Deary / 前編


「ホンマに、おらん・・」
蜜柑は、棗の部屋の中で、呆然と立ち尽くす。
あんなの半分は、冗談や思うてたのに。
本気やったんか―――。
しかも、こんなに朝早くから。

蜜柑は、がっくりとうなだれる。

―――― ウチからも、逃げるなんて、


・・・もう、ええわ。



今年もやってきた恒例のバレンタイン。
しかし蜜柑さんたち、今回は初っ端から、どうも雲行きが怪しい。



“ 北ベルギー アントワープ発
高級老舗ショコラティエ、バレンタイン限定セレクション”

“ 有名パティシエが織り成す、優美なチョコレート
シャン=バール・ナヴァン 「プリスクール・マリ」”

“ ハリウッドセレブ、某王室ご用達チョコレート
「ジャボネイル・ヴ・ピンクウォーカー」”

「なに、そんなの見てるのよ」
雑誌を見ていた蜜柑が、ふと顔を上げる。目の前には、ラッピングされた箱をいくつか抱えた、親友が立っていた。
「蛍、」
「翼先輩にチョコレート渡しに行ったの?」
「まだやけど・・、この有名店のチョコおいしそうやな、思うて」
どこかどうでもよく答える蜜柑に、蛍はやれやれと言った表情をする。
「棗君、いらないって?」
「えっ?・・・うん、」
「で?彼は、どこに行ったの?」
「それが、」 蜜柑が力なく笑う。「朝に部屋を訪ねたら、ものけの空や」
「どういうこと?」 蛍の眼差しが険しくなる。
蜜柑が、疲れたように背もたれに寄りかかる。そして昨日の出来事を話し始めた。

昨夜、棗の部屋でチョコについて、ちょっとした言い合いをした。
毎年ひどい思いをしている彼は、その話題に少しでもふれようとすると拒否反応を示す。
それは彼女である蜜柑に対しても同じだった。

「なあ、棗」
蜜柑が、棗の隣で雑誌を読みながら、何気に呼んだ。
「チョコなら、いらねえぞ」
同じく本を読んでいた彼から、そっけなく言われる。
「まだ、何も言うてない」
「言わなくてもわかる」
その有無を言わせない雰囲気に、蜜柑がややムッとする。
「なんでそんなに嫌うんや?」
「チョコだからだ」 無関心そうに言う。
「そりゃアンタが、毎年苦労しているのはわかる。せやかて、ウチのは、ええやろ?」
棗が、顔をあげる。
そして、どこか冷え切った笑みをうっすらと浮かべた。
「おまえ、どの口からそんなことが言えるんだ?」
蜜柑が、身を固くする。
「だっ、だって、あれは、パーマがすり替えたんであって、ウチがやったわけじゃあらへんし」
「同じことだ」 再び本に目を落とす。
「違うわっ」
「過程がなんであれ、結果が同じじゃ、どうしようもねえだろ」
蜜柑が、雑誌をバサリとテーブルに置く。棗が再び顔を上げた。
「じゃ、なに?ウチは、これからもず〜〜とこんな風に、バレンタインは我慢せなあかんの?」
「蜜柑・・・、」 棗が、ややうんざりした顔をする。「そんな、大げさなもんじゃねえだろ」
「棗は、オンナ心がわからへんのや」
「・・・・とくかくだ。オレは明日に限っては、人前にでることは極力さけたいと思ってる。万が一姿が見えなくても、探すなよ」
「ウチからも、逃げる気?」
蜜柑の拗ねた声に、棗が一瞬天を仰ぐ。
「もう、いい。とにかくそういうことだ。・・・・消灯だぞ」


「・・・と、まあ、そういうことやねん」
蜜柑が、ため息をつく。
「小さい男ね」 蛍が、切り捨てるように言う。
「ほたる、」
「彼女からの、たかがチョコ一つ受け取れないなんて情けない男。何が起こってもいいぐらいの度胸はないのかしら」
「棗は、ホンマにひどい目におうてるからな」
「だからって、何もいなくなることはないんじゃない」
「ウチも半分くらいは、冗談かと思うてたんや。いなくなるなんてホンマ大げさすぎるし。でも棗の中では、よっぽどだったんやなあ。・・・・蛍?」
蜜柑の話を聞きながら、蛍が何やら急に考えこんでいる。
「蛍・・?」
「今日は、・・・14日よね」 独り言のように呟く。
「?どないしたん?」
「・・・なんでも、ないわ」振り切るように、言う。「ああ、それはそうと、これ、アンタにひとつあげるわ」
言いながら、机の上にリボンがついた小さな小箱を載せる。
「わあ、かわええな」 蜜柑が、嬉々とした声をあげる。「な、中身は、なんなん?」
「相手を意のままに出来る薬が入ってるわ。棗君に飲ませたら、すぐ効くわよ」
ギラリと蛍の目が光る。
それを見て蜜柑の背中にゾクリと悪寒が走った。
「う、ウチ、翼先輩のところに行ってくるな」 慌てて席を立つ。
蛍の怪しげな視線を受けながら、蜜柑はその場から、そそくさといなくなった。

――― ふう、あぶない、あぶない。
蛍、なんであんな怪しげなもん、持ってんのやろ。

考えながら足早に歩いていたが、ふと廊下の途中で立ち止まる。
そして、おもむろに袋から小箱を取り出し、じっと見つめる。

薬はともかく、これでもウチのこと心配してくれてんやろな―――。

蜜柑は、少し笑う。
蛍らしい、と思うのだ。
親友は今年、どんなチョコを作ったんだろうか、貰う人、毎年ご愁傷さまです。


「小さい男?」
特力でお茶を飲んでいた翼が、小さく噴出す。
「言うね、アイツのことそんな風に言えんの、蛍ねーさんくらいだな」
「今年のバレンタインは、盛り上がらへん」 蜜柑が、消沈気味にカップを口に運ぶ。
「なあ、蜜柑、」 翼が少女の頭に軽く手を置く。「別にチョコに拘らなくてもいいんじゃないのか?」
「それは、そうなんやけど・・・周りが楽しそうに準備しとるのに、なんでウチだけこんなんやろ思うたら、つい棗の前でも、意地になって・・」
ますますクシュンとしている。
「まあ、あいつのモテ方は半端じゃないからな。そこんとこ、おまえも理解してやんなきゃ、だろ」
「ウチの彼氏、なんで、棗なんやろ」
蜜柑のその言い草に、翼がやや慌てる。
「おい蜜柑、そんなこと言うな。万が一、あいつの耳に入ったら、」
「入ったってええわ。どうせ、ウチの前からもいなくなるような奴や」
「いなくなる?あいつ、どっかにいなくなったのか?」
「朝一で、既に姿ナシや」
「・・・・・・・・」
「・・・翼先輩?」
翼が、何か考えている。
「今日って、14日だよな」
「・・・・え?」 どこかで聞いたことがあるセリフだ。「どないしたん?」
「・・・・・いや、」 気を取り直したように、少し笑っている。
「なんやなー、蛍みたいやな」
「蛍ねーさん?」
「うん、翼先輩みたいに、今日は14日かって」
それに翼が失笑する。
「まあ、その、あれだ、蜜柑。これだけは言える。あいつは、おまえから逃げたんじゃないからな」
「なんでそんなことわかるんや?」 蜜柑が怪訝そうに問う。
「わかるんだな、これが。あ、そうそう、あとおまえにいいものやる」
そう言うと、翼はポケットから何かを取り出す。
「・・・?」
蜜柑が不思議そうにしていると、少し頭を下げろという仕草をする。
言われたとおりにすると、首筋にひやりとした感触が伝わってきた。
目線をやや下に動かすと、そこにはリングが見えた。
どうやら、ネックレスをしてくれたようだ。
「なんっ、翼先輩、なんで?」 蜜柑が驚く。「ウチ、こんなの貰われへんよ、それこそ棗に何言われるか、」
「だーいじょーぶ」
翼が自信満々に言う。
「あいつは、それを見ても怒らねえから。むしろ、喜ばれるぞー」
「ホンマに?」
「ホント、ホント。だから信用していいぞ」
「・・・わかった。ありがとうな」
「どういたしまして」
「あ、そや。コレさっき蛍にもろうたんやけどな、」
蜜柑が、先ほど蛍からもらった小箱を袋から取り出す。「むっちゃ、怪しいねん」
「ずいぶんと、かわいらしい箱だな」 手に取り、回しながら眺める。
「何やら、相手を意のままにできる薬が入ってるんやと」
蜜柑が恐ろしいものでも見るような目で言う。
「意のまま?」
「うん」
「ふうん」 ちょっと楽しそうな顔をしている。
「何や?驚かへんの?」
「これ、開けてみてもいいか?」
「?・・・ええけど」
翼は、リボンを外し、蓋を開ける。するとそこには、小さな小瓶が入っていた。
「わあ、思うたとおり、変なクスリっぽい」 蜜柑が、軽くのけぞる。
「やっぱりな」 翼は、納得したような顔だ。
「?」
「これは、おまえが使うものだ」 いいながら、蓋を戻す。
「ウチが?こんな怪しいクスリを?」
冗談やない、と青ざめる蜜柑に、翼は笑う。 「大丈夫だ。怪しいクスリじゃないって。たぶん、使い方は棗が知ってると思う」
「なんで?棗が?」
「まあ、後のお楽しみ」
手をひらひらさせ翼は、意味ありな顔をしている。
蜜柑は、その顔を不思議な気分で見つめた。

蛍といい、翼といい、棗といい。

・・・・なんや、色々と謎が多すぎるなあ。


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