7月のシンデレラ / stage 6


有名甘味店の特製プリンが入った、薄ピンク地の綺麗な紙袋を持ち、見慣れたカフェの前に立つ。 蜜柑は小さく深呼吸をすると、顔を綻ばせ、自動ドアの前へ足を踏み入れた。

店の中へ入ると、可愛らしい笑顔の少女が駆け寄り、蜜柑に向かって抱きついてきた。

「蜜柑ちゃん、いらっしゃいっ」 弾むような声。
「こ、こんにちは、」

蜜柑は、体に回る腕に同調するように、葵の体にぎこちなく腕を回す。
一瞬驚いたが、悪い気は全然しなかった。サラサラした髪が、頬にあたりくすぐったい。

「来てくれて、ありがとう」
「ううん、ウチこそ、誘ってくれてありがとう、」
「もうすっごく、会いたかった」
かなり熱烈だ。
「おい、」
蜜柑は、声のする方へ瞳を動かす。
「てめえ、いい加減にしろ。暑苦しい」 
棗がカウンター席に浅く腰掛けながら、不機嫌そうにこちらを見ていた。葵は、その雰囲気を感じとったのか、首を動かしチラリと棗の方を一瞥すると、再び蜜柑にぎゅっと抱きついた。棗が、ますます不穏になっていく。
蜜柑は、苦笑いした。一体この兄妹は、何をそんなにムキになっているのか。
たかだか自分に抱きついているくらいで。

「葵」 棗が凄みをきかせたような声を出す。「離れろ。蜜柑が困ってんじゃねえか」
すると葵は、蜜柑を上目遣いで見つめる。その目がまた、いじらしい。
「ごめんね、蜜柑ちゃん、困ってる?」
蜜柑がふるふると頭を左右に動かず、「別に、大丈夫や」
「ホント?大好き」
「てめえ、・・」 
棗が席から立ち上がる。それにすばやく反応した葵は、蜜柑から体を離すと、今度は手をとり蜜柑を席へ連れて行く。
「蜜柑ちゃん、こっち」
棗が座っている場所から、二つ間を置いた席に案内される。彼の横を通り過ぎるとき、葵が勝ち誇ったような顔を向けていた。蜜柑はますます不思議に思う。これでは何かを競っているようではないか。

「やあ、いらっしゃい」
彼らの父親が、奥のドアから姿を現す。あの時と同じ、穏やかな雰囲気だ。蜜柑はホッとしながら挨拶をする。 この兄妹には、仲裁役が必要な気がした。すると早速そんな様子を感じ取ったのか、彼らを交互に見やると、苦い笑いを浮かべる。

「おまえたち、またか」
「だって、今日は葵のために来てくれたんだよね、蜜柑ちゃん」 葵が小首を傾げて、微笑む。
「え、・・うん、そう聞いてるけど」
蜜柑が、曖昧に頷く。
「それなのに、お兄ちゃんったらすごく不機嫌なんだよね」
その葵の物言いに、棗が冷ややかな視線を送る。
「てめえが、あつかましいからだろ」
「あの、」蜜柑が口を挟む。「ウチは、大丈夫やから、その喧嘩せんといて、」
「ごめんね、蜜柑ちゃん。お兄ちゃんったら、やきもち妬いてるだけだから」
「・・・え?」 
さらりと言った葵の言葉に、蜜柑は思わず目を瞬く。
すると棗が立ち上った。無言で葵に近付くと、コツリと頭を軽く叩いた。そして一瞬蜜柑に、和んだ目を向けると、元の不機嫌な顔に戻り、店奥の扉の向こう側へ姿を消した。

「もう、しょうがないお兄ちゃん」 葵が肩を竦める。
「おまえも、あんまり棗を怒らせるんじゃないよ」 父親が蜜柑の前に香りの良い紅茶を置きながら、優しい口調でたしなめる。
「はーい」 
「あ、葵ちゃんこれ、」 蜜柑が紙袋を手渡す。
「わ、これ、ユキシロのプリン?すごく大好きなの!ありがとう」
葵は嬉しそうに、紙袋を抱える。

蜜柑はその嬉しそうな様子を見ながら、先ほど葵が何気なく発した言葉を反芻する。やきもちって、自分の妹に・・?。ありえない。それに自分は・・・・そんな対象で見られてなど。・・・そう思いながらも、静かな喜びのようなものが湧き上がってくるのを感じていた。またいつもと違う彼を垣間見たような気分だ。


「蜜柑ちゃん、それからね」

その後は、葵との楽しい時間が続いた。色々な話をした。葵の学校のことや友達のこと、棗の学校での様子、蜜柑の部活のことや今どきのファッションのこと、話は尽きなかった。彼女の表情はその度にくるくると変わって、本当に可愛らしいという言葉が似合う女の子だった。見ていても微笑ましく、こんな妹がいたらいいなと、つい思ってしまうほどだ。

そんな彼女とのひとときも、間もなく終わりを告げようとしていた。時計を見れば、6時を過ぎていた。招かれたとはいえ、長居をしすぎたと蜜柑は、少し反省する。

「あの、ごめんね、ウチ、そろそろ、」 
「え、もう帰っちゃうの」
葵の淋しそうな顔に、蜜柑はやんわりと微笑む。
「ごめんね」
「もう少しだけ、ダメ?」
「こら、葵。最初から、困らせてはいけないよ」 父親がまた穏やかにたしなめる。「棗を呼んできて、彼女のこと送っていくようって」

棗は、最初にお店を後にしてからも、何度か顔を出し、一緒にお茶を飲んだり、たまに会話に混じり話をしたりしていた。今はまた店の奥、自宅の方へ戻っている。

「いえ、大丈夫です、ひとりで帰れますから」 蜜柑が、遠慮がちに言う。
「ダメダメ、彼女なんだから、ちゃんと送ってもらわないと、」
蜜柑は、ギョッとする。彼女って、
「ちゃうちゃう、あの、彼女なんかじゃ」
「へ?」 葵がきょとんとした顔をする。「彼女でしょ?だって、この間お兄ちゃんに聞いたら、否定してなかったし」
それは、肯定もしてないということではないだろうか。
「それに、」
「?」
「お兄ちゃん、ここに女の子連れて来たの初めてなの」
・ ・・初めて・・?
「葵・・・・」 彼女の父親は、またやれやれといった顔を彼女に向ける。「それを言ったら、棗が怒ると思うよ」

「そうだ、余計なこと言うな」
ドアを開けながら、棗が剣呑な声で言う。
蜜柑は、再びギョッとする。そしてじんわりと顔が火照っていく。彼女とか初めてとか、そんな言葉を聞かされた後に、いきなり現れるから、心臓に悪い。それにしても最初にここに来た時より、機嫌が悪い。棗は誤解も甚だしい会話を聞いて、怒っているのかもしれない。

「送っていく」 棗は、こちらに近付きながら言う。
「・・・はい、」 流されるように、返事をした。椅子から立ち上がる。「今日は、ありがとうございました。」
頭をさげ、丁寧に挨拶をする。
「また、いつでもおいで」 父親が言う。
「蜜柑ちゃん、また来てね」 葵は小さく手を振った。本当にかわいい。
「うん、またね」

蜜柑も、親しみを込めて手をふり返した。


外はすっかり夕の色に染まっていた。二人の影が、地面に細長く映っている。

蜜柑は、店を出てからも先ほどの葵との会話をどことなく引きずっていた。だが棗とふたりだけになると、いつもの雰囲気に戻ることが出来た。内心でホッとする。確定的じゃないことに捕らわれるのは良くない。

「楽しかったか?」 
棗が問う。もう先ほどの不機嫌さは、微塵もない。
「うん、むっちゃ楽しかった。葵ちゃん、可愛いやもん」
すると彼は顔を顰める。
「可愛いって、可愛くねえよ。・・・全然」
「兄妹だからやな。ウチは、羨ましい」
「あんなのでよければ、いつでも連れて行けよ」
そのどうでもいいような言い方に、蜜柑は思わず笑う。本当にこの兄妹は、仕様がない。
「じゃあ、ホンマに連れて行っちゃうよ」
「・・・だめだ、」
「・・・・え?」
「やっぱりやめとけ・・・・、あんなお喋りであつかましいやつ、」
棗は、中途半端に言葉を切った。
「?」
蜜柑が不思議に思い、棗の方へ顔を動かす。すると、彼は立ち止まった。物憂い顔を蜜柑に向ける。
「・・・なつめ?」
「・・・・・・・・・・」
「どないしたん?」
棗はほんの少し口元に笑みを浮かべる。
「初めて呼んだな、名前で」
「・・・・・・・、」
そうだっただろうか、いや、そうだ。今までどこか避けていたような気がしたが、無意識に呼んでしまった。 改めて言われると、恥ずかしさが込み上げてくる。それを振り切るように、慌てた口調で話題を戻す。
「そ、それより、さっき何言おうとしたん?途中で言葉切るから、その、」
「・・・・・・・」
棗は、そのまま黙って蜜柑を見つめていた。その瞳はとても綺麗で、澄んでいる。
すると彼の腕が動いた。
――― 、
何を思う暇もなかった。次には、蜜柑の背中に彼の腕が回り、抱き寄せられた。頬を彼の胸に押し付けられ、もう片方の腕が体に回る。
「・・・・・・・!」
蜜柑は状況を飲み込むことが出来なかった。代わりに心臓が、破裂しそうなほどの勢いで動きだす。

ここは、帰り道の途中で歩道の真ん中だ。幸いひと気はないようだが、その歩道と並んで走る幹線道路は夕方ということもあり、車の往来が激しい。つまり、車中からは丸見えだ。

「・・・蜜柑」 耳元で響く、切なさを含んだ甘い声。
その声に蜜柑の身が少し震えた。停止していた思考が、わずかに動き出す。
「・・・つ、め?」
 声が、うまく出ない。
「教えてやる、・・・あの言葉の続きを、」
「・・・・・・・・」
――― あんなお喋りであつかましいやつ、
「・・・・オレより先に、あんなにおまえにふれやがって、」
蜜柑は、胸の中で目を見ひらく。葵の言葉が浮かぶ。あれは、本当に嫉妬・・?
「――――、」
心臓は依然早鐘を打っている。まだ恥ずかしさと緊張でうまく頭も働かない。余裕なんて全然ないはすなのに。何故だか無性に、・・
「なんで、笑うんだよ」
笑いが込み上げた。つい肩を揺らしてしまう。
「笑うところか」
棗は、少し体を離すと、蜜柑の顔を見る。拗ねていた。この間の顔と同じだ。
「せやかて、・・・妹にそんな風に思わんかて、・・女の子、やよ」 可笑しさと緊張で滑舌が悪い。
「妹であろうが、女であろうが、男であろうが関係ない」
その思いのほか真剣な言い方に蜜柑の笑いが止まる。表情はもう拗ねていない。

「好きだ」

・・・・・それは、静かに・・・

「だから、誰にも触らせたくない」

「・・・・・・・・・」

でもはっきりと、耳に、胸に、こだまして。

信じ、・・られない。

蜜柑は思わず俯いた。じわりと涙が溢れてきたからだ。
あんなに恋焦がれていた棗が、今確かに自分に思いを告げている。

「蜜柑・・?」

「ウチで、・・・ええの?彼女とか・・・おらんの?」 

「いたらおまえを誘ったりしない」

「・・・・ホンマに?」

「ああ」 声が優しい。

「ウチは、ブスやし、頭も悪いし、全然ええとこなんかあらへんよ」
その蜜柑の言い方に、棗がふっと笑う。そして彼女のおとがいに指をかけ、顔を上向かせる。親指で流れた涙を拭った。
蜜柑が潤んだ双眸で、棗を見つめる。
棗は、その顔を見ながら首を少し傾け、蜜柑の唇に軽いキスをした。
体中が熱を帯びていく。

「おまえが、いい」
棗はそう言うと、再び蜜柑の体をやんわりと抱きしめた。

彼の匂い。
しなやかな腕。
柔らかいキス。

どうして自分を選んでくれたのか、聞こうと思った。でも理由なんてどうでもいいと思えた。そんなことは後で聞けばいい。今は、彼が好きだと言ってくれた言葉だけあればもう充分だった。

何もかもが夢のようだ。

あまりにも幸せすぎて、しばらく涙が止まらなかった。




ふたりが付き合いだしたという噂は、さざ波が押し寄せるようにじわじわと広がっていった。しかし彼らが口外したわけではなかったし、以前より目立った行動をしているというわけでもなかった。変わったといえば、毎日一緒に帰るようになったことくらいだ。

「それだけ変われば、周りも決定的だと思うわよ」 
次の授業は移動教室。廊下を歩きながら、蛍が言う。
「そう、やろか?」
彼女には、彼とのことを早々に報告した。隠し通せることではないし、何より一番に報告したかった。親友の棗嫌いを承知の上で、認めてもらいたかったのだ。
だが、返事は意外なものだった。厭われるとばかり思っていたが、案外とあっさりとしていた。あれほど彼を嫌っていたのに。
「視線が痛いわね」
蜜柑は、周りに目を向ける。色々な所から感じる女子生徒の視線は、確かに痛い。
少し俯いてしまう。
「顔上げなさいよ、別に悪いことしてるわけじゃないんだから」
「・・・うん、」
そうは言ってもなかなか馴れない。
「こうなることは、予想済みでしょ。それにしても、」
蜜柑が蛍の方へ顔を向ける。
「あいつのとりまきは、大人しいわね。静かすぎてにかえって、怪しいわ」

蜜柑もそのことは考えていた。付き合い始めて、数日経った今も、特に音沙汰はなかった。棗が話してくれたのだろうか。当然のことながら、彼はもう女の子を引き連れて歩いてはいない。やはり彼のそのような変化にも周りは敏感に感づいているのだ。ならば、余計に何かを仕掛けてきてもおかしくはない気がするが。
蛍が軽く肘をあててくる。目線は前だ。
「うわさをすれば、」
同じく前を見れば、廊下の向こう側から棗が数人の男子生徒と歩いてくる。すると、棗もこちらに気がつく。目が合った。ほんのり笑みを浮かべている。
「・・・・・・・・・・・」
胸の鼓動が早くなる。まずい。とても落ち着かない。どんな顔をしていいかわからない。それもこのまま歩き続けていたら、隣同士ですれ違う。
そんな風にどきまぎとしていたら、徐々に距離が縮まった。
「――――、」
彼は、すれ違いざまに、軽く指先を絡めてきた。それはほんの一瞬のことで、おそらく誰の目にもわからないものだった。
・・・・病気になりそうや。
「全く、しょうがない子ね」 蛍が呆れ気味に言う。
蜜柑のあられもない紅潮した顔を見て、言っているのだ。

―――― ああ、ホンマにどうしよう。こんなんで、次の授業なんか身にならへん。

棗が絡めて指を見ながら、放課後へと思いを飛ばす。
早く一緒に帰りたい。逢いたいと思う。それは必ず実現するというのに。

蜜柑の心、ここにあらず。

それから後、そんなふわふわとした気持ちを抱えながら練習をし、待ちきれないようにいつもの場所へと向かったのだった。


だが。
「・・・遅いなあ」
棗はなかなか来なかった。確か練習は終わっていたはずなのだが。待ちきれずに校庭へと向かう。
部室の明かりは点いている。もう少しだろうか。そういえば、まだ誰も出てきてはいない。 踵を返し、校門へ戻ろうとしたとき、ふとある声が聞こえてきた。サッカー部の部室のドアが完全に閉じられていなかったために漏れてきたのだ。

『あのハードルの子と』
そう聞こえた。ちょっと興味をそそられ、扉の方へ近付いて行った。くぐもった声が聞こえる。

『・・・本気か?おまえまた、前みたいに意地になったんじゃねーの?』
『昔の話なんかすんな。あれとは違う。』
『いや、今回も似てるって。おまえに興味なさそうにしている女がいると、変に意地になって声かけたことあっただろ。結局、全然続かなかったじゃん。落ちたら終わり。今回もそれと同じじゃねーの?』
――― なに、この会話、
『はいてすてるほど、いい女がおまえに寄ってくんのに、また地味なのに手出したと思ってたんだよ。どう見てもおまえ好みじゃねえよな。なあ、あいつまた、怒ってるぞ、いやもう手つけられねえほどじゃねえの。おまえどうすんの?あいつのこと』
―――― あいつ・・・?
『いちいち人に干渉すんな。どうでもいいだろ』
『いや、おれはおまえたちのそういうの散々見てるからよ、もうあいつ、今度こそ待ってくれねえよ』


蜜柑は、少しずつ後ずさる。

一体この話は・・・、

胸が痛くなる。
聞いていられなかった。聞きたくもなかった。

――― 落ちたら、終わり。
――― あいつ今度こそ待ってくれねえよ

・ ・・・待ってくれない?
あの女(ひと)のこと・・・待たせてる?
本命は、・・・あの女(ひと)の方で、自分は、一時の・・・お遊び?

蜜柑の中に、いろいろな疑念が浮かんでは、不安に変わっていく。
苦しくて、押しつぶされそうだ。


無意識に駆け出していた。
一刻も早く、この場から離れたかった。




inserted by FC2 system