もうひとつの遠恋



見惚れて


目の前の自動扉が、独特の空気音とともに開いた。

暖かい風が、ふわりと顔をなでていく。
ホームには乗車する客が左右一列ずつ並んでいた。蜜柑はその間をすり抜け、改札口方面へ繋がる階段をのぼる。
初めて降り立った見知らぬ駅。それでも蜜柑の足取りは軽やかだった。
もうすぐで棗に逢える。
気持ちが浮ついてどうしようもなかった。久しぶりに見る彼は、どんな顔をして迎えに来てくれているのか。いつものように少し不機嫌そうにしているのだろうか、それとも。
階段をのぼり終えると改札が見えた。
自然と急ぎ足になる。

―――― もうすぐ、

だが、ピタリと足が止まった。
視力が正確に働く位置。

その瞳はまっすぐに蜜柑を捉えていた。
あの切れ長で、はっきりとした朱色の双眸で。

・・・・棗・・・?

胸に広がる、かすかな動揺。
あの頃よりも短めの髪、シャープな面立ち、見慣れない私服姿。
その洗練された雰囲気に、目が釘付けになった。

「・・・・・・、」

学園を卒業してニヶ月半。
そう、たったのニヶ月と少しだ。
それにも関わらず棗は、蜜柑が抱いていた印象をはるかに超えていた。
良く知ったあの学生の頃の姿が、かすんでしまうくらいに。




「あんなところでアホ面して突っ立ってたら、邪魔だろうが」
「な、アホ面ってなんや、アホ面って」

動揺を鎮め、漸く動き出した足を進めて改札を抜けると、棗は呆れた顔をしながら開口一番にこう言った。間近で見る彼は、先ほどの印象よりも、更に垢抜けて見えた。
「珍しいもんでも、見えたのか」
「そんなんやない。ただ、アンタ、ちょっと変わったな、・・・思うて」
「・・・?別に何も変わってねーよ」
「そう、かな」 
「ああ」
本人は、無自覚のようだ。
「元気そう、やな」
「おまえも、元気だけはありそうじゃねえか」
その言葉に顔を顰める。
「なんやその元気だけは、って」
「相変わらずだってことだ」
棗はわずかに口元を綻ばせた。いざなわれるように出口へ向かって歩き出す。
――― 相変わらず、
どうせいつものお間抜けな雰囲気は変わらないとでも思っているのだろう。
確かに何一つ変わっていないと蜜柑は思う。いや、一ヶ月や二ヶ月で何が変化すると言うのだろうか。棗のようにガラリと変わっている方が珍しい。違う環境で生きるということは、それなりに人を変えてしまうものなのだろうか。


お互いが違う場所で新しい生活をスタートさせようと決めたのは、卒業間近のことだった。
ギリギリまで迷った挙句、今は長い間心配をかけてきた身内との暮らしを優先させるということで、納得し合った。
勿論、棗と離れることにひどい寂しさを感じてはいたが、その状態に耐えることが出来ないほど、自分達の関係は不安定なものではなかった。それは棗も同じ思いだった。

しかしいざ離れてみると、今だかつて体験したことがない思いに苛まれた。初めの頃はまだ良かった。祖父との生活に、安心と幸福を感じ、充実した日々を送っていたからだ。これまで苦労をかけてきた恩返しを精一杯したいという思いで溢れていた。無論、今もそれは変わらない。
反面、棗に逢いたいという思いは、積もっていく一方だった。遠く離れた地に住むということは、そう易々とは逢えないということだ。それを充分理解しているつもりだったが、想像と現実とでは大きな違いが生まれた。

毎日のように何かかしら連絡を取り合っても、埋まることのない寂しさ。
けれど逢いたいという言葉を口には出せなかった。棗は既に仕事に就いており、かなり多忙であることを理解していた。困らせてはいけないと必死だった。

だがつい先日、吉報が入った。棗から、週末に来いとメールが届いたのだ。久々にゆっくりとした休みをもらえるという。あまりの嬉しさに心が躍った。そのお陰でここ数日間は、ほとんど眠れていない。


「蜜柑、」
指先が触れ、手を繋がれた。ドキリとする。
「・・・え?」
曖昧に顔を向けた。
「葵がこの先の店で待っている」
「葵ちゃんが?」 
声が弾んだ。だが、棗は少し不機嫌そうだ。
「すぐに帰るから、少しだけでも逢わせろとうるさかったんだ。仕方ねえから、そこの店で待たせてる」
「嬉しい。葵ちゃんに会えるなんて、何年ぶりやろ。綺麗になったんやろね」
「どうだか。数年ぶりに会ったって中身なんか全然変わってねえし」
「楽しみや」
蜜柑は前を向いたまま微笑んだ。
棗の視線を感じたが、うまく目を合わる自信がなかった。


繋がれた手は、しっかりと握られていた。
何故だかそれだけで、鼓動が大きく波打っている。こんなことは学園では日常茶飯事だった。
出逢いの衝撃から抜け切れていないせいだろうか。
どう変わっていようが、棗は棗だというのに。

まるで、初めて逢ったひとと手を繋いでいるようだ。







2010-01-15(加筆修正)



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