もうひとつの遠恋



かわいい妹


「蜜柑ちゃん、こっちこっち」

駅を出て、5分ほどの場所に位置するカフェに入ると、窓際の座席奥で葵が手を振っていた。
蜜柑に笑顔が広がった。

「葵ちゃん」

近付いていくと、葵は立ち上がった。薄い水色のワンピースに身を包んだ彼女は、幼い頃の面影はあるものの、すっかり大人びた女性になっていた。この兄妹は顔つきは違うが、別の種類の美形とでも言うのだろうか、葵は葵で見惚れるほどに綺麗だ。

「蜜柑ちゃんっ、久しぶり!元気だった?」
葵が腕を伸ばし、蜜柑に抱きついた。はつらつとした所は変らない。
蜜柑もそれに応えるように、彼女の体にゆるやかに腕を回す。
「元気、元気、もう見てのとおりや。ホンマに久しぶりやなあ。葵ちゃんは?元気だった?」
葵は体を離した。たおやかに微笑む。
「うん、元気がありすぎて、お兄ちゃんがうるさがっちゃって」
葵の目線が背後に立つ棗の方へ動いた。同じように追いかけると、彼は顔をしかめていた。
「蜜柑ちゃん、こめんね。お兄ちゃん、機嫌悪いでしょ?蜜柑ちゃんに会いたいって言ったら、すっごく拗ねちゃって、」 葵が舌を出した。
蜜柑がクスリと笑う。
「けど、会えて、むっちゃ嬉しい」
「葵も。もう、お兄ちゃんに何て言われようが、ひと目だけでも会いたくて、」
「いい加減、座れよ」 棗は不機嫌そうに言った。 「だから女ってのは、」
「あーはいはい」

葵がおざなりな返事をしながら席についた。蜜柑もその様子に笑いをこらえながら、腰を下ろす。柔らかな日差しが差し込む窓際へ移動しながら、何気に棗の方へ瞳を動かすと、彼は当然のように蜜柑の隣に座った。 二の腕同士が触れ合う。わずかに緊張が走った。
変に意識しすぎや――― そう自分に言い聞かせてみるも、制御が利かない。
これでは不自然さを見破られてしまう。どうしたらいいものか。

けれど葵との久しぶりの会話は和やかで、とても楽しかった。時折、棗に毒舌を吐かれるも、あの学園での出来事が嘘のように幸福に満ちた時間が過ぎていった。


「蜜柑ちゃん、大丈夫?」
「・・・・・え?」
「お兄ちゃんと離れて暮らして、」
「葵ちゃん・・・、」 
棗の携帯が鳴り、彼が店の外へ出て行くと、葵がカップのソーサーを指でいじりながら、気遣うように言った。
「淋しいよね」
「うん、まあ、けど、何とかこうして逢えるし」 笑ってみせる。
「お兄ちゃんは蜜柑ちゃん一筋だし、ね」
「なら、ええんやけど」 
「・・・なんで?何かあったの?」
葵は不思議そうに首を傾げる。
「何にもあらへんよ。ただ棗だって、こっちの生活に馴染めば、どうなるのかなあ、なんて」
あはは、と空元気を装う。
「蜜柑ちゃん、」
葵の瞳が気遣うように細められた。
「あのね、蜜柑ちゃん、」
「そろそろ行くぞ」
背後からの声に、葵はふっと唇を閉じた。
「蜜柑、ちょっと、会社まで付き合え」
「え?会社?」
蜜柑は振り返るように首を回した。
「書類を受け取らなきゃならなくなった。受付でもらうだけだから、すぐに済む」
先ほどの電話は会社からだったのか。棗は面倒くさそうな表情(かお)をしている。
「蜜柑ちゃん、また、会えるよね」
葵は残念そうに言った。
「勿論や。今度は葵ちゃんにも連絡入れるから。棗にアドレス教えてもらうね」
「うん・・・」

葵は最後まで別れを惜しんでいた。その姿を見ながら蜜柑は、先ほど彼女が言いかけていた言葉が気になっていた。棗が戻るや否や、噤まれた唇。 彼の前では話せない内容なのだということは、あの様子から明白だった。いったい、どんなことだったのだろうか。
後でこっそりと訊いてみよう――― 蜜柑は宥めるような笑顔を向けながら思った。

棗が物憂げに見つめていたことなど、知りもせず。







2010-01-15(加筆修正)



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