなん見られたら、何て思われるか、」
「・・・・・・・・」
彼の足が止まる。
「・・・・・・?」
「・・・誰にだ?」 低く、問いかけられる。
「え?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・なつ、」
「ルカに見られて、誤解されたんじゃ困るからか?」
真紅の瞳が蜜柑を見つめる。その色はどこまでも深い。
「そんなこと・・・・、」
目が逸らせない。思いのほか真剣な眼差しに釘付けになる。
「・・・・・・・・」
棗はわずかに目線をずらすと、再び歩き出した。
靴底が地面を踏みしめる音だけが耳に届く。

・・・なんなん、棗。
いきなり、あんな顔して。
頬が紅潮していく。鼓動は早いままだ。

「・・・おまえが、」

背中側に回していた彼の指先にやや力が入った。

「誰を想おうが、誰を選ぼうが、」
「・・・・・・・・・」
「・・・オレの気持ちは、変わらない」
「・・・・・・・・・」

・・・反、則や。

何でこんな時に、そんなこと言うねん・・。
今度は顔が見られへんやろ。
でも、なんやろ。この気持ち。
胸がきゅんとして。
ようわからへんけど。

気がついたときには、棗の肩に頬を寄せていた。

今だけは、側に・・。





「佐倉、大丈夫?!」
「ルカぴょん、」
医務室のベッドに腰をかけて休んでいると、ルカが血相変えて飛び込んできた。
息が途切れ途切れだ。
「こめんな、心配かけて。ただの捻挫。せやから大丈夫や」
「こんなことなら、やっぱり手伝うんだった」
ルカが蜜柑の前に片足をついてしゃがみ込む。切実な顔だ。
「ごめん」
「もう、なんでルカぴょんが謝るんや。過保護やなあ、ホンマに大丈夫や。ウチがそそっかしいから、こうなったんや。それに棗がここまで、」 思わず言葉を切る。ルカが目を見開いた。
「棗、来たの?」
「・・・うん、」
「ここまで連れてきてくれたんだ」
「うん・・・・」 返事がしにくい。
「そっか」
彼は俯きながら軽く微笑んだ。
どんな顔をしていいかわからない。
「オレ、一旦、授業に戻るね」
「あ、うん、ごめんな。ホンマ、心配かけて」
「ううん、・・・だけど」
「え?」
刹那ルカが腕を伸ばし、蜜柑の体をふわりと抱き寄せる。金色の髪が視界の端で揺れた。
「ルカ、ぴょん?」
彼の予想外の行動に、まごつく。
「佐倉、・・」 耳の近くで、切なげに名を呼ぶ。
「ルカ、」
「オレを、・・選んで」
「・・・・・・・」
「そばにいて欲しいんだ」
「ルカぴょん・・・」
「今だけじゃなく、この先もずっと」
「・・・・・・・」
ルカがゆっくりと体を離す。美しいブルーの光彩が蜜柑を見つめた。それは吸い込まれそうな程の真摯さを宿している。こんな彼は、見たことがない。
・・・・初めてだ。
「返事を、」 蜜柑の手をとる。しなやかな唇が甲に触れた。「・・・聞かせて、」
「・・・・・・・・」

心が、震える。
握られた手から、彼の静かな熱情が伝わってきた。
それは、あの時の棗の体温と重なる。

『・・・おまえが誰を想おうが、誰を選ぼうが』

瞼を閉じる。

『・・・・オレの気持ちは変わらない』

「佐倉・・・」

・・・蜜柑

棗、・・ウチ・・、


ゆっくりと瞼を開いた。
その瞳に映るのは。

握られていた蜜柑の指先が、微かに動いた。




fin



Thank you.....!!

09.06.17 加筆修正


inserted by FC2 system