彼の特別になりたくて / final stage


どのくらい眠っていたのか。

ぼんやりと部屋を見渡せば、カーテン越しにうっすらと漏れる月明かりだけが唯一の光で、
あとは暗がりだけが広がっている。 布団に手をつき、のろのろと起き上がれば、肩からするりと
毛布が落ちていく。母親がかけてくれたのだろう。
ふと、制服を着ていることに気がつく。
家へ帰って来てから、着替えも食事も、何をする気力も残っていなかった。眠りについてしまえば、衝撃と受けた傷から解放されるだろうか、そう思った途端、意識は抵抗なく深層へと沈んでいった。

階下は静かだ。
ベッドサイドに置いてある時計を見れば、11時半を回っていた。
「・・・・・・」
棗は、・・・連絡をくれたのだろうか。
携帯はどこへ、しまったのだろう。
・・・彼女は、どうなったのだろうか。
彼のことを考えるだけで、心が折れそうだ。
あの時、時間どおりに着いていたなら、こんなことにはならなかったかもしれない。
小さくため息をついた。
とりあえず熱いシャワーでもあびよう、そう思い、立ち上がった。
だがその時、どこかでコツンという音がした。
「・・・?」
考えてる間にもう一度、同じ音がする。今度は先ほどより、やや反響が大きい。
・・・窓?
近づいて、カーテンを開ける。
思わず息を吸い、身を強張らせた。

「棗・・・」

彼は塀の外に立っていた。外灯が、その姿を浮かびあがらせている。
鍵を外し、そろそろと窓を開ける。
しっとりと夜の匂いがした。
「起きてたのか」
「・・・・・・・・」
どんな顔をしていいかわからなかった。しかし暗がりが、それを曖昧にしてくれた。
対して棗の表情は、はっきりと見えていた。明らかに安堵した面持ち。そして、
「出て来られるか?」


真夜中の公園は、昼間とは様相が違った。
入り口付近にある外灯は煌々としていたが、園内のものは、まるで存在していないかのように息を潜めている。 ふたりは、近所にある公園に来ていた。蜜柑が家から出てくると、棗は何も言わずに先を歩き出した。その後ろ姿を見ながら、ここまで付いてきたのだ。無論、会話は交わしていない。

棗が、ベンチに座るように促した。指示されるがままに腰掛ける。この場所は、灯りが適度にあたり、暗闇を和らげてくれていた。

「携帯、どうした?」 立ちながら、話しかける。
「え?」
「何度も連絡を入れたが、通じなかった」
「・・ゴメン」
「それに、まだ、」 目が、制服を見ている。
カーディガンを羽織ってはきたが、着替えていないのは一目瞭然だ。
「うん、・・・疲れて、寝てしもうたんや」 俯く。
「・・・・・・」
棗が、吐息を一つついている。
「帰りは、悪かった」
「あの子は、・・・大丈夫なん?」
「ああ、家まで送って来た」
「・・・・・・」
「何から、話せばいい?」 柔らかい口調だ。「いや、その前に、・・おまえの中で、オレに対して何かがあったんだろ」
「・・・・・」
「そして恐らくその何かに、駅で会ったあいつが関わっている」
「・・・・・」
「蜜柑」
「・・聞いていいんか?」 消え入りそうな声だ。
「ああ」
「彼女は、誰なん?・・さっきといい、昨日といい、あんたがあんな風に気にかけるなんて・・」
「・・・昨日とは、何だ?」
「何って、」 顔を上げた。「あんたがあの子を、必死に追いかけているところを偶然見てしもうたんや」
「・・・・・、」
棗は、瞬時にすべてを理解したような顔をしていた。そして、そういうことか、と小さく呟いた。目を逸らし、小刻みにかぶりを振る。
「あいつは、同じクラスのヤツだ。そして、・・・あおいの知り合いでもある」
「あおいちゃんの?」
「そうだ、」ベンチの端にゆっくりと座る。「正確には、あおいが前に、よく家に連れてきていたクラスメートの姉貴だ」
「クラスメート・・」
棗が頷く。
「何度か家に、妹を迎えに来ていた。その時にちょくちょく顔を合わせていたんだ」
「さっきは、どないしたん・・?苦しそうやったけど、」
「持病を持ってるんだ。家に来ていた頃も、運悪く発作を起こしたことがある。体に負荷がかかる、急激な運動は避けなければならないらしい」
「なんで、そんな子を迎えに行かせてたんや?」
「家が複雑でな。母親は昼間仕事でいない。父親とは事情があって生き別れている。おまえが目撃したという昨日は、クラスの奴らと数人で、ある行事の買出しに出ていたんだが、その時偶然会った 父親に声をかけられ、驚いて走り出してしまったんだ」
「だから、追いかけた・・?」
「ああ。今のところ、事情を知っているのはオレしかいない。あの場では、ああするより仕方がなかっただろ。・・・あとで、同じく買い出しに来ていた今井に、こってりと言われたけどな」
「蛍に?」
―――― 近くに蛍ちゃんが、・・
蜜柑は、母親の言葉を思い出す。
「・・・まあ、それはいい」 片手をあげ、制する。
「それだけの知り合いだ。だけど、」 言いにくそうだ。「・・・向こうはそうじゃないらしいがな」
―――― やっぱり
「同じ高校を受験するために、頑張ったと聞かされた」
「駅に駆けつけて来た時も、・・あんたを捜して、」
「おまえとの待ち合わせギリギリまで、学校で色々とやってたからな」
「好き、なんやね、・・・棗のこと」
「・・・・・・・」
「せやから、毎日一緒におるの?」
「・・・・」
「ほうっておけなくて、」
「蜜柑・・?」
「・・・・」
「・・・正田か?」
曖昧に、顔を逸らす。
「ったく、余計なことを・・」 腕を組み、ベンチの背もたれに寄りかかる。「そうじゃない。別にいつも一緒にいる訳じゃねえよ。今は、たまたまそういう機会が多いだけだ」
「たまたまって、」
「今年は創立50周年にあたっているんだ。校内あげてのイベントに、全校生徒が駆り出されている。やらなくちゃならないことがたまたま一緒なだけだ」
「ホンマに・・それだけ?」
「どういうことだ?」 怪訝そうにしている。
「・・・・・・」
まだ、欲しい答えに辿り着いていない。
――― 嫌な顔もせずに、
「あんたの・・・あの子に対する態度だけは違うてるって、聞いたんや」 言いながら、ゆっくり彼を見る。「少なくとも他の女の子に対する態度とは、誰が見ても差がある言うて、」
「・・・・・・・」
棗は一瞬、虚を衝かれたような顔つきをしていた。だがそれは、忽ち煩うような表情へと変化していく。その面持ちを見て、蜜柑の胸に痛みが走る。肯定もしないが、否定もしてこない。彼は、それに対して少なからず自覚を持っているということか。
「・・そういうことなんや」 視軸をずらした。じんわりと涙が滲む。「あんた自身も、気付かんうちに彼女のこと、」
「違う」
はっきりとした声が耳に届く。
「何がや、」
「違うんだ」 再び、断言するようにいう。
目線を戻した。
真摯な瞳を向けている。
「オレは、」 こちらに手を伸ばそうとする。だがその手は、感情を押し込めるように留まり、ベンチの上に置かれた。
「あいつを通して、・・・おまえを見ていた」
え・・・・?
「あいつが笑うたびに、話しかけるたびに、おまえのことを、」
「・・・棗」
「周りでそう見えていたのなら、たぶん、そのせいだろう」
「・・・・・・・」
彼は、やや大きく息を吸い込むと、自嘲するように少し笑った。
「似ているのかもしれないと。バカみてえに笑いかけてくるところなんかは、だけど、」
「・・・・・」
「オレがいつも見ているのは」 誠実な、眼差し。「後にも先にも・・・おまえだけだ」

胸に、熱さが滲んでくる。
涙が溢れた。それは、堰を切ったように、頬に落ちていく。たまらず顔を覆った。

「さっきあいつにも、話してきた」 優しく、切ない声。

――― こんなことって、

「・・・・触れても?」
顔を覆ったまま、無言で何度も頷く。
すると、体を覆いつくすように抱き寄せられた。腕に力が込められる。
「・・ウチも、」 精一杯、かすれた声を出す。「棗しか、アンタしか、」
更に強く抱きしめられる。それは、苦しいほどだった。
「あの時は、どうしようもねえほどのダメージだったんだぞ」
「・・・・?」
「触るなと、言われた時」
「・・・ごめん、」
体を、少し離される。覆っていた手を外せば、彼が、覗き込むように見つめている。
「・・・夏のこと、嫌だったか?」 指の背で、涙を拭かれる。
「夏・・、」
キスの、ことだ。
少し微笑みながら、首を左右に振る。
「ビックリしただけや」
「おまえのことだから、あの時なんであんなことしたのか、わかってなかっただろ」
「・・う、ん」 見抜かれている。「せやけど、・・今なら、わかる」
彼は、微かに笑った。
唇が落ちてくる。
想いを確かめるかのように。
強く、柔らかく。


夜気の中で感じる棗の体温―――。
幸福で満たされたひととき。

この日のことを、ずっと忘れることはないだろう。






後から聞いた話なんやけど。
元気を取り戻した彼女が、あおいちゃんが言うてたことを、教えてくれたらしいんや。


“ お兄ちゃんには、すごく大切な人がいるから・・”




Fin


拙い連載に長々とお付き合い下さり、本当にありがとうございました;;
棗を好きな女の子は、かなり重い内情を抱えておりましたが、そんな彼女だからこそ
彼は気にかけてしまったのだと。そして逢いたくてもなかなか蜜柑に逢えなくて、彼なりに
悩んでいたのです。そんなふたりの想いが重なった幸福感を感じて下さると、嬉しいです(笑)


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