7月のシンデレラ / final stage



『もうあいつ、今度こそ待ってくれねえよ』

頭の中でこだまする、あの言葉。
蜜柑は、重い足どりでノロノロと歩き、漸く辿り着いた校門の前で、大きく息を吐いた。門柱に寄りかかるように、身を押し付け、立ち尽くす。
――― なんやろう、あの会話。
最後まで、聞けばよかったのだろうか。それに対する棗の返答は、そっけないものだった。

いっそのこと、本当のことを聞いてしまえばいいのではないだろうか。あの女(ひと)との関係。
付き合う前は、どんな反応をされてしまうのか怖くて聞くことが出来なかった。あっさりと認められたら、そこで彼との関係が終わってしまうからだ。
だが、今なら、聞けるかもしれない。今の自分のポジションは、もう以前のような不安定なものではないのだ。

『目障りなのよ』
『彼だって、本気で相手しているわけじゃない。それくらい、わかりなさいよ。だから、今後は一切関わらないで』

――― 本気で、・・・

問題はそこだ。彼は、自分のことをどの程度のものと考えているのか。
あの女(ひと)の言葉と、さっきの部室での会話。付き合わせると、辻褄が合う。彼女が始めから揺るぎない位置にいると考えれば、待つ側としては、蜜柑の存在は目障りで鬱陶しい。棗には、いい加減遊びは終わりにして欲しいだろうし、いつまでも待ってなどいられないのだ。それを彼の友人が、傍で散々見てきたとすれば・・・、

「蜜柑」

突如、呼ばれビクリとする。

「・・・棗」
彼は、すぐ傍に立っていた。気がつかなかった。
「どうした・・?具合でも悪いのか?」 
「う、ううん」 蜜柑は首を左右に振った。
「疲れた顔してるぞ。大丈夫なのか?」
「大丈夫や、」
蜜柑は、作り笑いをし、ごまかす。棗はそんな蜜柑を心配げな面持ちで見つめていた。
「なんや、大丈夫やって、」
蜜柑は、先を歩き出した。すぐに棗も歩き出し、蜜柑の手を握る。そのまま引いて、進んでいく。
「・・・・・・、」 
当たり前のように繋がれた・・・手。付き合うようになってからというもの、彼は毎回こうして手を繋いでくれる。
――― 聞いてみようか、
心臓がトクリ、と音を立てる。
「、」
「もう少しで」 棗が振り返る。「大会だろ。練習がキツイのか?」
「え、うん、・・まあ」 
「岬も加減すりゃいいものを。無理して怪我でもしたらどうするんだ」
――― 早く、・・・
「蜜柑」
「・・・・え?」
棗が立ち止まる。
「・・・・・・・・」
「なに・・・?」
「やっぱり顔色よくねえな」
「・・・そう?」
――― 早く、言わなきゃ、
「・・・・・んだよ、」
棗は、繋いでいない方の手を伸ばし、蜜柑の頭に触れる。それを蜜柑は、上目遣いをするように見つめた。掌から伝わる感じが優しい。
「何、思いつめた顔してんだよ。まさか、緊張してんのか?」
「・・・え?」
「もうすぐで本番だから」
棗は、頭から手を外した。そして少し屈み込んだ。頬に柔らかな感触が伝わってくる。
「・・・・・、」
驚く蜜柑を他所に、離れた唇がもう一度落ちてきた。そして、まじないだ、と呟くように言うと、今度は唇に近付いてくる。軽い吐息がかかる。繋いだ手に力が入った。

『あなた、彼とキスしたことある?』

それは殆ど、無意識だった。
「・・・・、蜜柑?」
彼の雰囲気が、明らかに変わった。
「・・・・・・・・・・・」
蜜柑は、顔を背けていた。キスを避けたのだ。
――― なんてことを、
「・・・・・ごめん、」 
涙が滲んできた。もう、わけがわからない。この間は、何でもなかったのに。
「・・・・・・・・・・・」
棗は黙ったままだった。蜜柑も、顔を戻せない。
「ごめん・・・、」
もう一度謝った。
いたたまれなかった。耐えられないほどに。棗の顔を見ないまま、走り去る。
蜜柑、と彼の呼ぶ声が聞こえたが、そのまま振り返らず走った。

彼はきっと怒っている。この訳のわからない行動に。
不自然にキスを拒否したのだ。不審に思わない筈がない。

心臓がひどく早い動きをしている。これは走っているせいだけじゃない。

何をやっているのだろう。完全に先ほどの会話に飲み込まれている。何一つ、事実を確かめていないというのに、その不確かな情報だけに惑わされて、混乱しているのだ。
何度も聞いてみようと思った。喉元まで出かかったというのに、どうしても自分の中で後押しが出来なかった。結局、・・・怖かったのだ。真実を聞くことが。それ以外理由などない。
棗のことを信じていたいのに。信じられるのに。感情の片隅にある脆弱な部分を越えられない。傷つくのが怖いのだ。
また臆病な自分に逆戻りだ。

そして悲惨な状況は、さらなる不幸を招き寄せていた。

鉛のように重い心と体を抱えたまま家へと辿り着き、玄関ドアを開けると、柚香が待っていましたと言わんばかりの顔をして立っていた。
「あれ?棗くんは?一緒じゃないの?」
柚香が残念そうな顔をして、問う。彼はいつもここまで送ってくれているのだ。
「・・・今日は別々や、」
「ふうん、」 
蜜柑が靴を脱ぎながら淡々として応えると、柚香が少し不満げな顔をした。
「それより、なんなん?こんなところで出迎えて、」
再び淡々と訊く蜜柑に、柚香は、あ、そうそうと何かを思い出したように手を叩いた。
「何度か学校の人から電話があったのよ」
「学校のひと・・?誰?」
「それが、名前がよく聞こえなくて。聞き返そうと思うんだけど、アンタがまだ帰ってないって言うと、急いで電話きっちゃうのよ。何か急用じゃないのかなっと思って」
「名前がわからないんじゃ、こちらからかけようもないやないの」
蜜柑がなおざりに応える。
「それもそうなんだけど。もしかしたらアンタが電話をもらう約束をしていたら、相手の子に申し訳ないと思って。だから帰ってくるのを今か今かと待っていたわけ」
「・・・約束なんて、してへんよ」
「ならいいんだけど、結構、切羽詰ったような声をしてたから」
「・・・・・・・・・・・」
蜜柑は誰だろうと考え込む。切羽詰ったような声。それも自宅に電話をかけてくるなんて、緊急時ぐらいにしか利用されないというのに。だがその時、蜜柑の携帯の着信音が鳴った。ポケットに手を入れる。棗のことが頭を過ぎった。柚香の視線を感じながらも、取り出しすぐに画面を確認した。・・・登録されていない番号からだった。
「出たら?」柚香が言う。
「せやけど、知らん番号やし」
「さっきの子かもしれないじゃない。自宅に繋がらないから、アンタのにかけてきたのかも」
「・・・・・・・・・・」
蜜柑はしぶしぶ通話ボタンを押した。
『―――― 、』
「・・・・もしもし?」
『佐倉蜜柑でしょ?』
蜜柑の動きが止まる。この声、
『あなた、自分のしたことわかってる?』
「・・・・・なんのことですか」
手が小刻みに震える。
蜜柑は動揺を隠すため、電話を耳にあてながら柚香の隣を通り過ぎ、表へと出る。
『この後に及んで、とぼけるつもり?』
「・・先輩には、関係ないじゃないですか」
すると彼女は、心外な雰囲気を露わにした。それが電話越しに伝わってくる。
『まあ、いいわ』 鼻で笑う。『明日の昼休み、この間の部室に来なさい。わからないのなら、ちゃんと教えるまでよ。必ず来なさいよ』
彼女はそう吐き捨てるように言った。直ぐに通話が途絶える。
「・・・・・・・・・・・・」
蜜柑は携帯を耳にあてたまま、そのままの姿勢で立ち尽くしていた。
こめかみから、冷たい汗が一筋流れ落ちる。

何もないなんて、ありえないのだと思う。棗との関係は、いち早く耳に入っていたに違いない。
結局・・・彼女も必死なのだ。自分と同じように棗がただ好きなだけなのだ。だから彼との関係をもっと強固なものにしたくて仕方がないのだろう。そして彼がこんな地味な女に気を取られていることが、腹立たしいのだ。

耳から携帯を外す。画面に目をやると、暗くなっていた。その暗さに胸が詰まり、すぐに閉じる。

棗・・・・。

色々なことで頭がいっぱいになっていた。その錯綜した思考の中にある脆弱な部分が、存在を主張するように、ひどく疼いていた。それが蜜柑の中に脈々と流れこみ、ある意思を伝える。

もう、逃げてはいけないのだと。

はっきりとさせなくては、ならない。




翌日の昼食は殆ど喉を通らなかった。

その後のことを考えると、正直食事どころじゃない。大会前に競技以外のことで気をとられているなんて、もっての他だが、これを解決しないことには、何も手につきそうになかった。
あの女(ひと)には何があっても、棗への想い、今の関係をきちんと伝えようと考えていた。それによって彼女が逆上するかもしれないが、あとは棗自身が決めることだ。遊びか本気か。真実を知らなくてはならない。
給食のあと片付けが始まった。昼休みだ。
蜜柑は、意を決するように立ち上がった。
給食の残りを片付け、教室の出入り口へと向かう。

「どこ行くのよ」
後ろの声に振り向く。蛍が立っていた。訝しげな視線を送っている。
「え、ちょっと、部室、」
蜜柑がたどたどしい返事を返すと、蛍はますます表情を険しくした。
「また泣かされに行くのかしら?」
蜜柑が、身をすくめた。親友は何かを勘繰っている。
「ちゃうって、」
「あたしはアンタにそんな顔して欲しくなかったから、あのひとだけはやめなさいって言ったのよ」
「・・・蛍、」

向き合うふたりのやりとりを、通り過ぎる生徒が見ていく。蛍は険しい表情のまま、やや視線をずらすと、蜜柑の腕をひっぱり、窓際の隅へと連れて行った。

「あのひとの、日向くんの周りにいる女について、調べさせてもらったわ。アンタがいつかの昼休みに、携帯を探しにいった日に起きたことについても大体のことは把握している。本人がどこまで知ってるかわからないけど、やっぱりタチが悪すぎるわ。でも、」 蛍は掴んだままの腕に力を入れ、続ける。「アンタの幸せそうな顔見ていたら、もう止められないし口出しも出来ないって思ったの。これはあんた自身のことなんだもの。いくら友達だからって、あんまり踏み込んじゃいけないって思ったのよ。だけど、やっぱり思ったとおりで・・・」
「蛍・・」
普段では考えられないような親友の切実な面持ちに、蜜柑の心中が揺らいだ。これほどまでに心配をかけていたとは。
「蛍・・・ごめん。心配かけて、ごめん」
「そんなことはいいのよ」 強い眼差しだ。
「蛍、・・せやけどな、ウチ、行かなあかんねん、ちゃんと、あの先輩にはっきりと伝えるつもりや。棗のことも、どうしたいかも」
蜜柑が訴えると、蛍は首を左右に振った。
「行く必要なんてないわよ」
「せやかて、」
「日向君は本気よ。これは断言できる。わかるのよ、」 蛍は苦い顔をした。「どうしてかわからないけど、アンタといる時のあのひとの雰囲気・・。悔しいけど、あれは本物よ。だから、本当に関係がないのはあの女の方なのよ」
蛍は必死だった。まるで家出をする娘を止める母親のように。
「行かなければ、・・・どうなるか、」
蜜柑が不安げに呟く。すると、蛍が掴んだままの腕を引いて、再び出入り口へと向かう。
「ほ、たる、どないしたん?」
「日向君に言うのよ」
「え、」 蜜柑が立ち止まる。蛍の体がやや後ろに引張られた。そのまま顔を後ろに向ける。
「なに」
「だって、」
「それが一番よ。あのひとが解決するのがいい」 蛍は当然、といった表情をする。「はっきりさせてもらうの。アンタのことだから、今まで本当のことを聞くのが怖くていたんでしょ」
「・・・・・・・、」
蜜柑が図星だと言わんばかりの顔を親友に向けた時、突如、蛍の背後がざわついた。
ふたりがほぼ同時に目をやる。

ドアのところには、あの女が立っていた。凄まじい形相をしている。
彼女はずかずかと教室へ入り、こちらに近付いて来た。
蛍が直ぐに、蜜柑を庇う。

「来ないなんて、いい度胸してるじゃない」
彼女は剣呑な笑みを浮かべ、目の前で立ち止まる。
「この身の程知らずが。アンタなんか相手にもされていないのに、本当に鬱陶しい」
「相手にされていないのは、アンタの方よ」
蛍が侮蔑も露わにした態度で言う。
「なんですって、」
女の顔が鬼の形相に変わる。今にも食ってかかってきそうだ。教室中が騒然とし始める。
「誰よ、アンタ。あたしはアンタと話してるんじゃないわよ」
「この子は先輩には用はないんです。身の程知らずはそちらでしょう。いい加減そういうの止めた方がいいですよ。恥知らずが」
蛍が抑揚のない声でさらりと言うと、女の雰囲気がさらに一変した。
「この、オンナっ、」
一際高い声が上がる。それと同時に手があがった。蛍は蜜柑を庇う腕に力を入れた。蜜柑は、蛍の体へ腕を回し、身をよじるようにして彼女を庇おうとした。だが間に合わない。咄嗟的に目を瞑った。

「・・・・・・・・・・・」
衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けた。

「・・・・あ・・、」

目の前には棗が立っていた。女の腕を掴んでいる。
「棗、・・・」
蜜柑の声に、彼が軽く頷く。
女の顔が、驚愕のまま止まっていた。なつめ・・・と掠れた声を出している。
彼は、冷ややかな目を女に向けた。
「こういうことだったのか」 声までもが、冷たい。
「なつめ、これは、」
女が、怯えたように小さくかぶりを振る。
「もう、彼女面はやめろ」
棗は、言いながら腕を放した。すると女の顔が歪む。だがそれは忽ち、泣きそうな表情へと変化していった。いたたまれない様子だった。女は背を向けると、そのまま逃げるように教室から出て行った。

「大丈夫か?」
棗が蜜柑たちの顔を交互に見やる。
「・・・うん、大丈夫や」
「大丈夫なわけないじゃない」
蛍が、恨みがましく言った。どうしてこんな状況を作るまでにしたんだという顔をしている。
「・・・・ほたる」
「・・・・・・・・」
棗は反論しなかった。そのまま蜜柑にだけ、目線を動かす。

「今日の帰り、待ってる」

彼は静かにそう言うと、名残惜しそうな視線を送りながら、教室を後にした。






夕刻の風が、すうっと首筋を撫で、肌の湿気を癒すようになびいていく。
校庭から校門まで続く道端には、背丈の低い向日葵が咲き、ゆらゆらと揺れていた。空一面に広がる橙との色合いが美しい。その優美な姿の向こう側に見える校門。そこに立つ人影。間違いなく棗だ。

今日は、蜜柑の方が終わるのが遅かった。練習後のミーティングが長引き、終わった頃には一番最後になっていた。いつもは待つことが多いせいか、待たれているという場面に慣れないものを感じている。それは、様々な出来事のせいだろうか。

棗はずっとこちらを見ていた。あちらからも同じように、蜜柑の姿を確認できるのだ。近付いていくと、彼の表情には、安堵感が滲んでいた。

「ごめん、遅くなって」
蜜柑がたどたどしく謝ると、棗はわずかに微笑んだ。そして、門柱から背を離すと、手を差し出した。
「・・・・・・・・」
蜜柑はゆっくりと、その手をとる。彼の指に力が入り、いつもよりやや強く握られた。そのまま一緒に歩き出す。

メインストリート沿いの歩道。ここを二人で歩くことにも慣れた。最初の頃のことを考えると、随分と進歩したと蜜柑は思う。何もかもが信じられなくて、夢のようで。もっと棗を好きになっていった。今はもう、隣に彼がいない日々なんて考えられない。

その彼が、こちらを向いた。綺麗な色を湛えた瞳が真っ直ぐに見ている。吸い込まれそうだ。それは確かに蜜柑だけを映している。

「悪かった」
棗が、神妙に謝る。
「もっと早く・・気が付くべきだった。辛い思いをさせてしまったな」
「棗、」
蜜柑が立ち止まり、憂い顔を向ける。
「・・・あいつのことか?」
蜜柑がゆるりと頷く。
「あの先輩は、棗の特別な人やないの?ずっと待たせているんやないの?」
「・・・・・・・・」
棗は、ゆっくりとかぶりを振った。「あいつがそう言ったのか?」
「直接やないんだけど、…」
蜜柑が言いにくそうにしていると、棗は言葉を繋げた。
「確かに、過ごした時間は他の女よりは多いかもしれない。ガキの頃からの顔見知りだしな。だが、それ以上でもそれ以下でもない。周りは何を勘違いしているか知らないが、特別な女として見たことなど一度もない」
「・・・・・・・・・・・・・」
蜜柑は、憂い顔を崩さなかった。その顔を見ながら、棗が自嘲気味に言う。
「信じられないか」
「信じたい。信じたいんや。せやけど、ウチはやっぱり自信がないから。アンタが何でウチみたいな女を選んだのか…それを考えると、あの先輩や周りの話に惑わされてしもうて、身動きが取れなくなってしまうんや」
蜜柑は少し俯く。目を伏せ、繋いだ手をじっと見つめる。
棗が吐息をつく。
「俺はどれほどの目で見られているのか」 再び歩を進める。「よほどの女たらしらしい」 言っている声が、苦々しい。
「棗の周りは、・・・綺麗な先輩ばかりや。いつも囲まれているし」
「好きでそうしているわけじゃない」 
棗は再び、自嘲的に笑う。
「ごめん、・・・ウチが勝手に自信なくして、ただ自分を追い込んでいるだけなんや。アンタは、ちゃんと気持ち言うてくれたのに」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「せやから、・・」
「おまえだけだ、オレに媚を売らなかったのは」
「・・・え?」
棗が蜜柑の方を見やる。目が合った。
「大抵の女は、何かかしらの接点が生まれると、必ずそれを利用して近付いてくる。顔がいいだの、頭がいいだの、そんな中身のない理由で近付いては、傍にいたがる。ただ体裁が欲しいだけなんだ。オレは、そんな魂胆見え見えの女たちに興味なんか沸くわけがない」
「せやから、ウチに、・・?」
「きっかけになったのは事実だ。そして極めつけ、おまえは、どこで合っても目も合わせない。校庭で見ていても、少しもこちらを見ようとしなかった。気になって、・・仕方がなかった。そんな奴、初めてだったからな」
「棗、・・・・」
彼は、口元に笑みを浮かべた。
「いつの間にか、おまえのことばかり考えるようになっていた。だからいつの日か、・・・きっと、この手をとろうと決めていた」
「・・・・・・・・・、」
蜜柑の目頭に、熱いものが込み上げる。それは忽ち溢れ、雫となり落ちる。
すると棗が立ち止まった。蜜柑に向き合うと、頬の涙を甲で軽く拭う。
「女に対して、こんな風に思ったのはおまえが初めてだ。だから、自信もて」
「・・・・・・・うん」
蜜柑がたまらず額を、彼の胸に押し付ける。その体に腕が回る。

辺りはもう薄暗くなっていた。街道沿いを走る、車にヘッドライトが点る。この様子は丸見えだろう。
だけど、そんなことは気にならなかった。



「・・昨日は、その、顔を背けてごめんな」
別れ際、自宅の門を開きながら、蜜柑がばつ悪そうに謝る。
すると棗は、ふっと笑う。
「あの代償は大きいぞ」
「え?」 蜜柑が目を瞬く。
「余りのショックに、夜眠れなかった」
「そんな、・・」
蜜柑が困惑顔を向けると、その視線が捕らわれた。目を動かせなくなる。
「侘びは?」
「侘、び?」
「・・・・・・・」
すると棗は、少し屈み目線を蜜柑に合わせる。そこから微動だにしない。つまり、蜜柑のキスを待っているのだ。
「・・・・・・・・・、」
蜜柑はますます困惑した面持ちを向ける。待っている棗。彼からされるキスとはまた別の緊張感が、蜜柑を襲う。だが確かに昨日のことに、罪悪は感じている。
――― ・・・どないしよう
半ば自棄になり、蜜柑が顔を近づける。直視していられなくなり、目を閉じた。
「・・・・・・・・・・」
蜜柑の肩に腕が回る。

触れ合う唇と引き寄せられた体。

それは、破滅的に優しく、胸を締め付ける。

・・・・大好きや。

蜜柑の感情に呼応するように、息継ぎの間に紡がれる心震える言葉。

・・・・・ きだ。

すべてを預け、
幸福で満たされた、この時。




今、シンデレラはここに。





Fin




*あとがき*

最終話をお届けしました(笑)このお話を始めたのは6月下旬でして、もうかれこれ3ヶ月になるんです; 長々と拙い連載にお付き合いいただき、また沢山の温かい応援メッセージをいただきまして、心より感謝しております;; 本当にありがとうございました。番外編、書けたら書きたいです(笑)


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