密やかな願望 / 前編


「いたた、陽ちゃん、髪ひっぱらんといて」

蜜柑が涙目になりながら、陽一に訴えた。
「み、かん、へん」
「え?」
陽一の片言の言葉に、蜜柑は目を瞬いた。
見れば、自分の机を取り囲むように、ルカや心読み、キツネ目を始め、隣にいる棗までこちらを見ている。 無論、彼の膝の上には陽一が座っていた。
その様子に改めて我に返り、蜜柑は慌てて言い返す。
「な、・・・変って何が変なんや」
「ホントに、気付いてないんだ」 とキツネ目が言えば、
「佐倉、陽ちゃんのこと、ぼんやりした感じでじっと見てたから・・」 とルカ。
「ぼんやりって、そんなぼんやりなんかしてへんって」
「じゃ、さっきまで何話してたか、言ってみてよ」 と再びキツネ目。
「それは・・」
蜜柑の中で、焦りが広がった。
『そんなんわからへんよ、だって、ウチは、』心読みが突如代弁するかのように話し出す。蜜柑が血相を変えて、目の前にいる彼の口を塞いだ。 あぐとか、ふぐ、とか訳のわからない声を発している。
「余計なこと、言わんくていい」と目で訴え、心読みを黙らせると、彼はあはは、と罪悪のない笑いをした。 だが気が付けば、先ほどより確実に強い視線が彼女に向いている。 更にバツが悪くなり、少し咳払いをしながら、おしゃべりな少年の口から手を離す。
「と、とにかくや」 席に座りなおす。「少し考えごとしてただけや。気にせんでもええねん」
「・・・・・・・」
まだ全員が、腑に落ちないといった顔をしている。
「なんなんや、いったい」
ぼんやりしていたくらいで、何故こんなに拘るのか。
確かに違うことを考えてはいたが、それがどうだというのだろう。
「おまえ、」と隣から声が聞こえ、首だけ右を向けば、棗が陽一を下ろしながらこちらを見ていた。
室内のスピーカーからチャイムが聞こえる。
「ひとりごと言ってたんだよ」
「ひとりごと?」
まさか。
「ああ、憶えてねえのか?」
「な、何、言うてた?」
「・・・・・・・・」
棗は、彼女をじっと見つめた。
「確か、陽ちゃんはええな、とかなんとか。それも一回や二回じゃない」
血の気が引いた。
「それ、から?」
「それで終わりだ」
蜜柑が脱力するように、背もたれに寄りかかった。疲れがドッと押し寄せる。
・・・助かった。
「なーにが、助かったんだか」
心読みがボソリを言う。
その声に反応し、眉間に皴を寄せながら周りに目をやると、級友たちは、ますます不思議そうに首を傾げている。
そして棗もまた、思慮深く彼女を見つめていた。

・・・ああ、もう勘弁してえや。

だが最終的にチャイムが助け舟をなったようだ。
鳴海が教室に入ってくると、流れは必然的に授業へと向かっていった。


「はい、では今日は、同じ訓をもつ漢字についてやりたいと思います。例えば、あつい、ですが、」

授業が始まっても、蜜柑は落ち着きを取り戻すことが出来なかった。
先程の出来事が頭から離れない。

まさか無意識下で、あんなことを言っていたとは。
考えるだけでも、恐ろしい。
その続きを言わなかったことが、唯一の救いだ。

―――― 絶対、口が裂けても言われへん。

『陽ちゃんは、ええな』

―――― いつも棗に抱っこされて、・・・・なんて。

蜜柑の密やかな願望。

棗の膝の上。

ああ、羨ましい。
ウチもあんな風に、抱っこされたい。
・・・って、あかん、こんなことばかり考えとるから、口に出てしまうんや。

お互いを意識し始め、それとなく付き合うようになってから3ヶ月。
自分でも驚くほど、棗を好きになっていった。

ふたりだけの時、彼は以外なほど優しく接してくれた。少なくとも皆の前でするような小ばかにした態度は決してしないし、 いわゆる扱いが違っていた。一応、女の子として接してくれるのだ。
だからといって、彼らの関係に大きい変化があるわけではなかったが、時々手を繋いで帰ったり、 お互いの部屋へ遊びに行ったりとそれなりに幸せな毎日を送っていた。

だが、そのどこかまったりした幸福の日々に、ある一つの願望が生まれたのはつい最近のことだった。

あれは一週間前の昼休み。
蜜柑がいつものように皆と他愛もない会話をして過ごしていると、陽一が泣きながらB組へとやって来たのだ。
一目散に棗の方へと走っていき、それに気が付いた彼が両腕を差し出し、膝の上に抱き上げた。

「どうした?」
「・・・・・・」 泣き続ける陽一。
「クラスの子に何か意地悪なことされたの?」 ルカが訊く。
コクリと頷いた。
「まったく、どこのどいつよっ」 傍で様子を見ていたパーマが息巻き、足音も高々にドアへと向かう。
おそらくA組へ行くのだろう。
棗が目元を和ませ、陽一の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ」
彼は棗の胸にひたいを押し付け、縋るように甘えている。

蜜柑は、その光景に目を奪われていた。

なんの躊躇いもなく膝の上に乗せ、安心させるように頭を撫で、
甘えてくるがままに受け入れている。
あれは、陽一だけの特権で、随分まえから見慣れた光景だ。
だが今回は、何かが違って見えた。
棗との関係が、変わったからだろうか。
しかしこれは、彼を独占したいとか、そんな気持ちではない。
そこで浮かんだ、あるひとつの想い。
自分もあんな風に膝の上に乗り、甘えたら、受け入れてもらえるだろうか。 陽一に見せるような穏やかな顔つきで、優しくしてくれるだろうか。

否。
そんなことをしようものなら、毒舌が返ってくるに違いない。
『はっ?おまえ、何か勘違いしてんじゃねーのか。あいつは幼児だ。一緒にすんな、』 とかなんとか。
だがそう思えば思うほど、自分の中の欲求が高まってくる。
人間は抑制されると、余計に我慢がきかなくなるのだ。

そんなことを妄想し続けて一週間。
まさか無意識に口をついてでるとは、思わなかった。
これは重症だ。こういうのも、恋の病というのだろうか。

「おい」
隣で棗が呼んでいる。いい加減おい、じゃなく、蜜柑と呼んでほしい。
だるそうに振り向くと、彼はこちらを見もせず、前の方を指さす。
それを目で追うと、みんながこちらを見ていて、鳴海が困ったような笑みを浮かべていた。
そこで何が起こっているか、理解した。
慌てて、立ち上がる。
「す、すみません」
「えっと、今の問いに答えられるかな?」
「・・・・・・・」 答えられるはずがない。
「仕方ないね。じゃ、カバヤキ君、・・・」
鳴海の声が、遠くに聞こえる。
またも力なく、席に座った。
授業にまで支障をきたすとは、もはやどうしようもない。
「おい」
再び棗が呼んでいる。やや不機嫌そうに顔だけを向けた。
彼に八つ当たりしてもしょうがないのだが。
「なに?」
「今日は一緒に帰れない。だから、部屋で待ってろ」
今度はちゃんとこちらを見ている。
そう言えば以前、本部で会議があると話していたことがある。 それが今日なのだろうか。
だったら、無理して会わなくてもいいような。

・・・もしかして。

「でも、忙しいんやったら、今日は無理せんでもええよ」 作り笑いで応じた。
「別に、用事はすぐ済む」 有無を言わせぬ物言い。
「ああ、そう、なんや」 わからないようにため息をつく。「わかった。じゃ、まっとるわ」
蜜柑は内心で、困り果てていた。
独り言のつづき。
絶対に、聞かれるだろう。

言いたいけど、言えない秘密の願望。
蜜柑は、棗に問い質されること想像すると、身が縮む思いだった。






※蜜柑は果たして棗に膝抱っこをしてもらえるのでしょうか?(笑)


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