もうひとつの遠恋



かさなる想い


それは、泣きたくなるほど優しい抱擁だった。


「・・・・・な、つめ?」
声がかすれた。棗の背中に両腕を回す。
「どうして、・・・・」
「まだ何も、・・・言うな」
「・・・・・・・・・、」

棗の体が、ごく僅かに震えている。
気を落ち着かせるようにゆっくりと大きく呼吸を繰り返している。


・・・・棗。


車窓から見える景色は街を通り越し、住宅街が広がっていた。
圧迫された胸は苦しいほどだ。けれどその苦しさと同調するように切ないほどの心情が身体全体に伝わってくる。微かに聞こえる鼓動は、早い。

後ろを振り向いた時、目に飛び込んできた棗の顔に息を呑んだ。
今まで一度たりとも見たことがない顔。唇をぐっと閉じ、目を細め、何かを必死にこらえているようだった。刹那伸ばされた腕は、迷い無く自分の身体を包み込んでいた。
まるで手放したことを後悔するように。


棗の背中のシャツを、握り締めた。
それが合図かのように、棗が腕の力を緩めた。


「・・・・帰したくない」
低く、たよりない声が、耳に届く。
「このまま、傍に・・・」
「・・・・・・・・・・・」
棗が、ゆっくりと体を離す。
紅が揺らいでいる。涙はないが、まるで泣いているようだ。
「棗・・・・」
棗が首を傾げ、唇を落とす。
柔らかく触れた。啄ばむようなキス。
涙が、こぼれた。
彼の繊細な想いが、伝わってくる。


「・・・不安か?」
唇を離しながら、棗が問う。
「・・・え?」
「おまえにあんな顔をさせていたのは、俺だ」
蜜柑がかぶりをふる。
「ちゃう、・・ウチが、勝手にあれこれ考えて、」
棗は、涙で濡れた蜜柑の頬を親指で拭う。
「最後まで平然としているつもりだった」 自嘲気味に笑う。「おまえは弱音一つ吐かずに、目一杯頑張っていたからな」
「・・・・・棗、」
「けど、全然だ。オレは我慢がきかない。これじゃあ、一日の努力も無駄だな」

蜜柑の中で大きく膨らんでいた寂寥(せきりょう)感が消えていく。持て余すほどの焦燥も、不安も何もかも。

――― 棗もずっと、同じ気持ちで、

自分のことで一杯だった。変わらない態度の裏に潜んでいた棗の真意なんて考えようともしなかった。上辺だけを見て、勝手に距離を作って、何も見えてはいなかったのだ。

「まだニヶ月半だってのに。先が思い遣られる」
「でも・・・、嬉しい」
棗はわずかに小首をかしげる。
「アンタの本当の気持ちが聞けて。ホンマに、うれしい」
棗は苦い笑いを浮かべた。
「今度は俺が逢いに行く。どんなに仕事で遅くなっても必ずな。だから今日は、」
蜜柑は目を瞬いた。
「帰るな。泊まっていけよ」 切願するような声。
「・・・・・うん」
蜜柑は、微笑みながらゆっくりと頷いた。 


棗の指先がこめかみを滑りながら髪にふれ、そのまま引き寄せられた。再び包み込むように抱きしめられる。胸に押し当てられた頬が熱い。

いつまで我慢出来るかなんてわからないけれど、また不安になったりするかもれないけれど。
その時は、自分も逢いに来ればいい。

この誰よりも愛おしい腕の中へ。

・・・・愛してる。




「蜜柑ちゃん、これ、」

葵の手のひらに、清楚な雰囲気の薄ピンク色の小箱をがのっている。
あれから棗の家へ連れてこられた蜜柑は、昼間のことについて葵に尋ねてみた。すると二人だけになったタイミングを見計らって、こっそりとこの小箱を差し出してきた。 蜜柑が戸惑うような顔をすると葵は微笑みながら、いいから開けてみて、と声を潜めて言った。

そっと蓋を開くと、中心には紅い石が煌めき、周りにはダイヤが品よく散りばめられた指輪が現れた。 蜜柑は驚きから、思わず片手で口を覆った。

「この間掃除をしているときに見つけちゃって」
 葵はペロリと舌を出す。
「いつでも渡せるようにしておきたかったのかな。本当はこんなことは絶対しちゃいけないけど。お兄ちゃんはいつだって蜜柑ちゃんのこと想ってる」


言葉なんて浮かばない。
それほどに幸福で満たされて。

潤む瞳の奥に。

美しい紅が、広がった。








fin



Thank you...!

2010-01-15(加筆修正)



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