シンクロニシティ ラブ


久しぶりに、リラックスした夜だった。

ベッドに横たわり、数時間本を読んでいた。
チラリと時計を見れば、いつのまにか消灯時間を過ぎている。
布団の上に本を無造作に置き、体を起こす。
疲れた目で数回瞬きをし、首を回していると、不意に喉の渇きを感じた。
だが、生憎ストックを切らしている。
ゆるりと立ち上がり、ドアに向かう。
部屋を出て、食堂の方へと歩き出した。

他の部屋は、一様にして静かだった。皆、そろそろ眠りの底にたどり着く頃なのだろう。
暗い廊下に自身の足音が細くこだまする中、ふと胸に違和感を感じた。
それはほんの小さな予感みたいなものだった。
立ち止まり、思考を巡らせる。すぐに踵を返し、もと来た方向へと戻っていく。
そしてある部屋のドアの前で立ち止まった。
一応ノックをし、扉を開ける。
明かりは点いているが、いるはずの人物はやはりいない。
「・・・・・・・」
微かな感覚が、部屋の主の想いと共鳴していく。
扉を閉め、本来の目的であった場所へと歩を進めた。

廊下には、調理室の灯りが漏れていた。そして、甘い匂い。
窓越しに見れば、彼女は懸命に何かをしている。
その度に、ツインテールがふわりふわりと揺れていた。

「何してるんだ?」
声をかけると、蜜柑はビクリとし、こちらをゆっくりと振り向いた。
「・・棗、」
見れば彼女は、生クリームらしきものを泡立てている最中だったらしく、それに夢中になっていた
ようだ。
「な、なつめこそ、どないしたん?」 少し落ち着きない口調だ。
「・・・別に、喉が渇いただけだ」 近寄っていく。
するとちょっと、ボウルを隠すような仕草をした。
「また、何か作ってんのか?」
「・・・・・・・」
恥ずかしそうに、黙り込む。
見られたくない現場を見られたという感じだ。
棗はそれをやり過ごし、キッチンの隅からコップを取り出す。
そして、レバーを押し、水を注ぎ入れた。
「・・・夕方、」 彼女の細い声がした。
レバーを戻し、耳を傾ける。
「チョコレート、失敗したやろ。だから、ちゃんとしたの作りたくて」
「・・・・・・・」
コップを口に運び、水を飲む。
「あのチョコ、やっぱり悲惨だったし、アンタがうんざりするのも無理ないわ」
あはは、と軽く笑い、今度は明るく振舞う。
飲み終えたコップを、流しの中に置いた。
「バーカ」
「な、・・」
棗が蜜柑の方を振り向いた。呆れてはいるが、穏やかな顔つきをしている。
「それじゃ、二個食わなきゃいけねえだろが」
「だから、最初のは食べなくてええんよ」 慌てたように言う。
「確かに、これをオレに食わせるのかとは言ったが、別にいらないとも食わないとも言ってない」
「せやけど・・」
蜜柑は、戸惑うようにまた腕を動かし始めた。
ボウルの底を掠る、かすかなステンレス音が聞こえる。
棗は内心で一つため息をつくと、シンクに寄りかかかり、その姿を見つめた。

―――― 馬鹿なことを、まさかこんなことを気にしていたとは。

だが、そう思わせたのは紛れもなく自分なのだ。

今日の夕刻に作ったチョコレートは、かなり悲惨な見てくれをしていた。
それを、うんざりした顔で眺め、少しの不満を漏らした。
だがあんな態度や会話など、いつもの日常と変わらない、許容範囲だ。
その証拠に蜜柑は、開きに開き直って、上機嫌で完成にこぎ付けた。
自分も何だかんだ言いながらも、彼女が一生懸命に作ってくれたチョコレートにそれ以上 異議があるわけでもなく、隣で嬉しそうに微笑む姿に満足さえしていた。
その裏側で、少女が傷ついていたことに気が付きもせずに。
――― 本当の馬鹿は、
性格のせいにしてはタチが悪いが、世辞などを言ってやれる度量など持ち合わせていない。
蜜柑が喜ぶような言葉など、かけてやれないのだ。
どんなにそれを望まれても。
その代わりに溢れんばかりの情を表現できればいいのだが、それすら出来ていない。
この想いを充分に伝えられない自分は、結果的にこうやって、彼女に小さな棘をつけ続ける。
―――― 致命的、だな。
しかも、それに応えようと必死になっている彼女に、また特段の愛おしさを感じてしまっているとは、
・・・もはや救いようがない。

棗がシンクから離れ、蜜柑に近付いていく。

彼女はそれを、手を動かし続けながら目で追っていた。
やがてすぐ隣で、立ち止まる。
澄んだ赤い双眸が、じっと恋人を見つめた。
「・・・棗?」
どうしたんだと言わんばかりに、不思議そうな顔をしている。
頬や指先には、所々クリームがついていた。
その様相に、棗の相好がやや崩れる。

本当に、こんなに愛おしくていいのだろうか――――。

手を伸ばし、指の背で軽く頬をなでる。
すると蜜柑は、恥らうような嬉しいような、照れた表情を浮かべた。
その顔を見ながら今度は腕を回し、肩を引き寄せる。
少しバランスを失った体が、ボウルとともに棗の腕の中におさまった。
「なつめ、」
蜜柑が慌てたように名を呼んだ直後、彼が耳元でささやくように言う。
「オレは、おまえ自身がオレのために作ったものなら、どんなもんでもかまわない」
蜜柑が、身を動かさずに聞き入る。
「だから、気にすんな」 吐息混じりに言う。
そして、頬についたクリームを少し舐めた。
すると彼女の体が、ピクリと動いた。
頬や耳が、みるみる紅潮していく。
棗の口元が更に緩んだ。
彼女は顔を赤くしたまま、動けずにいる。
「蜜柑」
再びささやくように、名を呼ぶ。
すると腕がかすかに動き、生クリームが形を変えた。
「みか、」
「わあっ、もういい加減にしてえや」
彼女が突如声をあげる。
「どうした?」
「・・・・・」 目もあわせずに、黙り込む。
「蜜柑?」
「・・・そんなに顔近づけて、耳元で色々言わんといて、・・・もう、身にならへんよ」
言うなり、思い出したかのように生クリームを泡立てる。
ガシャガシャと不自然な音をたて、かなり動揺している。
顔は紅潮したままだ。
棗が、こらえきれず失笑する。
「なんで、笑うんや」 ふてくされたように言う。
「別に、」
「どうせ、バカにしとるんやろ」
「してねえよ」 可笑しくてたまらない。
「だったら、なに?」
「なんだろうな」
「なつめ〜〜」
ますますムキになって、手を動かす。
「おまっ、もっと静かに泡立てろ、こっちに飛んできたじゃねえか」
「アンタが教えてくれへんからやろ」

教えられるか。

おまえが、あんまり可愛いからなんて、言えるはずがねえだろ。

「ああ、もう、なかなか泡だたへんっ」 半分怒りかけている。
「蜜柑」
棗が懲りずに名を呼ぶ。
「だから、耳元で、・・・」
言いながら勢い良く振り向いた。だがすぐに声が途切れる。
棗の優しいキスが降りてきたからだ。

「・・・・・・・・・・」

ゆっくりと唇が離れていく。
甘い香りが鼻腔をくすぐった。

蜜柑が少し放心したように彼を見つめる。
だが、すぐにクスリと笑い出した。
棗が目を細める。

「手伝ってやるよ」
ボウルに手をかける。
「・・・うん」
蜜柑は、素直にそれを手渡した。


それは、ある年のバレンタイン前日の出来事。
ほんの小さな予感がくれた、幸せな時間。



Fin



*あとがき*

読んでくださり、ありがとうございました。そして、お願いを聞いて下さった墨島さん、
本当にありがとうございました(感涙)拙い文章に、温かいお言葉の数々、身にしみて嬉しく
思っております;; 感謝、感激です!
墨島さんの素敵サイトさま「YesterdayTodayTomorrow」さまは、こちらからvv


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