sugar sugar 前編


頬を伝う涙は、凍りそうなほど冷たかった。

向かい風が容赦なく顔に吹きつけ、痛いとさえ感じる。駆ける足は雪にとられ重たく、動かすのが辛かった。なら走らなければいいじゃないかと心の隅で問うてみるが、それ以上に頑固な意思が言うことをきかない。
けれどそろそろ限界が近付いていた。呼吸が苦しくて仕方がない。忙しなく吐き出される白い息を遮るように俯きながら、ゆるゆるとスピードを落とした。立ち止まると、疲弊した体を叱咤し、うしろを振り返る。

「追いかけて・・きいひん」

きん、と冷え切った空間に響く消え入りそうなひとり言。ざわっと木々が鳴り、風とともに粉雪が地吹雪のように舞い上がった。あまりの寒さに蜜柑の背筋に悪寒が走り、くしゃみがひとつ飛び出す。

ああ、もう、・・・何やっとるんやろ。最悪。

喧嘩をした。棗と他愛もない喧嘩をした。無論、こんなことは珍しいことでも何でもなく、いつものように軽く受け流せるはずだった。けれど今日は雰囲気が違った。
どうにも蜜柑の胸がモヤモヤして、うまく収拾がつけられなかった。気がついたら、アンタなんか大っ嫌いや、などとと叫びながら、ひとり学校を飛び出していた。
こんなに声を荒げ、激怒したのは初めてだ。棗は驚いていたに違いない・・・と思っているのは蜜柑だけだったようだ。すぐさま彼女を追いかけ、慰めにかかるかと思いきや、白い景色の向こう側に見える校舎から気配すら感じられなかった。悔しさと寂しさが交差するように感情を覆い尽くし、ひどい寒さと相まって、輪をかけていたたまれない。

手の甲で涙を拭い、大きく息を吐き出した。とぼとぼと寮へ繋がる道を歩き出しながら、
どうして追いかけて来ないのか、どうして慰めに来ないのだろうかと、ぶつぶつとひとりごちる。
くやしい。くやしいけど、
この気持ちは、―――― 何なのだろうか?
納得のいかない悔しさと同居する思い。

・・・・甘え?

あれほど激しい喧嘩ならば、しばらく顔も見たくなければ口などききたくなくなるのが普通だろう。けれど今思っているのは、それとは正反対の思い。慰めて欲しいと、こんなに傷ついた自分を慰めて欲しいと願う気持ちでいっぱいだ。蜜柑にしか知りえない、あの優しい腕の中でごめん、と囁いて欲しいと。
再び立ち止まり、雪の地面を見つめた。しゃがみこむと、両手で雪を掬い、力を入れ丸めた。何かにあたりたい気持ちでいっぱいだった。
棗なんて --――― 、
そのとき、吹き荒む風の音にまじり、雪を踏みしめるようなかすかな足音が耳に届いた。咄嗟に振り返る。
「―――、」
小さく見える影。走りながら、徐々にこちらに近付いてくる。あれは、紛れもなく切望していた姿。
(棗--―――、)
嬉しかった。ホッとしている自分。けれど喜び反面、次に蜜柑の胸中を覆ったのは複雑な想い。
遅い。何故、このタイミングなのか。どうしてもっと早く。
握り締めていた雪玉を放りなげ、背を向けた。早歩きで前に進んだ。まるで追いかける棗を無視するかのように。
蜜柑、と呼ぶ声が聞こえた。反射的に走り出した。
自分で自分がわからない。追いかけて来て欲しいと願っていたのに、今度はそのタイミングで気分を害している。甘えるにもほどがある。けれど、すぐに追いかけて来なかったあの間が、彼の意思を物語っているようでたまらない。持て余し気味に仕様がなく追って来ているならば、嬉しいどころか惨めで空しいだけだ。
雪に足をとられバランスを崩しながらも、後ろを見ずに走った。向かい風はやはり非常なほど冷たく、頬を触ったならきっと感覚を失くしているだろう。棗は1,2度名を呼んだが、止まる様子を見せないことにあきらめたのか、そのあとは彼の踏みしめる雪の音だけが耳に届いた。

寮が迫ってきた。飛びつくように扉を開けた。温かい風がふわりと前身を包んだ。肩を上下させ、激しく呼吸を繰り返していると、その肩に突如付加を感じた。ぐっと力が込められる。
「てめぇ、・・なんで逃げる、」
身が竦むような低い声に尋常じゃない動きをしている鼓動が、一瞬大きな動きをした。けれどそれはすぐに持ち直し、蜜柑は振り返りると、棗を睨んだ。
「なんで逃げるって?そんなの自分の胸に聞いてみたらええやろ」
「あんな喧嘩で、くだらねえ」
「くだらねえ?!」
蜜柑は目を剥いた。あまりの言い草に、肩に置かれた手を振り払おうとしたとき、彼女同様、荒い呼吸を繰り返していた棗が胸をおさえ、俯いた。
「な、その手に、」
乗るものか。以前もこれで騙されたのだ。今日こそは―――、だが
肩に置かれていた棗の手が滑るように落ち、蜜柑の二の腕を掴んだ。
「棗?」
棗は激しく咳き込んだ。胸を押さえる手がかすかに震えている。蜜柑の背筋に冷たいものが走った。
「棗?・・・棗!大丈夫?!」
棗の顔色が紙のように白くなっていく。これは、
「ウチ、」 叫ぶように言った。「誰か呼んでくる」
「大丈夫だ」
二の腕を掴んでいた棗の指に力が入った。
「・・・ここにいろ」
「けど、」
棗は少し顔をあげた。

「いいから、ちょっと、・・肩貸せ」





甘甘は後編で(笑)


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