雪花


外は、ほのかに明るかった。

見上げると、白雪が漆黒の天空から下界へと静かに舞い降りていた。
地を踏みしめれば、ギュッという独特の音が聞こえる。
その感触は、それなりの積雪を感じさせるものだった。
夕刻から降り始めた雪は、数時間経った後、あたりの風景を一変させた。
自然現象とはいえ、クリスマスイブ前夜の演出としては、よく出来ていると素直に思った。

寮の出口を出て、数十メートル先を進んで行く。すると捜していた少女は背中を丸めしゃがみ込み、俯いて何かをしている。

「蜜柑」
名を呼び、近づいて行くと彼女はこちらを振り向いた。
「棗、」
「何してるんだ?」
「ちょっと、捜しものしてんねん」
「捜しもの?」
そう怪訝そうに訊ねれば、蜜柑は少し恥ずかしそうに立ち上がった。
「夕方帰ってきたとき、確かこの辺で、出し入れしたはずなんやけど・・」
思わず、軽い吐息を漏らす。
どのくらいの時間、捜していたのだろう。確か夕食には、いたはずだが。
見れば、下ろした髪は水分を含み固まりかけている。着用しているロングのダウンコートは、暗がりでも色が変わっているのがわかるほどに濡れていた。
そして何度も雪をかき分けたのだろうか、息を吹きかける指先は赤くなり、感覚を失っているように見えた。
思わずその手の片方をとり、包み込むように軽く握った。
「風邪ひくぞ。あいつら、お前がいなくなったって心配している。それにもうすぐ始まるそうだ」
「ああ、ごめんな。・・・もう、そんな時間なんか」
蜜柑が、繋いだ手に身を寄せるように、棗に寄りかかる。
今日は、クリスマスの前夜祭という名目で、寮でちょっとしたパーティが開かれる。
その宴の開始時刻が、迫っているのだ。
蜜柑がいないと騒ぎ出したのは、つい先ほどのことだった。皆が気にしながら準備を進める傍らで、棗は寮の中を捜しまわっていた。
「もう少しだけ、お願い、捜させてや」
蜜柑が、懇願するように言う。
「何を落としたんだ?」
「・・・・・」 言いにくそうな顔をする。
「蜜柑?」
「・・・スウェードの、白い小さな巾着」
棗は彼女の逡巡している様子を不思議に思いながらも、すでに足元付近や近辺に視線を走らせた。 ・・・よりによって、白か。
「一緒に、探してくれるん?」 蜜柑が申し訳なさそうに言う。
「さっさと見つけて行かねえと、あいつらいよいよ大騒ぎしそうだからな」
そして何より、おまえの体が限界じゃねえか。そう心配する気持ちを表には出さすに、屈みこみ雪を掻き分ける。
「ごめん・・」そう言う蜜柑も、また同じようにしゃがみ込んだ。
しかし直ぐに、事態は動いた。
「これか?」
「ん?」
棗がつまむように、しっとりと重くなった捜索品を蜜柑に見せる。
「あっ・・・!それや、なんで、どこにあったん?!」ひどく驚嘆している。
ここ、と棗が、自分の靴付近を指差す。
「ウチは、全然見つけられなかったのに・・」今度は、力が抜けている。
「まったく、何処さがしてんだよ。まあ、よかったじゃねえか、見つかって」
棗が、蜜柑の掌に巾着を置く。
「うん・・・ありがと」
「行くぞ」
棗は立ち上がると、再び蜜柑の手をとった。
だが少女は、立ち止まったままだ。
彼の腕が必然的に、引っ張られる。
「蜜柑?」
振り返れば、蜜柑は、少しはにかんだ顔をしていた。
「これ、」先ほどの巾着を、差し出す。
「・・・・?」
「ちょっと早いけど、プレゼント」
「蜜柑、」
「ごめん、ウチがそそっかしいばっかりにアンタへのプレゼントをこんな風にしてしまうて・・でももう、ラッピングしなおしてる時間もあらへんし・・・。パーティ終わったら、・・・すぐ行くんやろ?」
「・・・・ああ」
ほんの少し遅れて返事をする。
棗は、この寮での前夜祭が終わったら、直ぐに任務に赴くことになっていた。
今度は蜜柑が、彼の掌にプレゼントを置く。
「サンキュ・・」
「中身は、ありきたりだけどな。愛情は、・・・こもっているから、」
そこまで言って、声を詰まらせた。
顔を少し俯かせる。
「蜜柑?」
「・・・・・」
「どうした?」 棗が握っていた手に、少し力を入れた。
「ホンマは、・・」 振り絞るような声。「ホンマは、イヤなんよ」
「・・・・・」
「物分りのいい顔をして、・・・・笑って、いってらっしゃいだなんて、ホンマは、アンタをもう何処にも行かせたくないんや、」 顔を上げる。瞳には、今にも溢れそうなほど涙が浮かんでいた。
「・・・わかってるんや、こんなこと言ったら、棗が困るってことくらいわかってるんや。せやけど・・・ごめん、」
「蜜柑・・・」
「行かないで・・・お願いや。ウチの、一生のお願いや・・。」
声が、体が震えていた。

胸が締め付けられる。

蜜柑は、今回の任務がどれほどのものなのか、うすうす気が付いているのだろう。
何処へ行くのか、どんなことをするのか。
何より、生きて帰って来られるのか。

今度ばかりは、危険度が高すぎて、どんなことも予測不可能だ。
こんな任務、リスクが大きすぎて本当は引き受けたくなかった。
だが、従わざるおえない現実がそこにあるのも事実だった。

蜜柑の頬を、絶え間なく涙がこぼれ落ちる。

いつも・・、
こんな想いをさせるために、俺はこいつのそばにいるわけじゃない。

だが、この手を離すことが出来ない。
どうしても。
そしてそれは、蜜柑も同じなんだろう。

お互いにこの場所を失うことなど、考えられなかった。


「蜜柑」
棗が、蜜柑の頬を両手でそっと包み込む。
「俺は、必ず帰ってくる」
甲を暖かい雫が、こぼれ落ちていく。
「決して、ひとりにはしない。そしてどんなに離れていようが、心はおまえのものだ」
「棗・・」
「だから、信じろ」
棗の真摯な眼差しに、蜜柑の双眸が揺らぐ。
悲しみを宿したその瞳は、何も語ることはなく、ただ縋るように彼を見つめていた。
やがてゆっくりと、瞬きをする。
「蜜柑・・・」
「かならず・・」
棗の手に、蜜柑が掌を重ねる。
「必ず、帰って来て・・・」
「ああ」
「約束や・・」
「わかってる」
蜜柑が瞼を閉じる。
そこにそっと口付ければ、重なり合う彼女の細い指先から切なさが溶けていく。


必ず帰ってこられるという保障など、どこにもない。

信じられるのは、今確かに感じているこのぬくもりだけだ。

だが、それで充分だ。

必ず戻る。
何があっても。

―――― 蜜柑のところへ。


この痛みが癒えるのは、いつだろうか。


花びらのような雪だけが、優しく降り注いでいた。




Fin


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