honey ring


窓ガラスに映る、淡い橙の光。それは時に揺らめき、賑やかな声をいざないながら、通りすぎていく。

「Trick or treat?」

今日はハロウィン祭。いくつもの掛け声と共に、様々な仮装姿が目に浮かぶ。小ぶりのカゴの中には可愛らしいお菓子が並び、ひとつ、またひとつと手渡されていくのだ。祭りは想像通り盛り上がっているのだろう。考えれば考えるほど、虚しい。

――― ホンマに、ついてへん。
あんなに一生懸命に準備したのに。

蜜柑は、頬を枕に押しあてながら、自分の運のなさを嘆く。ここ数日の頑張りが裏目に出たのだろうか、昨日の夕方から崩れ始めた体調は、翌日、今日には高熱と共に悪化していた。当然のことながら、そんな状態で参加する訳にもいかず。 卒業を来年に控えた学園生活最後のハロウィン祭は、病欠という最悪の状態で過ぎようとしていた。

―――日頃の行いが悪いんやろか

ごほごほと咳をする度に痛む胸は、情けなさと酷いだるさが共有していた。苦しさから目尻に涙が浮かぶ。
掛け布団をひっぱり、体を深くうずめて淋しさをやり過ごそうとした時、ノックと共にドアが開いた。廊下のあかりが漏れ、部屋に一筋の光が差し込む。枕から頭を上げた。

「・・・なつめ?」 

彼は片手にランタンを持ち、見慣れぬ衣装を身に纏っていた。雰囲気が、かなり違う。

「少しは良くなったのか?」
ドアを閉め、近寄ってくる。
「・・・・うん、まあ」
その姿に見とれながら、曖昧に返事をしていると、棗は持っていたランタンをサイドテーブルに置き、机の椅子を引き寄せた。腰をかけると手を伸ばし、蜜柑の額に触れる。冷たくて・・気持ちがいい。
「なんだ、まだ、全然じゃねえか」
「・・・・・・そかな」
「ったく、しょうがねえ奴。何のために準備してきたんだか」
「・・・・・・・・・」
「・・・んだよ」
ぼうとした目で棗を見ていると、彼は居心地悪そうに顔を顰めた。
「・・ドラキュラ?」
蜜柑が掠れた声で訊けば、棗は、ふと目線を逸らす。その拗ねているような、照れているような様子に、思わず笑みが浮かぶ。
「よう、似合うてるよ」
――― ホンマに。

彼はマントこそ身に着けていなかったが、白いシャツに黒のスラックスを着用し、髪にいたっては前髪からすべてを後ろに流していた。シンプルな出で立ちであるにもかかわらず、傍にいるだけで感じる圧倒的な存在感、そして相変わらずの端正な容姿。普段は決して見られない新たな彼を目の当たりにし、蜜柑は、高い体温が更に上昇していくのを感じていた。

「執行部が、積極的に学園行事を先導しないでどうする、だとよ」
棗は嫌そうな顔をする。
「蛍?」
棗は目で頷く。蛍も執行部員なのだ。何かで脅されでもしたのだろうか。それにしても。
「アンタも、丸くなったなあ」 
「・・・・は?」
「以前の棗やったら、頼まれても絶対に引き受けたりしなかったやないの」

すると棗はまた、きまり悪そうな顔をした。あまり触れて欲しくはないといった感じだ。
その様子が、ちょっと可愛いと思ってしまう。彼には口が裂けても言えないが。

だから、ほんの少し意地悪をしてみたくなったのだ。それは本当に冗談っぽく、些細なやりとりで終わるはずだった。


「Trick or treat?」


蜜柑が突如、掠れた声でいたずらっぽく言うと、棗は少しだけ惑うような顔をした。
ほらほら、やっぱり。困っとる。
その予想通りの態度に、また可笑しさが込み上げる。
「なんや、飴のひとつも持ってへんの?」
からかうように言った。
「・・・・・・・・・・・」
彼はひとつ吐息をこぼした。そしてポケットに手を入れると、何かを取り出す。
「・・・珍しいな。ちゃんと用意してたんや。小さい子用?」
「手、出せよ」
蜜柑はクスクスと笑いながら、布団から出ていた手を差し出す。
ちょうだい、とおねだりするように。
すると棗も、いたずらっぽく軽い笑みを浮かべた。そして、差し出された手を表にかえす。
「なん、持ってへんのなら、からかうの・・・」
言葉は、喉奥へと・・消えた。

ひんやりとした金属の感触。それは、薬指を軽やかにすべっていく。

「・・・・・・・・、」
驚きのあまり、目を見開いていると、棗は指先に軽いキスを落とす。

「Trick or treat?」

「・・・・・え?」
蜜柑が動揺したまま、小さくかぶりを振った。
「ウチ、・・・何も」

「返事を」

「・・・・・・・・、」


サイドテーブルの上のジャック・オ・ランタンが、ぼんやりとした灯りを放っている。
その灯りの中で、薬指のリングが一瞬煌めいた。

「・・・・・棗」

壁に映った影が、立ち上がった。
それはゆっくりと降りてくる。


(――― 返事を)


イエスという言葉は、

柔らかい口付けの中へと・・・・消えていった。




fin




Thank you !!



< 09/10/19 加筆修正 >


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