天空の恋人たちへ、


「棗、もう、時間・・・、」

蜜柑の言葉を遮るように、棗の細い指先がふわりと蜜柑の髪にふれた。撫でるように、ゆっくりと髪を梳いていく。
「なつめ、」
「いいから、黙ってろ・・・」
棗の眼差しが、切なげに揺らめいた。淡い光を湛えて。
紺碧の空間に煌めく、無数の星たち。その輝きは棗の瞳の奥のとめどない悲しみを映し出す。

棗は、膝の上にのせている蜜柑の身体を囲うように強く抱きしめた。
次いでゆっくりと力を抜くと、額の髪に唇を寄せる。
「・・・・・蜜柑」
吐息が、鼻筋をくすぐるように落ちていく。やがてふれた唇は、啄ばれ、すぐに甘い感覚へといざなわれた。まるで時など無視するかのように。

涙が溢れた。この愛おしい唇も、声も、優しい指先も、何もかも、もうすぐで終わってしまう。この別れ際ほど、苦しいものはない。長くて、淋しい一年が、・・・また始まる。

(・・・離れたくない)

(離したくない・・・)

唇が、名残惜しく離れていく。
棗は蜜柑の瞳から溢れ出る雫に口付けると、蜜柑を見つめた。


年の恋 今夜尽して明日よりは 常の如くや わが恋ひ居らむ 

――― 一年越しの恋心を今夜尽くして会っても、明日からはまたいつものように恋にくるしむのだろうか


「棗・・・大好き・・・」

蜜柑がほんのりと笑った。
棗の顔がかすんでいく。また涙が一筋落ちた。
消えゆく感触に、指を伸ばすと、その手が柔らかく握られた。

そして眠るように意識を閉じた。




「はあ、なんかええなあ、これ」

蜜柑が感じ入った声でしみじみと言った。ふう、と息を付く。
「・・・くだらねえ」
棗の頭が蜜柑の頭にコツン、と軽くあたった。わずかに首を後ろへ向ける。互いの背中に寄りかかりながら本を読んでいた。とは言っても、木陰で読書をしていた棗を見つけ、これは丁度よいとばかりに背もたれ代わりにしたのは自分だったが。
「なんや、その本、おもしろくないんか?」
棗は、読んでいた本をパタリと閉じた。
「・・・・おまえの」
「おまえ?」
蜜柑の眉根が寄る。
「って、ウチの?」
「他に誰がいんだよ」
「・・・・せ、せやかて、いつの間に、」

蜜柑は、やや焦りを感じた。某雑誌の七夕特集。一般読者の短編小説が載っている。これをいつの間にやら読んでいたなんて。全く気が付かなかった。恥ずかしさが込み上げる。

「まさかとは思うが、登場人物を自分に置き換えて読んじゃいねえだろうな」
ギクリとした。なんでそこまでわかる?
「ま〜さか、そんななあ」
あははと笑う。不自然なイントネーション。きっと嘘だとバレバレだろう。
「まあ、でも、アンタにはくだらなくても、ウチはこういうのキライやないよ」 誤魔化すようにペラペラと喋る。 「一年に一度の逢瀬、別れ際の切なさと甘さ。すごくロマンチックやし」
「たった一日しか、逢えなくてもか?」
「それは、・・・淋しいけど。せやけど、それが運命なら仕方ないちゅうか、」
「運命じゃなくて、身から出たサビだろ」
「それを言うたら元も子もないやないの。ホラ、恋は盲目って言うし」
棗のため息が聞こえた。再び頭をコツン、とあてる。
「盲目になって、自分の首絞めてどうすんだ。ただのバカだろ」
その物言いに対して、蜜柑の胸中に複雑なものが過ぎった。
「ずいぶんと冷静なんやね」
「・・・・・・・・」
「どうせ棗はウチが相手じゃ、盲目になんかなれへんから。気持ちなんてわからんよね」
ふてくされたように言った。子供っぽい拗ね方。棗はいつものように面倒くさそうな顔をしているだろう。けれど現実的なことばかり言うから。

棗はいつだって余裕に見える。落ち着いていて、動揺しているところなど見たことがない。
対して自分はどうだろう。棗と恋をしてからの自分。いつも棗のことばかり考えている。他の事に集中出来なくなることもしばしばだ。好きで好きで仕様がないのは、自分だけではないのかと思うこともある。

「・・・オレは、」
「・・え?」
しかめっ面で返事をした刹那、背中がふっと軽くなる。温かみが消え、ひんやりとした空気を感じるや否や、支えを失った身体が後ろへと傾いでいく。
「わ、なつ、」
声をあげた途端、身体がキャッチされた。目の前には、棗の顔。彼は、斜めになったその体勢のままの蜜柑の体に両腕を回した。囲うように抱き寄せる。
「なつめ、・・なに、」
「いいから、少し黙ってろ、・・・」
紅(くれない)が切なく揺れた。棗の指先が耳をなぞるように、ふわりと髪にふれる。
この、感じ、・・・
「オレは、盲目になんかならない」
「・・・・・・・、」
「あんなに長い間、おまえを手放すくらいなら・・・」

言葉が尾を引き、唇が落ちてきた。
瞼に柔らかな感触。それは羽のように鼻筋をくすぐりながら、唇へと降りてくる。啄ばまれ、惜しみなく注がれる甘い感覚。いつにも増して、丁寧で、優しくて、・・・。
無意識に指先が空(くう)を彷徨っていた。その手が慈しむように握られる。

――― 大切だからこそ、自分を見失ったりはしない。

そんな溢れるような棗の想いを感じて。


愛し方も、恋の仕方もそれぞれに違う。
けれど互いを想い合う気持ちは、同じで。
天空のふたりの幸せを願わずには、いられない。

今夜は晴れるだろうか。
蜜柑は棗の腕の中で、祈りを込めた。

最高に幸福な、逢瀬でありますように―――。






fin




ありがとうございました・・!日付越えたけど、何とかです(笑)


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