密やかな願望 / 後編


夕方なり、棗に言われたとおり、蜜柑は彼の部屋で待っていた。
一人で過ごすには、広すぎる室内。
そこでベッドに腰掛け、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
やや時間を持て余し気味ではあるが、彼が帰ってきてからのことを考えれば、 この平和なひと時は彼女にとってちょっとした癒しになっていた。

そもそも、あんなことを羨ましがった自分が原因なのだ。
そしてそれを隠し通すことが出来ず、結局勘のするどい彼に見破られてしまう。
馬鹿らしいほど、お馴染みの展開。
嘘が下手な人間の結末など、所詮決まっている。
だが仮にそれが露呈したとして、問題はその後だ。
笑い飛ばされるか、冷ややかな目で見られるか、どちらかなのだ。

蜜柑は、体の力を抜き、そのまま後ろに倒れこんだ。
質の良い掛け布団の感触がする。

もうどうでもええ。
いくら考えたって、あいつの反応なんでわかりきっとる。
恥でもなんでも構わんから、聞かれたらさっさと話してラクになろう。

温かい室内は、神経を使い続けた体には気持ちがよかった。
その心地良さに身を委ねるように、蜜柑は目を閉じた。



『みかん、ダメ』 陽一が、蜜柑に縋り付く。
『どうしてダメなんや。棗はウチの彼氏や』
彼の膝の上に横向きに座り、首に腕を回しながら幼子相手に必死に訴えていた。
陽一が泣きそうになりながら頭を左右に振り、今度は彼女のスカートを引っ張る。
『時々でええから、ウチかてこうして抱っこしてもらいたいねん』
『蜜柑』 棗が、彼女の腕に手を添える。『いい加減にしろ』 冷ややかな声が耳に届く。
そして首から腕を振りほどいた。
驚いて顔を見れば、彼は不機嫌そうに顔をしかめ、怒っている。
途端に悲しさが込み上げた。

なんでなん?
ウチはどうしてダメなんや?
なあ、棗。

棗、

・・・棗。

意識が浮上していく。
バカやなあ。また変な夢視とる・・
そろそろ起きな、棗が戻ってくるわ
それにしてもこの布団、本当にあったかいわあ。
あったかい。

瞼を開けた。 景色が変わっている。 寝始めは天井が見えていた。
だが今は、ドアが見える。
そして頭の下にあるのは、膝。
ひざ?

蜜柑は事態を把握し、慌てて頭を上げた。だが、すぐに押し戻される。
「目、覚めたか?」
恐る恐る首を後ろに向ければ、彼がベッドの背に寄りかかりこちらを見ていた。
この体勢でも、何ごともないような顔をしている。咄嗟的に顔を戻した。
「随分と疲れてんじゃねえか」
「いつ、戻ったん?」 上擦った声で訊く。
「おまえが寝て、すぐ」
「起こしてくれれば、ええのに」
「・・・・・・」
もう一度、頭を上げる。今度は何もされなかった。
目を合わせないように、体を起こした。
視線を感じ、なんだか落ち着かない。
「・・・・・・」
窓の外は、既に薄暗くなっている。
「か、かなり、寝てたんやな」
取って付けたように言葉を繋げ、そそくさと背を向けた。

「それで、夢の中の座り心地はどうだったんだよ」

蜜柑の背筋が、一瞬にして硬直した。
すぐに後ろを振り返る。
棗は、うっすらと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「・・・もしかして、」
「おまえの寝言って、いつもあんなにうるせえのかよ」
またもや血の気が引いていく。本日2回目。

――――― なんで、こう、なるんや。

「昼間のひとりごとの続きか?」
「忘れて。うん、忘れてええねん。ただの寝言や」
蜜柑は棒読みのような口調で言いながら、その場を去ろうと立ち上がる。
恥ずかしさのあまり、いたたまれない。
まさかこんな形で、知られてしまうとは。
急いで、ドアへ向かう。
「多少の、」
足を止めた。
「わがままなら、聞いてやってもいい」
「・・・・・・」
ゆっくりと、後ろを振り返った。
彼はベッドに腰掛け、膝を軽く叩いている。
その顔は、陽一に見せる、あの顔ではなかった。
そして、想像していた顔つきとも違っていた。
口元はかすかな笑みを浮かべてはいるが、先ほどの意地悪さは影を潜めている。
からかう様子や面倒な素振りも一切ない。
「・・・・・・」
しかし蜜柑は、すぐには動けなかった。
あんなに願っていたことなのに、いざとなると足がすくんだ。
どうしていいかわからなかった。
すると棗が手を差し出した。
こちらに来いといざなっている。
蜜柑は少しの戸惑いのあと、そっと手を伸ばした。
指先が触れ合う。
絡み合った互いの手は、そのまま彼の方へ引かれた。
惰性で膝の上に、身を下ろす。
「・・・・・・・」
またもどうしていいかわからなかった。
緊張で体が強張る。
これでは抱っこというより、椅子に座っているのと変わらない。
おまけに棗の方へ顔を向けられなかった。
「こっち、向けよ」
無言で頭を振る。
向けない。
向けば、かなりの至近距離に彼の顔がある。
「まさか、この格好のまま、ただ座っていたいわけじゃねえだろ」 声が少し優しい。
「・・・・・・・」
膝に置いた両手が汗ばんでくる。
念願の膝の上。想像では思いっきり甘えているはずなのだが、いざ手放しでいいと言われると、
身も心もすくんでしまう。想うのと、現実とではこうも違うものなのだ。
陽一のように、無心に甘えられない。そもそも立場が違うのだが。

ああ、もう、どうしていいかわからへん。
しかもなんで、棗はこんなに余裕なんや。

「なんか、馬鹿みたいや、」
「?」
「なんで、・・・・ウチだけこんなに緊張してんのや」 両手を握り締める。
「アンタにあれをして欲しいとか、こうして欲しいとか思うて、緊張したりドキドキしてるのは、ウチだけなんちゃう?」
「・・・・・・・・」
視界の端で、棗が顔を少し逸らすのが見えた。
こんなことを言われ、困っているのかもしれない。
「・・・別に」 顔を戻した。「そんなことねえよ」
言うなり、いきなり蜜柑の頭を胸にぐい、と押し付ける。
「おまえだけが、何かを望んだり、動揺しているわけじゃねえよ」
「・・・・・」
胸に押し当てられた部分から聞こえるのは、誰が聞いても早いと感じる胸の鼓動。
それは確かに、普通ではなかった。
予想外の、高鳴り。

棗が、頭から手を離す。
蜜柑が、少しづつ顔を上げた。
再び逸らされた彼の顔は、いつもの大人びた面持ちではなく、年相応の拗ねた表情をしていた。

・・・そっか。

思わず、笑みが零れた。
そして棗がそれに反応するより早く、彼の首に抱きついた。
両腕にわずかに力を入れ、頬を摺り寄せるように肩に押し付けた。
棗もまた、蜜柑の背中に腕を回す。
「・・安心したのか?」
「うん、・・・」
「これが、やりたかったのか?」
「うん、」
「ったく、しょうがねえな」 笑っている。
「なつめ、」
「?」
「頭も撫でて欲しい、」
「・・・・・」
呆れているような雰囲気が伝わってきた。きっと、顔を顰めているに違いない。
だがすぐにしなやかな感触が伝わってくる。
その手は、・・・泣きたくなるほど優しかった。


「・・・満足したか?」
「うん・・・ありがとうな」
「じゃ、次は、」
「?」
蜜柑は体を離し、棗の顔を見つめた。
「オレの望みを聞いてもらおうか」
「・・・・へ?」
「さっき言ったろ、おまえだけじゃないって」
うっすらと不適な笑みを浮かべている。
まずい。
蜜柑は咄嗟的に膝から降りようとした。
だが、背中に回ったままの彼の腕のせいで自由がきかない。
「な、ちょっと、」
棗の肩を押して、引き離しにかかるが無駄な抵抗であった。
「まさか、オレの少しのわがままが聞けねえとか言わねえよな」
思わず、顔がひきつる。
「の、望みって、」
「約一年前の、クリスマス以来だな」
ますます不穏そうに微笑む。
「・・っ・・・・」 めまいがする。
・・・ああ、なんでこうなるんや・・・。

さて、この後のふたりがどうなったかは、ご想像にお任せします(笑)




fin




*あとがき*

前作のシリアスの反動のせいでしょうか、かなり能天気な展開となりました(笑)
しかし棗は、やはり一枚も二枚も上ですな。彼の頭の中には、最後の計画を実行するための
シナリオが出来上がっていたかと(自分で書いといて、なんだかなあ;)
そしてこの小説に、墨島みっこちゃんが素敵なイラストを描いて下さりました(感涙)こちらからvv
更に、甘甘感が伝わりますvv どうぞ!


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