ただ、声が聞きたくて。
どうしようもなく、聞きたくて。
そんな理由じゃ、アンタは怒る?
朝方に目を覚まし、薄暗い室内と静か過ぎる音に胸が痛んでいく。
身に詰まりそうな寂しさは、夜明け前の独特の感覚がもたらすのか、何度同じ体験をしても慣れることはない。
じんわりと溢れる涙を無理やり押し込めるように寝返りをうち、体を丸め、ひどい孤独感をやり過そうとする。
だが、そんなのは気休めにもならない。
棗と離れて、一ヶ月以上が経つ。
彼自身が抱える任務が予想以上に手こずり、未だ帰れぬままなのだ。
長い付き合いの中で、こんなことは始めてだった。
逢いたくて、
声がききたくて、たまらない。
わがままだとは、充分わかっている。
彼は今も、この寂々とした空の下で、自分のもとに一日でも早く帰ろうと必死になっているのだ。
だけど。
一時だけでもいい、彼の、あの声をひとことでもいいから聞きたい。
ここのところ毎日のように携帯を握り締めては、思いとどまる日々が続いている。
そして今も強く胸に握り締めていた。
かけても出てはくれないかもしれない。
仮に出てくれたとしても、不機嫌に返されるかもしれない。
場違いで、自分本位な恋人からの連絡は、誰が聞いてもわがまま以外何者でもない。
それでもよかった。
呆れられ、怒鳴られても。
この心が、深い物悲しさに沈んでいくくらいなら。
いっそのこと突き放されて、冷たくされた方がマシだった。
布団からわずかに手をだすと、携帯を開き、ボタンを押す。
コール音が、耳に届く。胸の鼓動が早くなる。
今の自分と彼とを結ぶ、唯一の糸。
スリーコール目に音が途切れ、繋がる。
「・・・・・・」
なつめ、という言葉が、出てこない。
「・・・蜜柑か、」
心臓が止まりそうだ。
「うん・・・ごめん、ごめんな」
こんな時に、電話して。
「こんなこと、してる場合じゃ、」
「大丈夫だ」 疲れた声で、だがはっきりと言う。
「ごめん・・・」
「蜜柑、」
「・・・ん?」
「・・・・・・・、」
「ウチは、元気や」
棗が、ふ、笑っている雰囲気が伝わってくる。
嘘だと簡単にわかっているのだろう。
「なら、いい」
「・・なつめ、大丈夫・・?」
「ああ、・・大丈夫だ。待たせて、わるい」
蜜柑の胸に、言い知れない罪深さが圧し掛かる。
「・・・そんなこと、言わんといて。アンタの方が、ずっと苦しいのに、」
電話を強く握り締める。
「もうすぐ、帰れる」
「・・ホンマに?」
「ああ、」 声が穏やかだ。
「・・うれしい」
「・・・・・・」
「声が、聞けてうれしい・・」
「・・・ああ」
「棗、・・・大好きや」
耳の奥で、オレも、と聞こえた気がした。
でもその声は、あまりにも遠くて。
蜜柑、と優しく呼ぶ声が届く。温かくて、包み込むようだ。
これは、夢なんやろか・・・。
棗、ホンマに大好きや・・。
朝陽が、窓から差し込む。
小鳥の声が聞こえ、明るい室内に、もうあの静寂さは微塵もない。
それを瞼の奥で感じながら、今だ電話をにぎり締めている自分に気が付く。
目を開けられなかった。
開ければ、棗とのあの会話が現実ではなくなる気がしてたまらない。
逃げるように、顔を深く枕に沈めた。
さわり、と空気が揺れ動く。
髪にふれる、ある感覚に沈みかけていたものが浮上する。
うっすらと感じる、気配。
指の間を梳いていく緩やかな動きは、あまりにも知り尽くした感触。
・・・これは
「・・・いつ?」
「さっきだ、」
「夢・・?」
「じゃない。目、開けろよ」
スプリングが鳴る。
「・・・・・・」
少しづつ瞼を、あける。
美しい紅の眼差しが、和んでいる。
「棗・・・」
「あの後、話さなくなったと思ったら、そのまんま寝てたのかよ」
握り締めた携帯を見ている。
「ホンマに、・・・アンタなん?」
「あたりまえだ」 少し笑っている。
布団から手を出す。すると彼がやんわりと握り締めてくれた。
「蜜柑・・」
名を呼ぶ声は、確かに夢ではなくて。
何より焦がれた現実に、押し寄せる幸せは自分だけのもの。
声が聞きたくて。
どうしようもなく、聞きたくて。
傍で聞かせてくれるのなら、
・・・・何もいらない。
Fin
*あとがき*
私にとって、朝方の空気って独特で、ふと目を覚ましたりしてしまうと、途端にさみしくなったりします(苦笑)
そんな時大好きな人が傍にいたり、声が聞けたらいいですよね(現実には、難しいですが;)
不安で仕方がない、逢いたくてたまらない彼女が、幸せを実感する瞬間を感じていただけたら
嬉しいです。