君が望むなら


まただ、と棗は思った。

蜜柑は、最近こうしてふたりで人目のつくところを歩いていると、急に黙り込むことが多くなった。
そして、遠慮がちに体を半身ほどずらし、やや俯き加減でついてくるのだ。
理由はわかっていた。
校舎の窓から、立ち話をしている者、すれ違う者、あらゆるものの視線を一身に浴び、意識しなくても条件反射的にそうなるのだ。
当然のことながら棗は、そんなことは一切気にならない。したがって、それがどんな類のものなのか、考えたこともなかった。
だが蜜柑は、そういう訳にはいかないようだ。
嫉妬、羨望、嫌悪なのか、これらの視軸が絡み合い、向けられる好奇な目つきにいたたまれなくなるのだろう。

くだらない、と正直思う。
そういう視線を向けてくる生徒も、それを気にする蜜柑も。
しかしそれだけでは、やはり片付けられないこともあると、近頃の彼女の様子を気にしながら
思うのだ。

棗は相も変わらずとぼとぼ付いてくる蜜柑を視界にいれながら、腕を少し後ろに伸ばし、
彼女の手を握った。
途端に方々から、ひそやかなどよめきが聞こえてくる。
「なつめ、」 蜜柑が戸惑うような声でいう。
「居心地が悪いんだろ」
そう答えれば、蜜柑はどこかバツ悪そうにしている。
「気にするな」 繋いだ手に、力をいれる。
「うん・・・」
だが、ますます顔を俯かせている。これでは、逆効果だ。
「顔をあげろよ」
「・・・・・・」
何を言っても、今の蜜柑には無理のようだ。
棗が仕方なくそのまま手を引いて歩き続けていると、ちょうど人気もまばらになり、漸く煩わしい視線から解放された。
「ごめん・・」 蜜柑がポツリ言う。
「別に」 そっけなく答えたが、足を止め、彼女の顔を覗き見る。
「・・・辛いのか?」
「え?」 顔を上げる。
「人前で一緒に歩くのが、」
「そんなことっ、・・・」
蜜柑が少しムキになって言った。だが、それ以上言葉をつなぐことが出来ない。
「気にするなって言っても、やっぱり無理みてえだな」
「・・・棗っ、」
蜜柑は、何かを思い切るように突如名を呼んだ。
「?」
「あのな・・・その、ホンマに、ウチでええんか?」
棗の眉間にしわが寄った。
小さくかぶりをふり、心底呆れたような顔をする。
「何を突然言い出すかと思えば、・・」
「正直に答えてや。ホンマに、・・・ウチでええんか?」
「今更そんなこと口に出して言ってやらねえと、わかんねえのか?」
蜜柑は、棗の言葉に一瞬押し黙る。そして、少し苦しそうに口を開いた。
「自信、ないんや・・・」
「・・・・・・」
らしくない、と率直に思った。
――― オレは、こいつに何か不安を抱かせるようなことをしただろうか。
思い当たるふしが、ないとは言いがたいかもしれないが、少なくともここまでにさせるようなことはしていないはずだ。
棗は、先ほどの蜜柑を思い起こした。俯き、表情が見えないように歩く様は、どこか頼りなく、気後れしている感じだった。
その様子から辿れば、・・・・原因などひとつしかないのだが。
「どうせ、あることないこと言われてんだろ」
棗の突然の物言いに、蜜柑が虚を突かれたような顔をする。
どうやら図星のようだ。
「やっぱりくだらなすぎて、話になんねえな」
「なん、やて?」
「そもそもそんなものに惑わされて、不安に思うお前もどうかしている」
棗のどこか冷たさを感じる言い回しに、蜜柑の顔が歪む。
「アンタには、わからへんのや・・・」
棗は、眉根を寄せた。
確かに理解できない、と思った。
何故なら蜜柑は、恋人を信じるより、方々で言われる下品な話に翻弄されている。
「棗は、言葉も少ないし、付き合ってからだって殆ど前と態度変わらへんし・・。 相変わらず何を考えてるのかわからへん時もあるし、・・・」
蜜柑は、そこまで言って言葉を詰まらせる。
繋いでいる彼女の手は、いつのまにか冷たくなっていた。
棗は、息をひとつはいた。
オンナという生き物は、言葉や態度で気持ちを表現してやらないと、どうしてこうも不安定になるのだろうか。実に厄介だと思う。
しかし蜜柑の場合、おそらく馬鹿馬鹿しい噂話や難癖がそもそもの始まりであり、更に追い討ちをかけられるように冷たい視線に晒され、次第に自信を失くしていったのだろう。
そしてそれを乗り越えるためには、棗の確かな言葉や態度が必要不可欠だったのだ。

棗は、心もとなく立ち尽くす、彼女の横顔を見つめる。
言葉は、確かに少ない。それは、自覚している。
態度は、・・・それほどでもないと思うのだが。
だが足りないと思われているのなら、満たしてやるしかない。
こいつが望むなら。
それでこの面倒な不安を取り除けるのなら、願ってもないことだ。
「要するに、」
「・・えっ?」
物思いから冷めるように蜜柑は、少し遅れて返事をする。
「愛情が、足りなかったってことだな」
「なんや、いきなり」
「目に見えて、体で感じ、そして耳で聞こえる確かなものがあれば、おまえの不安はなくなるんだろ?」
棗は、口元に少し笑みを浮かべる。 そして突然蜜柑の腕を引き、歩きはじめた。
「棗?!」 蜜柑がうろたえた声を出した。
棗はそれにかまわず、少し先の人目に付きにくい街路樹の方へ蜜柑を連れて行く。
すると彼女の背中を木に押し付け、正面から静かに見据えた。
「なつ・・・」
蜜柑の言葉は、棗の柔らかい唇に飲み込まれた。
そして首筋からうなじに指を這わせ、頭を軽く押さえ込むと、そこで舌を絡ませる。
蜜柑の手が、棗の腕を掴んだ。
「・・・・ん・・・」
甘い吐息がこぼれ落ち、舌先が、官能をくすぐる。
その艶のある息遣いに誘わるように、何度も角度を変え、口内を深く侵食していった。
やがて蜜柑の体から、徐々に力が抜け落ちていく。
棗は、余韻を残すかのように、最後に下唇を愛撫するように口付けると、ゆっくりと唇を離した。
蜜柑は、潤む眼差しをそのままに、木の根元に力なくへたり込んだ。
棗が片ひざをつき、しゃがみこむ。
胸に手をあて、息を落ち着かせる蜜柑を、和んだ目で見つめた。
そして艶かしさが残る頬にそっと手を伸ばし、指先で輪郭を緩やかになぞっていく。
「・・なんだよ、もうギブかよ」
「いきなり、反則や、」
紅潮した顔つきで恨めしそうに言うが、呂律がまわっていない。
「これだけで達ったような顔だな」 棗はからかうように言った。
「アホっ」
蜜柑が恥ずかしそうに、棗の体を押しのける。
だが、その白い手はすぐに捕まった。
「なん、」
「蜜柑」
棗は、落ち着いた声音で名を呼んだ。
その真摯な雰囲気に、蜜柑の瞳が、はっと見開かれた。
「一度しか言わねえからな」
そう言い、捕まえた手の掌に柔らかく口づける。
顔を上げると、真っ直ぐに蜜柑を見つめた。

「オレはもう、お前なしじゃいられない」


ふわりと風がなびき、穏やかな空気が流れていく。
彼らを包み込むように。

蜜柑は、たまらず俯いた。

棗はそんな蜜柑のおとがいに手を添え、顔を少し上向かせた。
その瞳には、涙が溢れている。
「もう、大丈夫だろ?」
蜜柑は、こぼれ落ちた雫同様、コクリと頷いた。

――― そう、もうお前なしじゃ、いられないんだ

蜜柑が、安心したように柔らく微笑んだ。

愛おしさで満たされていく。

やっと、笑ったな―――。

棗は、目を細めた。
そして互いに吸い寄せられるように、ふたたび唇を重ねた。





fin


*あとがき*

本当は、初っ端から甘い方へ持っていこうと考えていたのに、段々険悪になってきてしまい、
自分で書いておきながら焦ってました(笑)
言葉の少ない棗だったら、どんな風に大切さを表現するだろう、と考えました。
いかがでしたでしょうか。
最後の雰囲気が伝わっていただけたら、うれしいです(笑)


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