ほら、キミはこんなに素敵に笑える / 中編


どっと疲れが押し寄せてきた。

棗は気だるいからだを持て余すようにベッドに座った。そのまま後ろへ倒れこむ。 見慣れた白い天井を見ながら、くだらねぇ、とひとりごちる。けれどその心中は意外なほどダメージを受けていた。
あの写真を見てからというもの心穏やかではいられず、蜜柑を翼たちに預け、一足先に帰ってきた。静かな苛立ちが胸の内奥を這うように広がり、なかなか払拭することが出来ない。何もそこまで気にする必要はないと言い聞かせても、そう思うや否や、あの写真が目に浮かび、気分を不快にさせるのだ。

大賑わいだった寮での正月、窓際にひとり座っていたときのワンショット。
棗は彼自身も知らない顔で笑っていた。
それもただの笑みではない。何かを見て、はにかんだ顔つきで、笑っていた。まるで締まりがなかった。傍から見たら間違いなく惚気ているような表情。平たく言えば、ニヤついているように見えるのだ。

何かとはおそらく・・・蜜柑のことだろう。他に考えられない。あのときは確か様々な人間にカメラが渡っていた。そしてそれは翼たちも例外ではなく、これ見よがしにあの顔を撮っていたのだ。 先ほど冷や汗をかきながら「や、珍しい顔してんなーとか思って、つい、な」と言い訳じみたことを並べていたが、まったくよくもこんな余計なことに頭がまわるものだ。それもあんな訳のわからないあだ名までついているとは。どれほど広まっているのか、考えるだけで頭が痛い。

だが確かに蜜柑と付き合いだしてからというもの、彼女への目は変ったと、時々自覚するときがある。それが無意識のうちに表へ出たということか。いずれにせよ、衝撃が大きすぎた。あんな顔をしていたとは、洒落にならない。自分だと認めることにひどい抵抗を感じる。

「棗?」

声と同時にドアが開いた。首だけを持ち上げる。蜜柑がドアノブに手をかけたまま、顔だけをひょこっと出している。
「入って・・・ええ?」 遠慮がちに訊く。
それに応えず、ふたたびベッドに頭を沈めた。一呼吸おいてから、ああ、と返事をする。
勢いをつけて起き上がった。
蜜柑は、しずしずと部屋の中へ歩を進めた。両手には、鞄とホワロンの袋を持っている。
「早かったな」
「うん、混んでたし、別に慌てて買い込むものもなかったし」 浮かない顔で作り笑いをしている。
「・・・・・・・・」
棗はその顔を見ながら、昼間ベンチに座り、デジカメを見て楽しそうに笑っていた顔を思い出した。違いすぎて、内心でため息がこぼれる。
買い物を早々に切り上げ、ここへ来た理由。不機嫌になっている棗が気になって仕方がなかったのだ。
「それ」 棗は紙袋を見た。「食わなかったのかよ」
「あ、・・うん、」
蜜柑は鞄を置き、紙袋の中からホワロンの入った箱をひとつ取り出した。
「アンタと、一緒に食べよう思うて、・・・あの、棗、」
「?」
「えっと、・・」
蜜柑は、いいかけた言葉を飲み込んだ。気を落ち着かせるように、ゆっくりとベッドに座った。体ひとつぶんの距離が開いている。
「・・・・ごめん」
「別に、おまえが謝るようなことじゃねえだろ」
「けど、」
そうだ、蜜柑が謝るようなことじゃない。腹立たしいのは確かだが、それはどちらかと言えば、知らぬ間にあんな顔をしていたという、自分に対する情けなさからきている方が大きい。
「棗、あのな、・・こんなこと言うたらますます気を悪くするかもしれへんけど、ウチは、あの写真好きや」
棗は、つと、目を見開いた。蜜柑は恥ずかしそうに続ける。
「アンタ普段はほとんど表情を変えへんから、あんな風に笑ってる顔見るとホッとするし、何だか嬉しい。だから、ウチは、・・大好きや。ずっとずっと見ていたいくらい、大好きや」
「・・・・・・・・・・・」
言葉を返せなかった。蜜柑をじっと見つめていた。彼女は言ってるそばから更に照れくさくなったのか、膝の上においたホワロンの箱をいじりながら頬を染め、モジモジとしている。
棗はひたいに片手を添え、小刻みにかぶりをふった。

―――― 勘弁しろ

これじゃまるで、告白でもしているみたいじゃねえか。

・・・そうなのだ。これは蜜柑の正直な気持ちだ。告白なのだ。




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