Lady in love


彼と付き合うようになってから変わったこと。
そう彼とは、棗のこと。
身なりから食べ方、ちょっとした仕草にまで気を配るようになった。
大口開けて笑ったり、髪の毛を振り乱して走るなんてとんでもない。
常に可愛く、慎み深く。
そう意識することが、幸せのひとつだと思っていた。


「蜜柑ちゃん、そのリップの色可愛いね」

野乃子が微笑みながら、蜜柑の唇を見ている。
昼食後の寛ぎのとき。女の子同士で様々な話に花が咲いていた。そんな会話途中での一コマ。
ピンク色に彩られた、つやのある蜜柑の唇が嬉しそうにひらく。
「ありがとう、これ、この間セントラルタウンで見つけてな、色が気に入ってつい買ってしもうたんや」
「そうなんだ。蜜柑ちゃん、最近一段とおしゃれになったよね。そのゴムも可愛い」
と今度は、ツインテールに結ばれているゴムを見ている。銀細工とべっ甲で作られた小ぶりのバラが三輪ほど清楚に纏まっていた。
「えへへ。これもリップ買った時に。衝動買いや」
「蜜柑ちゃん、それ、棗くん効果?」
アンナが密やかな声で訊く。そして蜜柑の背後にチラリと目線を向けた。最後列の席に座り、相変わらず本を読んでいる棗を見たのだろう。
「や、その、・・・まあ、」
曖昧な返事をした。そうだと言ってしまうことが気恥ずかしく、何となく濁した。
「羨ましい。蜜柑ちゃんどんどん綺麗になっていくね」
アンナがはしゃいだように言った。
「今までがサルみたいだったんだから、いいことなのかもね」
「なんやて?」
傍に座っていた蛍が、日経新聞を捲りながら言った。それに過敏に反応する。
「サルってなんや、サルって」
「その通りの意味よ。野生児に男が出来て、急に変化(へんげ)する典型的な例じゃない」
「なんやそれ。前のウチはどんだけやったんや」 頬を膨らませる。
「ま、だけど、」 蛍が新聞を畳みながら立ち上がる。「前のアンタも悪くはなかったわ」
「どっちやねん、まったく」
その問いに蛍は、ふっと鼻で笑った。一瞬こちらを見て何かを言いたげにしていたが、思い直したようにそのまま席を離れる。
「・・・もう、わけわからんし、」
蜜柑が蛍の背中を見ながら、顔をしかめた。
「蛍ちゃんは蛍ちゃんで、小さい頃からずっと蜜柑ちゃんを見てきてるから、色々と複雑と言うか何というか、・・」
ね、と言いながら野乃子がアンナを見ると、ふたりはあやふやに笑った。
「・・・そんなもんやろか?」
蜜柑が腑に落ちない表情でいうと、彼女たちは同時に首を縦に振った。

まあ、この際蛍にどう思われようが、気にしても仕方がない。
恋愛真っ只中の自分は前とは違うのだ。女の子らしくありたいと思うのは普通のこと。棗はその変化に気付いているかどうかわからないけれど、自分自身は満足している。無意識下で積もっていく気疲れにすら幸福を感じるくらいに。




「それでな、アンナちゃんがな、」
蜜柑が弾むような声で隣を歩く棗に話しかけている。夕暮れ迫る寮までの帰り道。棗が話の合間に相槌を打っている。
「ウチその時、どないしよう思うてな、」
放課後のこの時間は、棗といられる貴重なひととき。時折控えめな笑顔を見せては、声のトーンや話し方にまで気を配っている。よし、今日も完璧だと蜜柑は思う。棗の前ではより一層、可愛くありたい。好きなひとの前では、絶対に。
「おい、」
「ん?」 また上品に笑ってみせる。
「アレ、買わなくていいのか?」
棗が顎をくいっと動かした。その方向を見る。少し先にクレープの屋台が来ていた。
「、・・・」
蜜柑の喉が条件反射のごとく、ゴクリと鳴る。そうか、今日は月に一度の屋台デー。今月はクレープなのだ。因みに先月はアイスクリーム屋が来ていた。
―――― なんで、よりによって今、棗がいるときに、
これじゃ買えないではないか。クレープは口のまわりにクリームをつけながら、遠慮なくかぶりつくのが幸せなのだ。棗のいる前では、決してそんなことは出来ない。ああ、でも食べたい。これを逃したら次に来るのは数ヶ月先。いや、やっぱりいけない。これくらい我慢できなくて、
「・・おい。もう終わりそうだぞ」
「へっ、」
逡巡している間に、クレープ屋は少しずつ後片付けを始めていた。
「走っていけば、間に合うんじゃねえのか」
棗の言葉が追い討ちをかけた。足がピクリと反応する。それを片手で抑えた。
走るって、バタバタ走るところなんて見せたくねん。蜜柑は心中で叫んだ。これは精一杯の気力を振り絞るしかない。
「う、ウチ、・・今お腹いっぱいやから・・」
「・・・・・・・・・」
棗が不思議そうな顔で見ている。
泣きたくなってきた。もうどうでもいい。
わずかに顔を逸らした。
だがその時、突如手を強く握られた。
「、」
驚く間もなく、そのままどんどん引かれていく。
「ちょっ、なつ、」
小走りになる。まさか、
彼の艶やかな髪が揺れている。細くて、サラサラしている。それを漠然と瞳に映しながら、成すがままに走り続けていると、やがてクレープ屋の前でスピードを緩めた。
棗がこちらを振り向く。そして、
「何がいいんだ?」



「ほら、」
棗が買ったばかりのクレープを差し出す。因みに頼んだのは、チョコバナナ。
「・・・ありがと」
蜜柑はそれを遠慮がちに受け取った。あれほど迷い、挙句の果てにいらないと言ってしまった手前、かなり気恥ずかしい。
棗がその姿を見て、少し笑った。すぐ傍のベンチに腰掛ける。蜜柑もその隣に控えめに座った。
「食えよ」
「う、ん」
・・・さて、どんな風に食べようか。念願のクレープ。かなり嬉しいが、こんなに近くに棗がいては・・。
蜜柑はクレープの先端部分を少しだけ含んだ。口の中にほんのりとチョコが広がる。
「おいしい」
「そんなチマチマした食い方してたら、味なんてわかんねえだろ」
棗が覗き込むように見ている。瞳だけ動かすと目が合った。
「そ、そんなこと、あらへんよ。おいしいよ」
「・・・・・・・・・・」
「買ってくれて、ありがとうな」 笑顔を向ける。
「・・・・・・・・・・」
棗は黙ったままだった。じっと見つめている。何だと言うのか。これでは、余計に食べにくい。
「・・どうかしたん?」
そう問いかけると、棗は力を抜くようにふっと表情を緩めた。
「・・・ったく、しょうがねえな」
「・・・え?」
「あれこれ、気を遣いすぎなんだよ」
「・・・・、」
蜜柑が目を丸くする。
「そんなんじゃ、もたねえぞ」
「もたないって、・・どういう」
「そんなに無理して自分を飾らなくてもいいってことだ」
その棗の物言いに、蜜柑が顔をしかめた。
「それはつまり、ウチがどんなにおしゃれしても女の子らしく振舞ってもアンタには少しも意味がなくて、無駄だって言いたいんか?」
「・・・・・・・・・・」
今度は棗が顔をしかめた。呆れたように、ため息をつく。
「何やの、その態度、」
「おまえが馬鹿な解釈するからだ」
棗が勢いよく立ち上がった。負荷のなくなったベンチの一部分がギシリを鳴る。
「・・まんまの、」
「・・・・え?」
こちらを振り向いた。目元が、和んでいる。

「そのままの、おまえでいい」

「・・・・・・・・・」

―――― そのままの

棗・・・、

その言葉は、すうっと身体の中に溶け込んでいった。
肩の力が抜け落ちていく。
頬がみるみる熱を帯びていった。 棗の顔を見ていられなくて、 紛らわすようにクレープにかじりついた。口の周りに付着するチョコ。そして近くで聞こえる、密やかな笑い。
「なんで笑うんや」
「切り替わりが早えじゃねえか」
「まんまのウチでええんやろ」
不貞腐れたように言った。嬉しいのに、素直になれない。またクレープを存分に頬張る。きっと口の周辺は大変なことになっているだろう。
「誤解しねえように、言っとくが、」
「・・?」
上目遣いした。
棗の影が落ちてくる。
「・・・・、」
利き手が肩におかれた。かすかな息を感じた刹那、頬を柔らかな感触が掠めていく。

「めかし込んだおまえも、・・悪くはない」

「・・・・・・・・」

その言葉に蜜柑は、クスリと笑った。


どんな自分でも、棗はとうに受け入れてくれていて。
それを知ったうえで、好きになってくれたのだ。
変わる必要なんて、どこにもなかったというのに。


再び、クレープを頬張る。
明日はどんな色のリップをつけようか。
そう考える蜜柑の胸の中は、幸せで満たされていた。





fin




そう、どんな君でも大好きでたまらないのですー(笑)クレープ屋さん!本当は焼き芋にしようかと思ったのですが、さすがに学園の敷地に焼き芋屋さんは・・(笑)


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