Botan

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  番外編  




アキアカネが、すいっと目の前を通り過ぎていく。それを追いかければ、見事に晴れ渡った青の空へ吸い込まれるように小さくなっていった。
その姿を目を細めて、見送る。
暦はもう9月になっていた。昼間はまだ暑さが残るものの、夕刻になるとぐっと涼しくなり、季節の移り変わりを肌で感じるようになった。ひと月まえの酷暑が嘘のようだ。

線香がたゆたうように流れていく。それはまだ、どこか信じきれていない自身の心を表しているようだ。

「やっぱりここにいたのか」

声のする方へ顔を向ける。すると、親友の隣人が穏やかな顔つきをしながら近付いてきた。
「よく、ここがわかったね」
少し微笑みながら答えると、殿内は、まあな、と言い、目線を墓の方へと動かした。
「よく、来てるだろ」
「・・・・うん」
「あいつは、あの世でも、よろしくやってんだろうな」
「・・・・・・・・」 
「まだ、・・・信じられないか?ひどく、自分を責めているんじゃないのか?」
「・・・・・・・」
「あの日、あの別邸に連れて行かなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかって」

流架は目を伏せ、ゆっくりと呼吸をする。
・・・確かだ。あの出来事以来、考えるのはそればかりだ。

あの日、あの場所へ連れて行かなければ、棗は蜜柑に逢うことはなかった。二人がひと目で惹かれあっていたことは、あの時すぐにわかった。それは、女中の蛍も気が付いており、当主に呼ばれ共に廊下を歩いていた時に、悩ましげな面持ちを向けてきていた。

だが、患いが長びき、思い通りの日々を過ごせなかった蜜柑にとって、棗との出会いはどれほど希望となったか。だから、・・・黙って、見守るしかないと思っていた。苦しい恋かもしれないが、蜜柑にとってそれが大きな気力となり、病が少しでも上向けばそれに越したことはないと。

それがまさか、あんな風になってしまうとは、・・責めた。責めていた。自身の軽率さを、
・・・悔やんでいた。

「結局、」

殿内の声で、顔を上げる。

「何に幸せを感じるかなんて、そいつ自身にしかわからないことなんだ」

振り返る。彼はこちらを見ていた。

「客観的に見れば、何故だと思うかもしれない。しかし棗は、あの娘を選んだ。これから先の人生よりも、あの娘を選んだんだ。それがあいつにとって、これ以上の幸せはないと感じたからなんだ」

殿内は、微動だにせず流架を見つめていた。それは普段の彼からは想像がつかないほどの真摯さだった。


――― 幸せ、・・・それは本人にしかわからない、

「だから、いつまでも自分を責めてんじゃないぞ。あいつがあの世で、不機嫌になる。それで出てこられたんじゃ、たまったもんじゃないからな」
最後の方は、いつもの殿内らしくおどけていた。
「・・・殿」
思わず、クスリと笑ってしまう。

―――― ありがとう、

心の中で礼言う。
ずっと、心配してくれてたんだね。


「と、言うことで、今晩はあいつを弔うために飲みにいくぞ」
「・・やっぱり、そういうことになるんだね」 呆れ気味に言う。
「あったりまえだろ、いい男が二人して、野郎に心奪われてたんじゃ埒があかないってもんよ。そろそろいい女、捜しにいかねえとな」

ああ、やっぱり殿は殿だ。
流架は、苦笑いをする。


空を見上げた。
すると、つがいのアキアカネがふわりと飛んでいた。
先ほどよりも軽やかに天に昇っていく。



ねえ、棗。

・・・・君は、幸せかい?






<Botan / 番外編 / Fin>


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