7月のシンデレラ 番外編/ stage 1


「なあ、そろそろ、放してくれへん?」
「・・・いやだ」
「せやかて、こんな暑い日にこんなことせんでも、」
「部屋の中は涼しいだろ。それとも、嫌なのか?」
「誰もそんなこと言うてへん」
「なら、黙ってろ」
「・・・・・・・・・・」

腕の中にある柔らかな体が、何度も身じろぎをする。ノースリーブワンピースから伸びている細く、健康的な手足。 自身の欲を掻き立てるような、その扇情的な様とは裏腹に、蜜柑は膝に座っているのが落ち着かないのか、そわそわとしていた。緊張もしているのだろう、妙に姿勢がよく、つま先も行儀よく床に並んでいる。

「力抜けよ」
「・・抜いてるけど?」
「強張ってるじゃねえか」
「そ、そんなことあらへんよ」
「・・・嘘付け、」
そう耳元で囁いてやれば、蜜柑はひゃっと小さな声を漏らし、恥ずかしそうにしながらも徐々に力を抜いた。横向きの身体の重心が移動し、胸に凭れ掛かる。その身体を更に強く囲い、汗を含んだ前髪に軽いキスをした。
「なつめ、あの、ウチ、午後から練習なんやけど、」
「だから?」
「だから、その一度家に帰って、支度せな、間に合わなくなるんやけど」
「・・・・・・・・」

そう言われると余計に意地悪くなるのだ。

うだるような暑さを避け、エアコンの効いた自室で寛いでいると、蜜柑が差し入れを持ってやってきたのは、つい先ほどのことだ。

互いの県大会も終わり、漸く訪れた夏休み。
結果は、蜜柑が決勝まで残ったが惜しくも5位、自身の方は3回戦延長の末、敗退した。
だが蜜柑は、まだ秋の大会や来年がある。県大後も、引き続き練習に余念がない。

近頃の彼女は、受験生である自分を気遣い、遠慮がちにここに来るのだ。それが可笑しくも愛おしくも思え、思わず傍に来た身体を引き寄せた。

「・・・なあ、お願いや」
「・・・・・・・・・・・・・・」

腕の力を緩める。すると、蜜柑が押し付けていた身体を起こした。開放されると思ったのだろうが、直ぐにおとがいに手をかけ、こちらを向かせた。そして彼女の表情が変化する前に、その唇を奪うように、強引に重ねる。
「・・・・・・・・、」
蜜柑が胸のあたりのシャツを掴む。苦しくならないように気を遣う。我ながら器用だと心のどこかで思いながら、彼女の頬に手を添え、甘美な口付けを与える。
すると、シャツを掴んでいた手が肩に置かれた。付き合うようになってからというもの、何度となく交わしたキス。最初は慣れないこの行為に、ぎこちない仕草で応えていた蜜柑も、今ではかなり進歩したようだ。
「・・・・ん・・・・」
時折漏れ出す、吐息まじりの声。
その姿が、・・・煽るのだ。
耐えられなくなる。
唇の呪縛から性急に離れた。それを直ぐに首筋に這わせる。
「な、・・つめ」
感度の高い声。そのまま胸元のファスナーに手をかけた。だがその手を蜜柑が掴んだ。
「・・・なに」
思わず不機嫌に問いかけた。すると蜜柑は、顔を歪めていた。かなり困惑している。
「どう、・・する気?」
「それを訊くのか?」
「せやかて、・・・」
蜜柑は、首を横に小さく振った。
「・・・・・・・・・・・・・」
さすがに、
・・・・まずかったか
これ以上先へはいけない。
実際こんなことは初めてで、彼女も困惑しているのだ。大きく押し寄せた感情に流されそうになり、彼女の意など完全に無視していた。

俯き加減の蜜柑は、先ほどの表情を崩さないまま、こちらを伺うようにちらりと上目遣いをする。怒っているとでも思っているのか。緩く一つに結ばれた髪の毛先までもが、しおれたように肩にかかっていた。
確かに、・・身体の中ではまだ、先ほどの余韻が残っている。だが、ごり押しするわけにもいかない。自分達は、まだそれほど大人でもない。

「・・・バカ。そんな顔すんな」
「怒ってへん?」
「あたりまえだろ」
すると蜜柑が膝から下りた。その右手をとり、握る。
「行くのか?」
「・・うん。なんや、差し入れ届けてすぐに帰るつもりやったのに。邪魔してごめんな」
「別に。何をしていたというわけでもない」
「なあ、・・棗」 手を握り返してくる。
「?」
「アンタ、どこ受けるん?」
思わず目を瞬いた。何を言い出すかと思えば。
「・・・たぶん、明邦」
「明邦・・・・」 蜜柑の目が見開かれる。だがそれは忽ち、考え込むような色に変わる。
「どうした?」
「・・何でも、あらへんよ。ただ、やっぱりレベルの高いところ行くんやなあって」
「別にたいしたところじゃねえよ。偏差値だって高いほうじゃない。それに受験じゃなく、推薦の手続きをとろうと思ってる」
「推薦・・・アンタなら、大丈夫やね。せやけど、もっと上のところに行けるんちゃう?」
「・・・面倒なんだ。進学校なんて御免だ。はっきり言って、高校なんてどこだっていいと思ってる」
すると蜜柑は、やや呆れた顔をした。少し落胆しているようにも見える。
「そんなことより、休み中、どっかに行くか」
「わ、・・ええの?」
「ああ」
蜜柑の顔が少し明るくなる。
「行きたいところは?」
「・・・海、とかでもええ?」
「ああ、構わない」
「わあ、むっちゃ嬉しい。次の日曜なら休みなんやけど、」
「じゃあ、日曜に」
蜜柑は大きく頷くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。向日葵の大輪を思わせる、その幼子のような笑顔に先ほどの色気はない。この違いに内心で苦笑いをしながらも、この微笑みも悪くないと思うのだ。呆れるほど、見惚れている自分がいる。

だから、この時は気がつかなかったのだ。蜜柑の笑顔の裏にある、秘めたる決意など。



海水浴場は、まさに芋荒い状態、酷くごったがえしていた。
中心部から電車一本で行ける手頃な場所なだけに、利用する客も多いのだろう。
砂浜からの照り返しが眩しく、目を細めた。その砂浜一面には、所狭しとシートやパラソルが置かれ、人が歩くのに必要なわずかなスペースだけが、残っている程度だった。
人ごみは苦手だ。一瞬で帰りたくなってきた。何だかわからないが、少しだけ嫌な予感もする。
隣に立つ、蜜柑を見る。あまりの人の多さに呆気にとられていると思いきや、煌めいた眼で海を見ている。さすがは体育会系。
「わあ、海や!はよう、泳がな!」
言うなり、着ていたТシャツを躊躇なく脱ぎだす。水着が露わになった。彼女は、黄色系のビキニの上に、臍丈の同じ柄の水着を重ね着をしていた。間もなく抜いたショートパンツの下の水着も同じ柄だ。 小麦色の肌によく似合っている。だが、・・胸元がよろしくない。重ね着のため潰されているせいか、やたらと貧相に見える。すると視線を感じた蜜柑が、こちらを向く。
「な、・・・あんまし見んと、」
その言葉を遮るように、重ね着している方の水着に指をひっかけ、パチンと弾く。
「コレ、脱げよ」
「や、ええよ、別に、」 強張ったように首を横に振る。
「更に、小さく見えるぞ」
自らもТシャツを脱ぎながら、言う。
「なんやて、余計なお世話や・・・・、」
ふくれたように抗議する蜜柑の言葉が止まった。見れば、何やら頬がうっすらと赤くなっている。
「?・・・どうした?」
「何でも、あらへんよ」 そのまま顔を戻し、海の方へと歩き出す。
「・・・・・・・・・・」
ふっと笑いがこみあげる。まさか、この姿を見て。・・・やれやれ、これは厄介だ。どうしたってこれから先、見なくてはならないというのに。先日のことといい、かなり難航しそうだ。
彼女の背中を見ながら、追いかけるように歩を進める。すると突如、蜜柑が横を向いた。誰かに呼ばれたのか、そう思うや否や、顔には笑顔が広がってく。目線の先を見ると、近付いてきたのは・・男だった。それも軽薄そうな。

「やっぱり、蜜柑ちゃんだ」
「ナル先生!」

・ ・・蜜柑ちゃん・・?ナル先生・・・?
男は、馴れ馴れしく蜜柑のことを呼んだ。対する蜜柑も、嬉々とした声をあげていた。今にも抱きつかんばかりの勢いだ。思わず眉根が寄る。
・ ・・誰だ、こいつは。
「偶然だね、こんなところで会うなんて」 
男は金髪を揺らしながら、女のような顔で笑い、蜜柑のむきだしの肩に手を置いた。すると、こちらの視線に気がついたのか、一瞬ちらりと見る。
「ナル先生、今日はバイトも休み?誰と来とるの?」
「うん、今日は休講日でね、それが一緒に来てる娘と、はぐれちゃって」
「そうなん?・・・彼女?」
「違うよ、でも同じ大学の娘だけどね、・・・って、蜜柑ちゃんは?・・もしかして、」 そう言うなり、またこちらを見る。視線が絡み合う。軽く睨むと、男は少し挑戦的な目をした。
・・・本当に、なんだ、こいつは、
すると蜜柑がそれに気が付き、慌てたように口を開く。
「棗、・・あのな、こちら鳴海先生。・・・ナル先生、彼は、日向、」
「蜜柑ちゃんの彼氏?」
鳴海と紹介された男は、意味深な笑みを浮かべた。
「・・・うん」 蜜柑は恥ずかしそうに、頷いた。
「そうなんだ。へえ、近くで見るとやっぱり格好いいね。さっきから、方々で女の子の視線感じなかったかい?えらく色めきたってるから、何ごとかと目で追いかけたら、その先には君がいたんだよ」
「・・そうなん。ウチは気付かんかったけど」
「・・・・・・・・・・・」 んな話、どうでもいい。
さっさとそこをどきやがれ。
「蜜柑、行くぞ」
不機嫌な体を露わにしたまま、蜜柑の手首を追い抜きざまに掴む。
「じゃあ、ナルせんせ、」
「うん、じゃあね」
「・・・火曜日、待っとるね」
「――――、」
・・・・火曜?
少し進んだ水際のところで、ピタリと足を止める。
「何だ、アイツは。火曜がどうかしたのか?」
隣に並んだ蜜柑に訊く。彼女は、少し言いにくそうにしていたが、やがて重々しく話し始める。
「・・・ナル先生は、ウチの家庭教師なんよ。せやから、・・毎週火曜日と木曜日に来てもろうてて、」
家庭教師、―――。
「いつからだ?」 つい声がキツくなる。
「・・夏休みに、入ってからだから。まだそんなには、」
「家庭教師がなんであんなに馴れ馴れしいんだよ」
「前にも来てもろうてたことがあって、顔馴染みというか、・・そんな感じで」
掴んでいた手首に力を入れた。納得できない感情が渦巻いている。
さっきの挑戦的な目。意味深な笑い。気に入らない。
「断れ」
「・・・え?」 蜜柑が、目を見開く。
「断れって言ってんだ。勉強なら、オレが教える」
「それは、あかん」
蜜柑が、困ったように笑う。
「アンタに迷惑かけるなって、母さんに言われてんのや」
「迷惑なわけあるか。あんな奴に頼むくらいなら、」
「ありがとうな。せやけど、やっぱりそういう訳にいかんねん」
「・・・・・・、」
足先に、さざ波が押し寄せる。蜜柑が気持ち良さそうに身をすくめた。その姿を見て、掴んでいた腕を離した。すると彼女は、勢い良く水の方へ駆けていく。

家庭教師・・・冗談じゃない。
気安く触って、親しそうに名前まで呼び合いやがって。
何であんなやつと週に2回も、ふたりきりで。
それに何故今、家庭教師なんだ?あいつはまだ、2年じゃねえか。

「棗、早う、泳ごっ」
蜜柑が泳ぎながら、手を振っている。

蜜柑には蜜柑の事情がある。それはわかっている。
だが、やっぱり。

強い独占欲。
これだけはどうしたって、自制出来そうにない。

唯一、最大の欠点かもしれない。

水音も激しく、海の中へ進んでいく。
指の間にのめり込む砂の感触が不快だった。あの男のヘラヘラした顔と重なる。


さて、・・・どうしてくれようか。



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