Borderline


好きだと告げたら、お前はどんな顔をするだろう。

「なつめー、」
声が聴こえたを思いきや、扉を開く音と同時に体が部屋の中へ入っているのは、いつものことだ。

「なんや、棗、着替えてたん?」
脱ぎかけのシャツを首からはずす。
そんな様を見て蜜柑は、少し目を逸らした。
・・・多少は、気にしている訳だ。
「どうしたんだ?」
新しいシャツに袖を通しながら、問いかけた。
すると、敢えて気にしてはいない風を装い、蜜柑は目線を戻す。
「あんな、この課題わからへんのだけど・・、」
「今井は?」
「蛍は今、出かけてるんよ」
なあ、教えてくれへん?と切願するように、棗の瞳を覗き込む。
やれやれと思いながらも、自らの顔でソファーは示し、座るよう促す。
途端に零れる笑み。
この微笑みに弱い自分にあきれながらも、最近ひどく胸に疼いている感情を抑えきれずに苦労している自身を重ね合わせ、複雑な気分になる。 早速ソファーに腰を下ろし、資料を広げ、あれこれ説明し始めた蜜柑の隣に座り、能天気な彼女の横顔を見ると内心で一つ溜息をついた。

何を考えているんだ、と思う。いや、この馬鹿なオンナは何も考えちゃいない。

高等部も半ばを過ぎた彼らはもう、体つきも精神もほぼ大人と言っていい。
幼い頃から親元を離れ、自立した生活を送っている学園の生徒は、世間一般の高校生より精神年齢が高いと言える。未成年でありながらも、考えや行動は大人の領域だ。否応なしに自然とそうなる。そして、恋も例外ではない。
棗と蜜柑の関係は、年を重ねても相変わらずの状態、つまり友達という名のつくもの以上に進展している訳ではなかった。友人としては、かなり親しい部類には入る。学校ではいつも蛍や流架と一緒に行動することが多かった。だが、それ以上でもそれ以下でもない。
無遠慮に部屋に入ってくるのは、長い付き合いが成せるワザで。
しかし、棗はこの状況が最近特に気に入らなかった。いい加減、子どもの感情から卒業してしまった彼には、無防備の体を晒し、初等部の頃と変わりなくズカズカと男の部屋に入ってくる蜜柑に、苛立ちと困惑を隠し通すことに限界を感じていた。他のヤツの自室にも同じように入り込んでいるとすれば、ますます気分がよろしくない。

何年も水面下で隠し続けた想い。

蜜柑以外の二人の友人は、とうに気がついている。
今まで想いを告げず、本気で手を出さなかったのは、彼女の笑顔を消したくなかったからだ。
このぬるま湯のような関係を越え、手を伸ばし、もし受け入れられなかったとしたら。
陽だまりのような微笑みはたちまち曇り、この関係すら維持できず、終わりを告げるだろう。
恐れていた。
彼女から、笑顔が消えることを何よりも恐れていたのだ。

その煌く瞳も、白皙の頬も、瑞々しい唇も、柔らかなそうな体も。
すべて、欲しいと思う。手に入れたいと本気で思うようになってしまった。
さて、持て余し気味のこの感情をどうすべきか・・・、
答えなど考えるまでもないのだが。

「棗?どうしたん?顔が怖いで・・・?」
ふと気が付けば、少し強張った顔で蜜柑を見つめていた。
「・・・いや」
「?あ、わかった。ウチがいっつもこういうこと頼みよるから、機嫌悪うなったんやな?」
なんやなーもう、そんな心が狭いこと思わんといてーな、そう隣でブツブツいう蜜柑の頬に棗はふいに手を延ばし、彼女の顔を自分の方へ向けさせた。
「な、なつめ・・?」
突然のことに驚いた蜜柑の顔が、少し赤くなる。
「おまえ。飛田や流架の部屋にも、同じように入っていくのか?」
「えっ?」
「だから、俺の部屋に入ってくるみたいに、あいつらの部屋にもズカズカ押しかけて、入り浸ってるのか?」
「い、入り浸るって、なんや、いきなりっ・・」
「どうなんだよ」
棗の突然の質問に気圧され、蜜柑はしどろもどろになった。そして答えに窮したのか、ふと目を反らした。それは嘘のつけない性質の彼女にとっては、肯定を意味していた。
思わず眉根が寄った。
「もう、ガキじゃねえんだ。少しは、考えろ」
「へ?何を?」
あっけらかんと答える蜜柑に、棗はこれだからニブイ女は・・・と心の中で舌打ちをする。
「男の部屋に無節操に入っていくなと言ってるんだ。何されたって、抵抗できねえだろ。特にお前なんかは、」
あはは、と最後まで言い終えないうちに、蜜柑が急に笑い出した。
「なに心配してるん?ルカぴょんや委員長が、そんなことするわけあらへんやろ。変な想像するのはやめときや。あんた、少し位はクラスメイトのこと信用したらどうなん」
目尻に涙を溜めんばかりにクスクス笑う蜜柑を見て、棗は頭痛がしてきた。
そういう問題じゃないだろうが。 危機感がないにも程がある。 所詮男なんて皆、同じようなことを考える。
自分が蜜柑を欲する情を抑えられないのなら、彼女を想い続ける他の奴らだって似たようなものであることは、もはや確信の域を出ない。

だが、そもそもこのオンナに隙だらけであることを自覚させるのは難しい。
あの今井でさえ、根をあげるほどである。
なおも笑い続ける蜜柑。
棗は眉間に僅かに皴をよせたまま、さて、どうしてくれようかと考えている矢先、蜜柑が何気にある言葉を発した。
その言葉を聞いた途端、こめかみにひくつく神経と共に棗の中の理性が音を立てて切れた。

再び彼女の顔に手を伸ばし、今度は顎をつかみ引き寄せ、やや強引に唇を重ねた。
蜜柑が全く反応できないほどの、素早さで。
大きく見開かれた瞳。

『まあ、心配してもらってなんやけど、アンタには関係ないことや』

――――― アンタには関係ないことや

棗が一番聞きたくない言葉だった。
これまでも何度か言われたことはあるが、今日ほど癪に障った日はない。
今まで守ってきたものすべてが台無しになってしまうことなど、忘れるくらいに。

関係ないだと?冗談じゃない。

漸く事態を把握したかのように、蜜柑の腕がかすかに動いた。
それが合図かのように、棗は唇を離す。
「・・・なっ、なにを、」
蜜柑は信じられないといった顔で、唇を曖昧に動かした。だがうまく言葉が出ないようだ。
「本気で関係ねえと思っているのか?」
「え・・?」
「本気で俺は、関係ねえと思っているのかと聞いてる」
「そ、そんなことっ・・」
棗の切実な瞳に見つめられ、蜜柑は思わずたじろいだ。
そんな様を見て棗は、彼女を抱き寄せた。
「・・棗?!」
「俺には・・・、関係あんだよ」
「な、・・・」
抱きしめる手をそのままに、棗は蜜柑につぶやくように言った。
「もう行くな。他のヤツのところには」
「棗・・・、」
「男の部屋に入るのは、俺のところだけにしておけ」
「・・・・・・」
棗は、自身の腕の中で、完全に言葉をなくし身動きもしなくなった蜜柑の反応を伺う。
無論、表情は見えない。
ただ、この突然の状況に戸惑いと驚きを隠せない様子が、触れ合っている部分から伝ってきた。
笑顔が・・・・、
胸の中をじわりと何かが侵食し始める。

だがその時、蜜柑の腕が緩やかに動き出す。
押しのけられるのだろう、という思いが咄嗟に脳裏を掠めたが、その思いとは裏腹に彼女の華奢な両腕が、少し遠慮がちに棗の背中にまわった。
この予想外の展開に、今度は棗が驚きを隠せない。
「蜜柑・・」
「・・・本気?」
蜜柑が消え入りそうな声で問う。
「・・・・冗談に聞こえたか?」
蜜柑は小さくかぶりを振った。
「・・・ちゃんと、聞かせてや」
「・・・・・」
「そんな遠まわしな言い方せんと、ちゃんと聞かせてや」
「・・・蜜柑」
「・・・じゃなきゃ、言うこと聞かへんよ」

蜜柑。

棗は、目を閉じる。
嬉しさ、喜び、幸せ。そんな言葉とは程遠い、無縁の場所に立ち続けている日々。
自分の置かれている立場は、それほどに暗澹としている。
それは今も変わらない。
だが蜜柑の笑顔に導かれ、明日という日のために今日という日を生き抜いてきた。
だからこそ、何度も自重した。いつか本気で彼女を手に入れようとする自分を恐れを抱いていた。
この温かい場所だけは、絶対に失うわけにはいかなかったから。
守りたい、すべてをかけて。
この感情の名をなんと言うべきだろうか。

棗は、蜜柑の耳元に唇を寄せた。そして、そっとささやく。
背中にまわされていた蜜柑の腕に力が入った。




fin
 


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